ルヴェリエ賛江2022年09月29日 06時44分20秒

パリ天文台の絵葉書は、これまで何枚か載せた記憶がありますが、これはまだだった気がします。

(1910年ごろの石版刷り)

パリ天文台に長く勤め、後に天文台長となったユルバン・ルヴェリエ(Urbain Jean Joseph Le Verrier、1811-1877)の銅像です。この像について、コメント欄でお尋ねがあったので、覚えとして貼っておきます。

ルヴェリエの名は、海王星とともに記憶されています。
1846年の海王星発見に関わった役者は何人かいますが、ルヴェリエもその一人。
彼は天王星の位置が計算値と微妙にずれること(摂動)から、そこに未知の惑星が影響していると考え、その位置を計算によって導き出しました。海王星はその意味で、「発見される前に予測された最初の惑星」です。


ルヴェリエはその偉業によって、英国王立天文学会のゴールドメダルを受賞し、こうしてパリ天文台にも立派な銅像が立ちました。

   ★

さて、コメント欄でのお尋ねというのは、「この像が建立されたのはいつか? その際の写真や記録はあるか?」というものでした。パパッと検索したところ、建立時期についてはこちら【LINK】のページに記載がありました。

少し肉付けして引用すると、この記念碑は1889年6月27 日に除幕式があり、式典には当時の公共教育大臣(後に大統領)、アルマン・ファリエール(Clément Armand Fallières、1841 -1931)が臨席し、その面前で様々なスピーチが行われた…という趣旨のことが書かれています。

で、ここからさらに検索すると、以下の同時代資料に行き当たりました。

■La Statue de le Verrier a l'Observatoire de Paris.
 L'Astronomie、vol. 8(1889)、pp.281-284.

フランス語なので詳細はお伝えできないのですが、当日のスピーチを引用しながら、式典の模様が描写されているようです。

   ★

それにしても―。


絵葉書の隅に、こんなかわいいお客様が、ルヴェリエを表敬されていたことに、今の今まで気づきませんでした。人間の目って存外いい加減なものですね。

この少女の存在によって、「無個性な絵葉書」は、にわかに「個性あふれるスナップ写真」となり、その場の空気、匂い、音までも感じ取れるような気がします。
そして、彼女はこの後どんな人生を歩んだのか?…と、連想は静かに続きます。

コメント

_ S.U ― 2022年09月29日 12時10分47秒

おぉっ、1889年6月27 日。
ありがとうございます。
 実は、ご紹介の virtual tour で、
 https://vr.visite360pro.com/tour/ZyAUrU0xgz-1eCLrU0gez
「ルヴェリエ像」の上にある目玉マークを押すと、解説が出て、そこの冒頭に1889とあるのですが、これは天井画の描かれた年と理解していました。像の建立と同じ年ですが、何か関連があるのでしょうか。フランス語の論文みたいな解説を読めばわかるのかもしれません。簡単には読めそうにないのが残念です。

 協会掲示板のほうは、また名古屋市科学館での展示期間中に、もう一度くらい、感想の投稿を(できれば)したいと思います。

_ 玉青 ― 2022年10月01日 06時28分53秒

いやあ、私は建物の中をうろうろして、「あ、あそこにルヴェリエの背中が見えるぞ」と思いながら、どうしても庭に出ることができず、変だなあと思っていました。S.Uさんに教えていただきよく見たら、庭は専用の別ページがあるのでしたね。ようやく見えない壁を越えられました。ありがとうございます。

ヴァーチャルツアーの書きぶりだと、たしかに天井画の描かれた年としか読めないですよね。私の手元からだと、天井画の更なる解説ページに飛べないのですが(バグ?)、以下のページに、「This 1889 sketch shows a proposed but never realized ceiling project by French artist Edmond-Louis Dupain.」云々とあったので、きっと最初は銅像に続けて天井画も描くつもりだったんでしょうけれど、予算オーバーで天井画の方は陽の目を見なかったんじゃないでしょうか。
https://astronomy.com/magazine/news/2022/02/finding-neptune-how-we-discovered-the-eighth-planet

掲示板の方、ご無理でなければぜひ!

_ S.U ― 2022年10月01日 08時35分53秒

ありがとうございます。
結局この天井画は建物には飾られていないということですか。残念です。
この絵自体は、同じく天体の出現を予言したエドモンド・ハリーをテーマにした絵「ハリーさんの回帰」↓と共通点のある意匠で興味をそそられます。ハリーさんは、すでにお墓に入っていて残念でしたが、ルヴェリエさんは即座の確認でその点は良かったです。

https://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Edmond_Halley?uselang=ja#/media/File:Voyage_in_Space_page039.jpg

_ S.U ― 2022年10月02日 10時12分16秒

別件になります。
 私は、日本ハーシェル協会で「日本での天王星とハーシェルの初出・初観測」について考究させていただき、今回の名古屋市科学館での没後200年展の展示にも採用していただいているのですが、この機会をお借りし、後続研究のために、海王星とルヴェリエについても同様のわかっていることの概略を記録させていただきます。『天文古玩』さんは、今や古今東西天文学交流史の一大情報センターと言えると思いますので、勝手ながらこの場をお借りすることをお許しください。

 おそらく日本での初出は、「弘化四年(1847)(和蘭)別段風説書」の

「フランス国の星学家レフェリール(人名)曜星を新に見出し、其星をネプチューンと唱申候」 

(大船庵様の古文書コーナー)
http://www.hh.em-net.ne.jp/~harry/komo_dutchnews_main.html#ko03
(国立国会図書館「和蘭人風説書」)
https://www.ndl.go.jp/nichiran/data/R/004/004-011r.html

と思います。

 これが、日本の天文学者に伝わったことは、渋川景佑の『暦学聞見録』巻十二に引用があります。

(国立天文台貴重資料)
https://library.nao.ac.jp/kichou/archive/0509/kmview.html
の画像614, 615枚目

上記和蘭別段風説書の引用に続いて、1849年カルパ暦(未詳。一般にバタビアで発行されたオランダ語の天文カレンダーあるいはバタビア総督府発行の年鑑を指す)所載の海王星、小惑星を含む惑星の軌道半径、公転周期なども載っています。

 渋川景佑がこれらを書いた時期は、特定できておりません。なお、Le Verrierは、オランダ語カタカナ音訳で、「レフェリエル」で適切だと思います。

 さらに、海王星の日本での初観測については、加藤賢一先生(大阪市科学館、岡山理科大学)の研究

(天界 87 (976), 543-547, 2006-09 東亜天文学会)
https://cir.nii.ac.jp/crid/1523951030679012736
(岡山理科大学生物地球学部天文学研究室)
https://www.big.ous.ac.jp/~kato/at_sci_museum/6astron/uranus2008.pdf

がありますが、現時点まで具体的な観測は特定はできていないと思います。

 今後の研究に期待したいと思います。

_ 玉青 ― 2022年10月03日 06時11分29秒

これは貴重な知見をありがとうございます。
最初、日本における海王星観測と聞いて、「あれ?そういえば、『近世日本天文学史』には何て書いてあったかな?」と思ったんですが、見返したら、そもそも海王星については何も書かれていませんでした。この話題は私の知識から完全に欠落していて、しかもそれが欠落していることにも気づいていませんでした。まさに思考の盲点ですね。返す返すもご教示に感謝です。

それにしても改めて思うのは、1840年代には、天王星の時とは比較にならないぐらい、情報が早くなっていることです。天王星でも、それ以前と比べればそこそこ早かったと思いますが、海王星の場合はほとんど間を置かず日本にその存在が伝わっていたわけで、この半世紀で社会の在りようがずいぶん変わったことを、改めて感じました。仮に薩長政権ができなくても、江戸の幕政が終焉を迎えるのは早晩必然だったろう…と、そんなことも思いました。

ときに、掲示板へのご投稿ありがとうございました!
掲示板機能については、あそこに書いたような次第で申し訳ありません。
狭いながらも楽しい我が家、不便ながらも楽しい掲示板…という風に行きたいものと念じています。

_ S.U ― 2022年10月03日 08時06分53秒

ありがとうございます。一応、記録のために、研究史誌的なことを触れさせていただきますと、私がこの問題に気づいたのは、加藤先生の2006年の天界記事に依ります。「和蘭別段風説書」については、どなたが天文関係者が海王星発見記事の指摘をされていたと思いますが、忘れました。渋川景佑『暦学聞見録』巻十二の記載は私が独自に見つけたので、この指摘はこの場が本邦初公開かもしれません。個人的には、「カルパ暦」(咬ロ留吧暦)の具体的特定と、それが幕府で定期(毎年)購読されていたかが重要な研究点だと思います。

_ 玉青 ― 2022年10月04日 21時02分31秒

>本邦初公開

おお!これは光栄の至りです。
引き続き更なるご考究をお待ちしております。

_ S.U ― 2022年10月05日 16時48分00秒

こちらこそ、投稿させていただけて光栄です m(_ _)m

早速、続報をさせていただきます。今回の渋川景佑『暦学聞見録』巻十二
(国立天文台貴重資料)
https://library.nao.ac.jp/kichou/archive/0509/kmview.html
の画像615枚目

のカルパ暦1849年は、蘭語元資料らしきものが特定できました。

Almanak van Nederlandsch-Indie voor het jaar 1849 です。

https://www.google.co.jp/books/edition/Almanak_van_Nederlandsch_Indi%C3%AB_voor_het_/7FVVAAAAcAAJ?hl=ja&gbpv=0

の8ページの表です。

 今回はあっさり見つかりましたが、「カルパ暦」は常にこの題名の年鑑を指すとは限らないので、一般には必ずしもよくわかりません。

 自分の任期中に惑星が7個から13個に増えていき、渋川景佑さんはやはりびびったと思います。

_ 玉青 ― 2022年10月06日 20時44分49秒

おお、これは神速の続報。
海王星をめぐる謎がまた1つ見事に解けましたね!

>渋川景佑さんはやはりびびった

あはは。当初は小惑星と惑星が区別されていませんでしたから、この「惑星」の増殖は確かにびびったでしょうね。何だか自分の慣れ親しんだ世界が、まったく違ったものになっていくような、怖れの混じった感覚を味わったかもしれません。

_ S.U ― 2022年10月07日 08時39分53秒

>神速
 両方とも、著名なネットサイトに画像が載っていて、単にオランダ語の和訳にすぎないのだから、今にこういうのはAIが勝手に見つけて著作同士の関連をWeb上で結びつけるようになるかもしれません。

>渋川景佑さん
 晩年の渋川景佑さんは、暦書、報告書の緻密な完成や西洋物理学の理解など内面的な掘り下げには頑張りましたが、従来の形式的な職務にはやる気を無くしていったかもしれません。ペリー来航後には、先進的な蕃書の解読の御用も天文方から外れてしまいました。それ以前から、薩摩辺りのほうが勝っていたかもしれません。
 海王星とは関係ありませんが、2代目の天文学者として、渋川景佑をジョン・ハーシェルと比較してみるのも面白いかもしれません。少なくとも、このお二人は顔を合わせて、学問の進め方などについて話をしたら、案外話が合ったのではないかとなんとなく感じます。

_ 玉青 ― 2022年10月09日 22時20分20秒

渋川景佑(1787-1856)とジョン・ハーシェル(1792-1871)は、こうして見ると、本当に同時代を生きた「2代目」同士ですね。その境遇から共通体験も、きっといろいろあったことでしょう(俊才ながらも、偉大な父親を持った苦労とか)。
ただ、ジョンの方はもっぱら光の人生を歩んだのに対し、景佑は家族の悲劇によって、少なからず影のある人生でしたから、両者の対談にも、その点が微妙な影を落としたかも。

_ S.U ― 2022年10月10日 08時16分27秒

>微妙な影
もし可能でしたら、いつか、玉青さんにジョンの役をしていただき、私が景佑で、対談のシミュレーションができればと思います。前代未聞の企画?になるやもしれまへん。

 なお、これまた重箱の隅TIPSですが、渋川景佑の著書『諳厄利亜航海暦』(『1828年用英国航海暦』の抄訳)の英原著に、編者の一人としてジョン・ハーシェルが国王の命令に対する認証書に名を連ねています。景佑は、原書を手にしてここも見たはずですが、残念ながら訳出しておらず、人名「ハーシェル」(天王星の別名に同じ)にも気をとめなかったかもしれません。仮想対談で、ジョンが景佑に、「あなたは、我らが英国航海暦を翻訳されたそうですな。」と話しかければ、話のとっかかりにはなるでしょう。

_ 玉青 ― 2022年10月10日 12時47分09秒

二人のヴァーチャル対談、ぜひ実現してほしですね!
とはいえ、私にジョンの大役は到底無理ですので、これはどなたか別の方にお願いすることにいたしましょう(AIが進歩したら、AIがその役を務めてくれるかもしれません)。

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