赤い巨人との対話 ― 2023年10月29日 12時28分38秒
閑中自ずから忙あり―。
いろいろゴタゴタして、ブログも放置状態でした。でも、昨日とても嬉しいお便りをいただいたので、これはぜひ文字にせねばなりません。内容は本格的な天文学に関するもので、お便りの主は変光星観測家の大金要次郎氏です。
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今、冬の巨人オリオンは、午後10時頃に東の大地からゆっくりと姿を現します。そして高々と南中するのは午前3時頃。これから寒さが募るにつれ、オリオンは徐々に「早起き」になり、見頃を迎えます。
オリオン座の特徴的なフォルムの左上――星座絵だとオリオンはこちら向きの姿に描かれるので、その右肩に赤く輝くのが超巨星ベテルギウスです。これは宇宙全体を見渡しても堂々たる巨人で、仮にベテルギウスを太陽の位置にもってくると、木星軌道まですっぽり飲み込まれてしまうと聞きます。
星の一生の終末期にある、この老いた巨人は、明るさが変化する変光星としても知られます。ウィキペディアの「ベテルギウスの項」に掲載された写真↓を見ると、なるほど確かにずいぶん変るものです。
(左は0.5等級で輝く通常運転のベテルギウス(2012年2月22日撮影)。右は2019~2020年にかけて1.6等級まで大きく減光した際の姿(2020年2月21日撮影)。H.Raab氏による同一撮影条件の比較像)
ベテルギウスがバイエル符号では「オリオン座α星」と呼ばれ、その対角で輝くリゲル(0.1等級)が「オリオン座β星」に甘んじているのも、バイエルが生きた17世紀初頭には、実際ベテルギウスの方がリゲルよりも明るかったせいではないか…とも推測されています。(リゲル自身も小幅ながら光度が変動する変光星です。)
大金氏からのお便りには、氏が20年以上にわたって、ベテルギウスの光度測定を継続され、それを論文にまとめられたことを称えて、「2022年度日本天文学会天文功労賞」が授与されたことが記されていました。
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星の光度測定と聞くと、門外漢は測定器を星に向けて「ピッ」とやれば、それで終わりと思うかもしれませんが、これはなかなか容易な作業ではありません。
星の明るさは、もちろん星自身の変化で生じる場合もありますが、同時に空の状態によっても大きく変化します。後者の影響を除くには、明るさが恒常である基準星を同時に観測して、それをもとに結果を補正しなければなりません。大気減光の影響を除くため、高度に応じた補正も必要です。
また一口に「星の明るさ」といっても、それはどの波長のことを言っているのか、厳密な定義が必要です。赤い星と青い星では輝いている波長が異なり、また色味によって人間の目の感度も違ってきます。この問題は人間の目を機械の目に置き換えても同じことで、装置によって各波長に対する感度は違うので、測定値から「真の光度」を得るには、複数のフィルターを使って、光を波長域別に分けて観測するという手間が必要です(大金氏は紫外域から赤外域に至る範囲を5つの波長域に分けて観測されています)。
その上で初めて光度変化を論じることができるわけで、そうした骨の折れる作業を長年継続することは、文句なしに大変な作業です。そして、大金氏の観測結果で最も価値が認められたのは、現在観測機器の主流になっているCCDやC-MOSと云われる検出装置では観測がしにくい紫外域の観測が長期にわたって行われた点にあるとされています。
大金氏自身によるこれまでの経過報告は、以下で読むことができます。
■大金要次郎 「ベテルギウスの5色測光を続けて」
『天文月報』 2023年11号, pp.591-597.
https://www.asj.or.jp/jp/activities/geppou/item/116-11_591.pdf
『天文月報』 2023年11号, pp.591-597.
https://www.asj.or.jp/jp/activities/geppou/item/116-11_591.pdf
【10月29日付記】 本稿掲載後、大金氏ご自身から頂戴したコメントに基づき、上記の文面を一部修正しました。
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大金氏は『天文月報』への寄稿文中、「ベテルギウスの測光観測をしようとした当初の目的は、変光周期が諸説あって不確定であったことについてこれを確定してみたいということにありました」と述べておられます。
しかし、ウィキペディアの「ベテルギウス」の項を見ると、以下の記述が目に飛び込んできます。「ベテルギウスの明るさの変化は、1836年にジョン・ハーシェルによって発見され、1849年に彼が出版した著書『天文学概要』(Outlines of Astronomy)で発表された。」
さっそく問題の『Outlines of Astronomy』(1849年初版)を開くと、果たしてp.559にそのことが出ています。
(p.558から続く表の後半部。最上段に「α Orionis」、すなわちベテルギウスが見えます)
そう、ベテルギウスの光度変化の発見こそ、天文一家ハーシェル家の二代目、ジョン・ハーシェル(1792-1871)の偉業の一つに数えられているものなのです。そして、大金氏も私も日本ハーシェル協会の会員であることから、今回お便りを頂戴したわけで、全てはハーシェルの導きにほかならず、私が今回の吉報をいっそう嬉しく思ったのもその点でした。
なお、ここでハーシェル協会員としてこだわると、ベテルギウスの変光が発表されたのは、ウィキペディアが言うように1849年ではなく、1840年のことです。以下はギュンター・ブットマン著 『星を負い、光を愛して―19世紀科学界の巨人、ジョン・ハーシェル伝』(産業図書)より。
「1840年春、彼〔ジョン・ハーシェル〕はある発見で世界中の天文学者を驚かした。それは空で最も目立つ天体に関する発見だったが、不思議なことに今まで全ての天文学者が見逃していた。すなわち彼はオリオン座α星・ベテルギウスが、周期的に光度を変える長周期変光星であることを発見したのである。」(pp.146-7)
その出典として挙がっている、ジョン・ハーシェルのオリジナル論文は以下です。
■J.F.W. Herschel, “On the variability and periodical nature of the star Alpha Orionis,” Memoirs of the Royal Astronomical Society, 11, 269-278 (1840) ; Monthly Notices of the Royal Astronomical Society, 5, 11-16 (1839-43).
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今年の冬は、オリオンの右肩の見え方も、個人的に少なからず変わるでしょう。
宇宙のスケールでいえば、間もなく訪れるベテルギウスの「死」。
人間のスケールでいえば、私がこの世界から消滅するのも、そう遠くないでしょうが、それまでの間、しばし赤い巨人と向き合って、四方山の話をしたいと思います。
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