スターチャイルド(その2)2018年07月03日 06時53分03秒

「星と赤ちゃん」の取り合わせは意外にポピュラーで、赤ちゃんが夜空を彩る絵葉書は、ときどき目にします。


上はフランス国内で差し出されたもの。
1903年10月11日という日付と、「Bons ナントカ」と書かれています。ちょっと判然としませんが、これも子どもの誕生を伝える、めでたい葉書かもしれません。(裏面はアドレスのみ。ベルギー国境に近いスダンの町に住む、マダム・ガンツなる人物に宛てられています。)

(消印なし。1910年頃のフランスの絵葉書)

夜空ではありませんが、こちらは飛行機で飛来し、落下傘で降下する赤ちゃん。


真ん中の赤ちゃんは、堂々とキャベツに座っているし、キャプションも「赤ちゃんがお空から落ちてくる。さあ巣作りを」と急き立てているので、明らかに幼な子の誕生をテーマとしたもの。


それにしても、この黒々とした背景と、そこに居並ぶ子供たちを見ていると、私は単なるめでたさばかりでない、何か不穏なものをそこに感じてしまいます。

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乳児死亡率は、現代では限りなくゼロに近づいていますが、明治の頃は、30%を超えていました。つまり、生まれた赤ちゃんの3割以上が、1歳の誕生日を迎えることができなかったのです。さらに幼児期の死も含めれば、当然その数はもっと多くなります。現代では、アフリカの最貧国と呼ばれる国々でも、乳児死亡率は10%程度ですから、当時の日本の状況が、いかに過酷だったか分かります。

今の人は、死といえば老人の専売特許で、「子供の死」というと、何か突発的で異常な出来事と感じるかもしれません。でも、上のような次第で、昔の人にとって「子供の死」は非常にありふれたものでした(さらに言えば、若者の死も、壮年の死もありふれていました)。何せ「老人」と呼ばれる年齢まで生き伸びられる人はごく少数で、老人は「人生のエリート」でしたから、「老人の死」はいっそ貴重で、稀なものだったのです。

そして、「子供の死」がありふれていたからこそ、賽の河原の石積みの話が人々の心を強く揺さぶり、地蔵信仰も盛んだったわけです。

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ことは日本に限りません。20世紀初めのアメリカでも、1000件の出産(死産を除く)があれば、そのうち100人の赤ちゃんは1歳未満で亡くなっていました。都市によっては、死亡率が3割に及ぶこともあったそうです。(→ 参照ページ

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そういう背景の下に、昨日今日の絵葉書を置いて眺めると、そこに漂う一寸ヒヤッとする感じの正体も、よく分かる気がします。もちろん昔だって、赤ん坊の誕生はめでたいことに違いなかったでしょうが、そのめでたさの中には、常に危うい感じが伴っていました。

そう、赤ちゃんはいつだって星の世界に近い存在であり、星の海を越え、嬉々として地上に降り立つかと思えば、両親を残して星の世界にふっと旅立つことも、また頻々とあったのです。

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天文趣味とはあまり関係ないかもしれませんが、人々が星に寄せた思いの一側面として、「星と赤ちゃん」の関わりについて、少し考えてみました。
どうか、すべての子供たちに幸多からんことを。

(良き年を願い、星を振りまくキューピッド。アメリカの絵葉書、1915年)

(この項おわり)