オールドペーパー2021年10月27日 22時26分56秒

記事が間遠になっています。
こんな駄文でも、自ずと記事を書くときの気分というのがあって、今は選挙も近いし、なかなか泰然と文章をひねるのが難しいです。まあ、本当はこういう時期だからこそ、泰然とすべきだと思うのですが、そこが小人の小人たるゆえんです。それでも強いて泰然たるふりをして、記事を書きます。

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部屋を片付けていたら、本棚からコトンと1冊の本が落ちました。
一瞬「?」と思いましたが、すぐにしみじみ懐かしい気分がよみがえりました。


■倉敷意匠アチブランチ(編・発行)、『old paper』、2012

これは良い本です。最初手に取ったときも良い本だと思いましたが、しばらくぶりに手にして、やっぱり良い本だと思いました。

ここに紹介されているのは古い紙モノたちです。あるいはモノの形をとった紙。
たとえば16世紀の本草書の断片。


あるいはグレゴリオ聖歌の楽譜や、時祷書の零葉。


西洋のものばかりではありません。そこには泥絵があり、仏教版画があり、李朝民画があり、紙製の玩具があります。


まさに同じような品に惹かれ、私なりに集めてもいたので、この本を見たとき、これを編んだ人が他人のような気がしませんでした。そして、私がそうした品に惹かれるという事実と、この本の制作意図を考え合わせたとき、私自身、明らかに「紙フェチ」の傾向があるな…と悟ったのでした。(それまでは、当然そうしたモノの「内容」に惹かれているのだと、自分では思っていました。もちろん、それは嘘ではないにしろ、事実の半面に過ぎなかったわけです。)

いったんそうと分かれば、私が古書に惹かれ、デジタルライブラリーでは満足できない理由も、本物が手に入らないときは、たとえ複製でもいいから手に入れたいと願うわけも、よく分かります。私は無条件で紙が好きなのです。

何故か?というのは、フェティシズムの常として説明できませんが、きっと幼時の体験もあるのでしょう。それに紙フェチの人であれば、この気持ちは説明しなくても分かるし、そうでない人には、たとえ説明しても分からないだろうな…という気もします。

フェティシズムというと、何となく倒錯したものを連想して、あまり印象が良くないですが、茶人が茶碗にこだわるのも、天文趣味人が機材にこだわるのも、往々にしてフェティシズムの発露ですし、さらに言えば、およそ蒐集家の営みは全てフェティシズムのなせる業ですから、決して悪い目で見ないでほしいと願います。(まあ公平に見て、そう良いものでもないですが。)

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【閑語】

報道を見ると、どうも与党堅調の世論調査結果がちらちら見えて、ふたたび「これは…」と腕組みをしています。

よく公明党を揶揄して、「下駄の雪」という言い方がありますね。「(自民党に))踏まれても踏まれても、どこまでもついていく」という意味だそうですが、今や少なからぬ国民が「下駄の雪」となっているのかと、怪訝な気持ちです。

もし私が良心的な自民党関係者だったら、「これはおかしい…。いったいどうなっているんだろう?」と、やっぱり不審の念を覚えるでしょうし、悪辣な自民党関係者だったら、「国民なんかチョロいチョロい」と、口笛のひとつも吹くでしょう。

なんだか住みにくい世の中になったものです。
まあ、結果は蓋を開けてみるまで分からないので、泰然と31日を待つことにしましょう。