樹に挑む ― 2024年09月15日 09時55分40秒
庭にモクレン(白木蓮)の木が植わっています。
庭が広ければそのまま放っておけばいいのですが、狭い庭ではそんなわけにもいかず、ときどき剪定をするのですが、モクレンはなかなか剪りどころが難しくて、年月が経つうちに、いかにも不自然な樹形になってきました(素人にありがちなことです)。
この先、齢をとると剪定作業はいよいよ大変になるので、ここらで思い切って仕立て直しをしようと思いました。電柱のような幹を途中で胴切りにして、そこから新たに枝を分岐させようというのです。
しかし、わが家にある道具は錆びついたノコギリのみ。
モクレンとノコギリを見比べて、ややもするとひるむ心を叱咤して、勇猛心を奮い起こし、さながら「青の洞門」のごとく心のうちに経文を誦しながらギコギコやること1時間半。さしもの巨木もメリメリと音を立てて、ついに途中から倒伏したのでした。
その勢いで脚立が倒れ、私は叫び声を挙げながら虚空に投げ出されたのですが、これぞ経文の威徳、観世音菩薩の御名を聞けば、いかなる悪鬼魔神もまた害を加えんや、傷ひとつ負うことなく、地面にすっくと立ち上がりました。
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…というのは、もちろん大袈裟に書いているわけですが、話の骨格はそのとおりです。伐木後の処理がまた大変で、昨日は本当に疲れました。
切断部の径は15cm。電ノコがあれば楽勝で、そんなに大騒ぎするほどの太さでもありませんが、脚立に乗って手でギコギコやるのは、やっぱり大変です。年輪は30本まで数えましたが、今の家に越して来た年数を考えると、30プラス数年の樹齢だと思います。
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かつて原生林の巨木を切り倒し、大きな根株を掘り起こし、石ころだらけの土を耕耘した――しかもそれを全部人力で行った――北海道開拓民の苦労がどれほどのものであったか、こんな些細な経験からそれを想像するのはおこがましいですけれど、ちょっぴりそんなことも考えました。
(手元の地図帳に捺された北海道開拓使の蔵書印)
節々も痛いので、今日は一日休むことにします。
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