江戸のコメットハンター(3) ― 2024年10月19日 17時35分31秒
前回のつづきを書くつもりでしたが、ちょっと話が脱線します。
そもそも『近世日本天文史料』という書物はどのようにして生まれたか?
前述のとおり、この本は大崎正次氏(1912-1996)の編纂によって1994年に出たものですが、そこにはさらにその「原本」ともいうべき稿本がありました。
その間の事情は、同書冒頭の「本書の成立と内容」に書かれています(引用にあたり漢数字の一部を算用数字に改めました)。
「本書成立の第一歩は旧稿の発見からはじまった。旧稿とは、神田先生〔※引用者註:江戸時代以前の天文古記録を集めた『日本天文史料』(1935)の編者、神田茂博士(1894-1974)〕が亡くなられた数年後、先生の遺書の整理売却が一応終わったあと、先生の遺書の一括整理をまかされた古書店主児玉明人氏の倉庫にあった段ボールの数箱に、反故同様につめられた残品の中から、私が発見して買い求めた古ぼけた書き抜き原稿用紙(200字詰)約一千枚のことである。1983年6月のことであった。それは1601年以後の近世天文史料の書き抜き原稿の一束だった。」
なかなかドラマチックな話ですね。
上の一文の続きを読むと、この旧稿は、神田博士自身の収集になる部分も当然あったのでしょうけれど、当初から神田博士の仕事を手伝っておられた、他ならぬ大崎氏自身の手になる部分が多かったように読めます。結局、大崎氏はご自身の成果を、神田氏の遺稿から“再発見”されたのではないでしょうか(大崎氏の書きぶりには、ちょっと曖昧な部分もありますが)。
そしてこれを核として、さらに大崎氏や大谷光男氏らの関係者が、新史料の収集増補を続け、結果的に旧稿の2倍余りのボリュームになったものが、『近世日本天文史料』として上梓されることになったのです。
★
今回私が改めて疑問に思ったのは、「幕府天文方による公式記録類は、今どこにあるのか?」ということです。
もし、その記録類が一括して江戸城に保管され、明治新政府に引き継がれ、今は国立天文台や国会図書館が所蔵しているのだとしたら、それを参照すればよいわけです。しかし、こんなふうに苦労して史料収集をしなければならないということは、すなわち現実はそうなっていないことを意味し、結局、原史料は失われてしまったということです。
たしかに、江戸幕府から新政府の手に渡った史料もあります。
幕府の「御文庫」に蔵された貴重な蔵書類は、新政府に引き継がれ、現在は内閣府が保管しています(紅葉山文庫旧蔵書)。また町奉行所関係の記録類は、東京府庁に引き継がれ、現在は国会図書館に収められています(旧幕引継書)。寺社奉行・評定所関係の書類は、いったん東京帝大に収まったものの、関東大震災で焼失してしまいました。
しかしそうした例外を除き、多くの行政文書は、明治維新の折に廃棄(一部は意図的に焼却)あるいは散逸してしまい、天文方の記録類もその一部だったのでしょう。
渡辺敏夫氏の『近世日本天文学史(下)』を見ると、485頁に「浅草天文台の終末」という一節があって、この天文方の観測拠点が、明治維新後にどういう運命をたどったか書かれています。それによれば、天文台の建物や器械類は、明治2年の段階でいったん東京府の管理下に入ったものの、結局「新しい天文台を建てるにしても、今の土地は不適当だから」という理由で取り壊しが決まり、器械類の方は、東大の前身である開成学校が引き渡しを願い出て、それが許可され…ということまでは文書で分かるのですが、その後の消息は不明だそうです(※1)。仮に天文台に記録類が当時残されていたとしても、おそらく同じ運命をたどったはずです。
残る希望は、天文方関係者の家に残された家蔵文書類ですが、幕府の役人の自宅は要するに「官舎」ですから、幕府がなくなればすぐに立ち退かねばならず、明日の生活も見えない中、転居の際に不要不急の文書がどうなったかは想像に難くありません。おそらく多くは反故紙として、二束三文で下げ渡されたのではないでしょうか。
そんなわけで、江戸の天文記録の跡をたどるのは大変な仕事です。
今、国立天文台の貴重資料展示室に収まっている資料類も、その主体は平山清次、早乙女清房、小川清彦、その他の各氏が多年にわたって収集し、寄贈した古書・古文書類です。各地の博物館・図書館にまとまって存在するものも、同様の経緯でコレクションに加わったものが多いと思います(東北大学狩野文庫や、大阪歴史博物館所蔵の羽間文庫(※2)等)。
何だか知ったかぶりして書いていますが、こういう基本的なことも、私は今まで知らなかったことを、こっそり告白しておきます。
★
さて、そうした片々とした史料のひとつが、東大資料編纂所にある『聞集録』です。
これは近江の名望家であり、川越藩の近江分領の差配に関わった高岡家の当主が、方々で入手した情報を書き留めた「風説留」と呼ばれる性格の史料で、維新後に高岡家から明治新政府に全108冊が献納され、それが今東大にあるわけです。
(次回、話をもとに戻して続く)
-----------------------------------------
(※1)浅草天文台の払い下げ入札と、それに開成学校が待ったをかけた一件について、東京都公文書館のFacebookページに記述がありました。
■ 【浅草元天文台の管理】2018年2月18日
(※2)羽間文庫の伝来については下記を参照。
■井上智勝 「羽間文庫の高橋至時関係資料」
「天文月報」第98巻第6号(2005年6月)pp.384-390
コメント
_ S.U ― 2024年10月20日 06時06分10秒
_ 玉青 ― 2024年10月20日 09時44分41秒
>失われてしまったのですか。
…と問われて、お答えできる立場でもありませんが、でも失われたと考えるほかないのではないでしょうか。その道の大家にしても、おそらく「ここにある」と断言できる方はいらっしゃらないでしょう。しかし、逆に「ない」と断言するのも危険な話で、どこかからごっそり出てくる可能性もなくはないですよね。ただ、出てくるにしても、おそらくは写本でしょう。
刊本を借覧して写すのはもちろん、書類を提出するとき、手紙を送るとき、心がけのよい人は必ず手控えとして写しを作りましたし、天文方関係の文書にしても、親子・兄弟・師弟・師友の間で大いに写本は作られたことでしょう。それをまた写す人もいて…という具合で、写本は我々の想像を超えて大量に作られたと思います。
今ある『ユラヌス表』や『暦学聞見録』にしても、渋川景佑が自ら筆をとって(あるいは下僚に命じて)作成した写本で、それ自体貴重なものですが、原本は結局未発見なわけですよね。そして、それらが公の場所に今あるのは、遺族や関係者から巷間に流出したものが、古書市場に回り、篤志家が買って寄贈した、あるいは目端の利く業者が、買ってくれそうな個人や機関に持ち込んで…みたいなことが、明治の頃から繰り返されたからだと想像します。
天文方の息吹を伝える同時代史料が、ある日どこかから山のように見つかる…。
まあ、夢想するのはタダなので(笑)、大いに夢想しようではありませんか。
…と問われて、お答えできる立場でもありませんが、でも失われたと考えるほかないのではないでしょうか。その道の大家にしても、おそらく「ここにある」と断言できる方はいらっしゃらないでしょう。しかし、逆に「ない」と断言するのも危険な話で、どこかからごっそり出てくる可能性もなくはないですよね。ただ、出てくるにしても、おそらくは写本でしょう。
刊本を借覧して写すのはもちろん、書類を提出するとき、手紙を送るとき、心がけのよい人は必ず手控えとして写しを作りましたし、天文方関係の文書にしても、親子・兄弟・師弟・師友の間で大いに写本は作られたことでしょう。それをまた写す人もいて…という具合で、写本は我々の想像を超えて大量に作られたと思います。
今ある『ユラヌス表』や『暦学聞見録』にしても、渋川景佑が自ら筆をとって(あるいは下僚に命じて)作成した写本で、それ自体貴重なものですが、原本は結局未発見なわけですよね。そして、それらが公の場所に今あるのは、遺族や関係者から巷間に流出したものが、古書市場に回り、篤志家が買って寄贈した、あるいは目端の利く業者が、買ってくれそうな個人や機関に持ち込んで…みたいなことが、明治の頃から繰り返されたからだと想像します。
天文方の息吹を伝える同時代史料が、ある日どこかから山のように見つかる…。
まあ、夢想するのはタダなので(笑)、大いに夢想しようではありませんか。
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
確かに、引用されているにも関わらず、どうにも見つからないとか現存していないとされる資料がありますね。
いっぽう、国立天文台や東京大学には、私が参照した資料だけでも、なんでこんなのが残ったのだろうという足立家・渋川家のメモっぽい文書(『ユラヌス表』、『暦学聞見録』)があります。江戸の司天台あたりで観測記録がない場合が多いとしたら、観測記録と考察メモはしまってあった場所が違ったということでしょうか。
渡辺敏夫氏においても独自に観測資料を集められ、それらは国立天文台の寄贈ライブラリになっていますが、そこにも欠落しているものはあるようです。でも、天文史研究者が原本を見たことは間違いないでしょうから、どこかで他の研究者による手稿本か写本を見たものの、写真を撮ったり写本をつくって大学等でまとめることがされていないのかもしれません。一般的傾向として、どういう史料は残っていて普通で、どういう史料は残っていないのが普通なのかまではわかっていないので、以上は勝手に想像しているだけです。