色あせた標本、台湾幻想(その4)2007年10月26日 20時48分08秒

↑山中峯太郎(文)・椛島勝一(絵)、『亜細亜の曙』-昭和7年-に登場する新兵器 (別冊太陽 『子どもの昭和史 昭和10年~20年』 より)

(昨日のつづき)

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 私を魅了したものは、しかし何といっても南方の昆虫であった。『原色千種続昆虫図譜』の開巻第一図版には、ただ一頭、尾状突起の異様に幅広い大型のアゲハチョウが図示されていた。〔…〕説明文には次のように記されている。

 第一図版(鱗翅目)蝶之部
1 フトヲアゲハ(雄) アゲハテフ(鳳蝶)科
 Agehana (Papilio) maraho Siraki et Sanan
 雌雄ノ色彩紋ハ大差ナケレドモ雌ハ前後翅ニ形状共稍々外縁円味アリ。本種ハ他ノアゲハテフ類ト異ル処多ク、特ニ後翅ノ尾状突起ハ幅広クシテ然モ二本ノ翅脈アルコトニヨリテ有名ナリ。
 昭和七年(1932)七月初メテ台湾台北州羅東郡烏帽子河原ニテ発見セラレ、爾来採集セラレシ総数僅ニ六匹ニシテ既ニ種類ヲ保護スル為捕獲禁止トナリタル貴重ナ標本ナリ。而シテ現在世界蝶類中本種ト同様尾状部ニ二本ノ翅脈アリテ幅広キコトハ只一種支那ニ Agehana (Papilio) elwesi Leech ト称スルモノアレドコレ亦稀種ニ属ス。
 20-7-1936 台湾台北州烏帽子産 台湾ニ産ス

 難しい漢字とカタカナの簡潔な文体は私を魅了した。そしてその中でも特に私が心をおどらせたのは、「稀ナリ」という言葉、そして頻出する「台湾ニ産ス」と言う結末の句であった。はっと息を呑むような種の解説には大抵「台湾ニ産ス」と書かれている。いつかは台湾に行って、「台湾ニ産スル大型美麗種ナレドモ稀ナリ」と書かれているような奴を採りたい、少年の日の、それは夢となった。外へ遊びに行くとき、家人に行先きをきかれると私は必ず「タイワン」と答えるようになった。今でもどうかするとそう答えてしまいそうになる。(文庫版 63-65頁)

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そして、奥本氏はこの戦前に出た、平山修次郎著『千種昆虫図譜』の文体を、以下のように特徴づけます。

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 一見素気ない文章でありながら、そうかと言ってただの古い学術論文の文体でもない、それとは実は本質的に違うもの、敢えていえば山中峯太郎の小説の中にでもありそうな軍令のように、颯爽としたリズムと、イメージを喚起する力をもった文である。様式的な短い文章の背後に、あたかも椛島勝一のペン画の中の、風をはらんだ白い帆のように、少年の夢があふれんばかりになって待機しているのである。 (文庫版 71頁)

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まさに卓見。文章の妙味を叙して遺憾がありません。

さて、こうして話は振り出しに戻り、戦前の少年の夢と台湾とが再びガッチリつながるのです。そしてまた、戦前の少年の夢に仮託して、21世紀の中年の夢もはるか南方へと放射されてゆくのです。

(ソレニシテモ、上ノ挿絵ハ「くうる」デ、格好良イデスネ。)