理科室にたたずむ白い影2008年04月12日 09時40分33秒


真っ暗なトンネルを手探りで歩きながら、遠くにぽつんと光が見えてきた…そんな状況です。もう一息。

 ★

さて、多忙なときは息抜きとして、ヒマなときはヒマだから、結局常時モノを買っているので、いろいろとり上げたいモノも多いのですが、とりあえず今日は理科室の絵葉書を1枚載せておきます。

理科室の内部ではなく、その外部を写した比較的珍しいもの。
キャプションには、

 水原小学校開校満二十周年記念
 (其ノ四) 校舎ノ一部(理科室)

と書かれていますが、場所不明。売り手の方は「朝鮮?」と注を付けており、調べてみると確かにそれらしい場所もあるので、日本治下の半島の様子なのかもしれませんが、どうもはっきりしません。

瓦葺きの独立した建物。こうした形式の理科室もあったのですね。
左手には車寄せの付いた出入口が見えますが、そこからこちらをジッと見る1人の少女。

この絵葉書は戦前の、それもかなり古い時代のものだと思いますが(※)、少女の服装が昭和30年代チックというか、妙に新しく見えるのもいっそう謎めいた感じです。「学校の怪談4」にこんな子が出てきませんでしたか(校舎が津波に呑み込まれ水死した子どもの霊が云々という話)。

これは何という印刷形式なのか、セピア色の画像は全体におぼろで、すべてが夢の中の光景のようです。



(※)下記サイトによると、日本の絵葉書は、「通信文記載欄の有無」、「名称が “きかは便郵” か “きがは便郵” か(濁点の有無)」 等が判別の目安になるそうです。この基準に照らすと、この絵葉書は明治30年代という、実に古いものとなるのですが、果たしてどんなもんでしょうか。デザイン的には大正~昭和1ケタぐらいの感じを受けます。ちなみに日韓併合条約の締結は明治43年(1910)のことでした。

■絵葉書資料館「絵葉書の年代推定法」  http://www.ehagaki.org/contents11.html

コメント

_ 近藤二郎 ― 2008年04月13日 22時51分18秒

とても趣のある建物ですね。「朝鮮?」とのことですが、
私としては新潟県阿賀野市岡山町の水原(すいぜん)小学校の木造校舎の写真と同じような感じがします。
あくまでも「感じ」です。
http://suibara-es.agano.ed.jp/mokuzo-koka/mokuzoukousya1.htm

_ 近藤 ― 2008年04月13日 22時53分28秒

「すいばら」の誤りでした!ごめんなさい。

_ 玉青 ― 2008年04月14日 20時52分23秒

情報をありがとうございました!

こういうことは考証を始めると、時の経つのを忘れてしまうので用心が必要ですが…^^;

さて、阿賀野市の水原小学校は、ご紹介のページによると明治5年の創立。とすると、創立20周年の頃でも、まだ絵葉書そのものがないという、恐ろしく古い学校ですね。また同校の木造校舎は、昭和6年竣工だそうですので、いずれにしても件の絵葉書とはちょっと時代がずれるようです。

ただ、校舎の感じは確かによく似ています。明治初期の開智学校などとはまた異質の、「量産型木造校舎」の典型的な造りで、時代的にはやはり昭和一ケタというのが、いい線かもしれません。

なお、半島の「水原市」は、Google等でざっと当ったところ、ソウル近郊、京畿道の道庁所在地で、1918年(大正7)には水原高等農林学校が創立されたりしているので、水原小学校があっても、不思議ではないと考えました。それと、今気づいたのですが、この絵葉書の裏面には鉛筆で薄くハングルらしい書き込みがあります(まったく読めませんが)。

他にも、水原小学校というのは国内に何箇所かあるようで、その辺からじわじわ絞り込んでいくと、いずれ正体が判明しそうです。

_ 近藤 ― 2008年04月14日 22時25分32秒

おっしゃるとおりですね!!日本統治下の朝鮮半島にも水原小学校があったようですね。日本国内では、阿賀野市の他、福島市などありますけれど、やはりここは半島の方が可能性があるようですね。また、情報調べてみます。

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック