渦巻き論争と宇宙イメージ…賢治の生きた時代2008年04月30日 22時25分23秒

(R.ベレンゼン他著 『銀河の発見』、地人書館、昭和55)


銀河を超えて、銀河団、超銀河団、グレートウォール…と宇宙の大規模構造が語られる時代に、「島宇宙説」と言葉にすると、何だかその仰山さが妙なおかしみすら生むようです。

しかし、ある程度以上の年齢の人は、「アンドロメダ大星雲」とか「マゼラン雲」という言い方が耳に親しいはず。
これこそ、渦巻き銀河(渦巻き星雲)は我が銀河系に付属する、比較的小さな天体に過ぎないという、過去の「星雲説」の残滓で、それを思うと、自分がとても旧弊な人間に思えたりします。

昨日の「渦巻き星雲」のシガレットカードは、「天空旅行」展の翌年に発行されたものですが、裏面には以下のような解説があります。

「…しかし、その性質はまだ十分理解されていない。
 それらが非常に遠くにあることは確かで、恒星の輻
 射圧によって銀河系(Milky Way)から放出された
 と考えられている。これら巨大な渦巻き星雲は、凝
 縮して最終的に我が太陽系と似た星の集団になると
 信じられており、さらに我が太陽系は渦巻き星雲に
 他ならぬのではないかと示唆する天文学者もいる。
 (適当訳)」

1920年代後半、島宇宙説が徐々に優勢になりつつありましたが、まだ自明ではなかったことが、この1枚のカードからも分かります。
ハッブルの業績によって、論争に最終決着がついたのは1930年代半ばのことなので、厳密にいうと賢治は論争の帰趨を見ずに逝ったことになります(1933年没)。

その辺の事情は上記の本に詳しいのですが、ただ、「島宇宙説」対「星雲説」の決着はもっと早期に着いており、賢治の晩年には事実上「島宇宙説」が定説化していたという指摘もあります。

いずれにしても、賢治はその端境期の人であり、星雲説が優勢な時代に「銀河鉄道の夜」を書き始め、島宇宙説が伸張した時代にも熱心に推敲を続けました。そのことが小説にどう影響したかは不明ですが、「ぎんが」の意味合いが大きく変わりつつあることを、彼が意識していたのは間違いないでしょう。

彼があと5年生き永らえたら、冒頭の「午後の授業」のシーンはどう変わったか。そしてストーリー全体がどう変形したか。もちろん、いくら考えても答は出ませんが、興味深い点だと思います。

(この項つづく)

コメント

_ S.U ― 2008年05月03日 19時13分04秒

玉青様、興味深く読ませていただきました。
星雲←→島宇宙の歴史については、ここのところ、現代の常識にとらわれて
ずーっと忘れていましたが、私はいまだに銀河系以外の銀河を「銀河」と呼ぶ
のには抵抗があります。ちっとも「河」の形をしていないじゃないか!、と
ツッコミを入れたくなります。明らかに旧弊な人間です。

今回読ませていただいて、宇宙が拡がった時代を感じました。同時に、いくつ
かの疑問が出てきました。それで、このさい、とりとめもなく質問させていた
だきます。ご容赦下さい。

W・ハーシェルの力作に「天の川宇宙の恒星の分布」というのがありますが、
これがアンドロメダ星雲の形と似ていることを指摘した人は、ハーシェルの
時代にはいなかったのでしょうか。

宮沢賢治の星めぐりの歌に「アンドロメダのくもはさかなのくちのかたち」と
いうのがありますが、賢治はアンドロメダ星雲の正体についての知識や興味が
あったのでしょうか。

稲垣足穂の「似而非物語」(初出1928)に「時空の構造で星雲が生成される」など
とするような前衛的な説が出てきます。(この説が初期の稿に入っているかどうか
は確認していません)この時期の足穂の天文学説はどれもハッタリだと思いますが、
モチーフとしてはどこにあったのでしょうか。

また、適当に取捨いただいてコメントをいただければ幸いです。

_ 玉青 ― 2008年05月04日 08時01分28秒

>ちっとも「河」の形をしていないじゃないか!

まさに!(笑)

さて、濃い質問なので、あまり的確な答ができそうにありませんが、以下ラフスケッチです。(釈迦に説法どうぞご容赦ください。)

■W・ハーシェルの力作に「天の川宇宙の恒星の分布」というのがありますが、これがアンドロメダ星雲の形と似ていることを指摘した人は、ハーシェルの時代にはいなかったのでしょうか。

○島宇宙説が星雲説を駆逐した…というのは、宇宙論の発展の後段の部分で、実はそれ以前に星雲説が島宇宙説を駆逐した前史がありました。つまり、ガス状星雲の発見以前は、すべての星雲が星の集団であり、天の川と同等の存在とするアイデアが優勢で、ハーシェル自身もそうした構想を抱いていました。

「われわれは空が明るい帯に囲まれている現象を天の川(Milky Way)と呼び慣わしているが、いくつかの顕著な星雲は、我々の恒星系よりも多分もっと大きい体系であると指摘しても誤ではないであろう。それらはわが恒星系と同様に細長く伸びており、その中の恒星に付随した惑星上の住人は、天の川と同じ現象を見るにちがいない。そこでこれらの星雲を、区別のために小文字のmilky wayと呼んでもよいと思う。」

1785年の彼の言葉だそうです(前掲『銀河の発見』、p.9)。ハーシェルの時代は純粋に眼視の時代で、星雲の渦状腕の存在はまだ知られていませんでしたから、アンドロメダ星雲と、「天の川宇宙」の外形的類似は、いっそう強く感じられたことでしょう。

彼は後に惑星状星雲を発見し、上のような自説を撤回しますが、この「初期・島宇宙説」は観測に基づかない、純粋に思弁の産物だったので、天文学の発展の過程で廃棄されても止むを得なかったと思います。


□■宮沢賢治の星めぐりの歌に「アンドロメダのくもはさかなのくちのかたち」というのがありますが、賢治はアンドロメダ星雲の正体についての知識や興味があったのでしょうか。

○島宇宙説が話題になるとき、いつも真っ先に持ち出されたのがアンドロメダ星雲までの距離の問題なので、これが島宇宙の代表的な例だという知識は当然あったと思います。


□□■稲垣足穂の「似而非物語」(初出1928)に「時空の構造で星雲が生成される」などとするような前衛的な説が出てきます。(この説が初期の稿に入っているかどうかは確認していません)この時期の足穂の天文学説はどれもハッタリだと思いますが、モチーフとしてはどこにあったのでしょうか。

○恥ずかしながら「似而非物語」そのものを読んでいないので、何とも言えませんが、この作品の下敷きになったのは、「近代物理学とパル教授の錯覚」と「P教授の貝殻状宇宙」という先行する2作品だそうで、その辺の事情は、後年の回想録「ロバチェフスキー空間を旋りて」に綴られています。それを読むと、モチーフとしては当時のアインシュタイン・ブームと、それと表裏を成す「トポロジー趣味」らしく、彼は学生時分から盛んにロバチェフスキー空間やら、リーマン空間やらを振り回していました。まあ、それと「時空の構造で星雲が生成される」という言説がどう結びつくかは、よく分かりませんが、多分に「ムードとハッタリ」めいた感じはしますね。

_ S.U ― 2008年05月04日 12時07分09秒

玉青様、詳細なお答えありがとうございました。天文古玩を拝見しておりますと、潜在的な
疑問が顕在化することがしばしばあって、ご面倒をおかけしておりますがご容赦下さい。

■W・ハーシェル:この前史については不勉強ながらまったく知りませんでした。ハーシェル
の活動中期にすでにそういう直感があったとは驚きです。当時は我が銀河系の大きさを
過小評価していたという事情も重なっていたのではないかと思います。小文字の「銀河」の
創始者がハーシェルということならやむを得ません。ツッコミはもう入れないことにします。

□■宮沢賢治:この「さかなのくちのかたち」は、「意味が謎」という説や「うお座」との関係を
指摘する説もありますが、私には「魚の口」はけっこう単純に当を得た比喩のように思えます。

□□■稲垣足穂:草下英明の評論に、足穂の作品の宇宙では「太陽系と宇宙の果てまでの
あいだの空間がすっとんでいる」というようなのがあったと思います。「星雲」はこの隙間を埋める
例ではないかと目を引かれました。「星雲の生成」は、ハッタリだとすれば若い時のアイデアだ
と思いますが、「パル教授、P教授」を見ていないので何とも言えません。ご指摘を受けた
「ロバチェフスキー...」を見ますと「『パル教授』は聞きかじりのリーマン幾何学で書いた」
というような意味のことが書いてありました。そのころは、宇宙論と具体的な天体は彼にとって
別個の趣味であって、そのあいだの論理的関連が薄かったために「あいだがすっとんでしまった」
のかもしれません。

_ 玉青 ― 2008年05月04日 16時50分47秒

ご質問をいただくことで、いろいろ考えを深める(無知を自覚する、とも言います。^^;)きっかけとなりますので、今後ともご指摘よろしくお願いします。

タルホについては、あまりハッタリハッタリと言うと、ご当人に申し訳ないので(汗)、いま少し紙背に目を凝らしてみようと思います。

_ S.U ― 2008年05月04日 20時06分01秒

玉青様、
たしかに足穂先生の文学をハッタリ呼ばわりしては、すべてがミもフタもないことになりかね
ませんね。ここで、ハタと気が付いて書棚からホコリまみれの「彗星問答-私の宇宙文学」
(1985刊)を取り出してみますと、「パル教授」(1928)も「P博士」(1930)も収録されて
いました。ついていけそうにない内容なので斜め読みしてみますと、なるほど円錐宇宙も、
非ユークリッド幾何も、曲がった空間も渦状星雲もすべてでてきますが、「星雲の生成」は
後年に手を加えられたものかここには見あたりませんでした。

 モチーフについては、私の材料不足のためすぐには手に負えそうにはありませんが、
(1)彗星の軌道と円錐曲線(←ポン彗星)(2)非ユークリッド幾何学(←学校の先生・友人)
(3)正の曲率を持つ宇宙空間(←アインシュタイン他)(4)島宇宙の距離と物質量(←天文台
での観測)は、すでにすべて出そろっているようで、それぞれの起源からの興味が不可解な
論理で寄せ集められているように感じられました。表面的にわかったことはこれくらいです。
これ以上の追求はまたぼちぼちにさせていただきます。

_ 玉青 ― 2008年05月05日 14時12分11秒

>不可解な論理で寄せ集められて

ここで声を出して笑いました(笑)。
そう、何せ相手は「怪人」ですからね。
その思考の道筋を追うのはなかなか手強そうです。

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
このブログのタイトルを平仮名で書くと、「○○○○こがん」です。○○○○に入る4文字は?

コメント:

トラックバック