神戸、悲運の巨人望遠鏡(5)2010年02月26日 20時46分14秒

(↑戦災後の神戸海洋気象台。『ふたたび太陽を追って』より)

今、あらためて検索したら、クック望遠鏡については前記『ふたたび太陽を追って』をダイジェストする形で、以下のようなページがすでにありました(管理されている方のお名前が分かりませんが、個人サイトです)。

○神戸の“たいよう”ものがたり
 http://homepage2.nifty.com/kobeport/monogatari/taiyo.html

写真も豊富ですので、クック望遠鏡の歴史については、上のページも併せてご覧ください。

   ★

以下、ざっとあらましだけ書いておきます。

この望遠鏡は、戦後の一時期、大気乱流を研究する目的で、主に星のシンチレーション(またたき)を観測するのに使われましたが、それ以外はドームの中で完全に「お蔵入り」の状態でした。

これに胸を痛めた、地元の東亜天文学会関係者等の熱心な働きかけもあり、結局、望遠鏡は昭和42年(1967)、神戸市に移譲されることになりました。そのときの委譲価格は、戦前の値札のままの5万円(お買い得!)。

『ふたたび…』には、それに先だって現況調査に当たった、京都の西村製作所社長・西村繁次郎氏の私信が収められています。

「二十五センチ屈折望遠鏡・日本でも有数の望遠鏡が全く荒れて
いるので驚いた。余りにも、使用並びに手入れがされていない。
器械は使用しておれば、ともかく良好な状態なものであるが、
使用されずにあると、見る見るうちに、ほこりやサビや油切れなど
によって不調の原因となる。全く惜しい。」

昭和42年の時点で、望遠鏡はすでに10年以上使用されていなかったので、むべなるかな、です。

受け入れた神戸市側には、当然これを活用して市民天文台を作る計画があったのですが、設置費用と場所の問題で予想外に難渋し、望遠鏡はまたまたお蔵入りとなり、市内の体育館倉庫で箱詰め状態のまま、延々と16年間(嗚呼!)眠り続けることになります。

その後、ポートピアの跡地利用計画の中で、現在地である青少年科学館への設置が決まったのは、昭和56年(1981)のことでした。

昭和58年からは、西村製作所がかかりきりでレストアし、翌年、ポートアイランドの新しいドーム内に据え付け。こうして、クック望遠鏡はようやく安住の地を得ました。考えてみると、ポートアイランドに来るまでの60年間の歴史の中で、この望遠鏡が多少なりとも観測に使われたのは、せいぜい20年間ぐらいですから、いかに不遇の時代が長かったか分かります。

ポートアイランドに来てからは、既に25年経ちますので、望遠鏡にとっては、もはや今の場所がふるさとと感じられるのではないでしょうか。

今後も、この老いたる巨人が永く健やかならんことを…。

コメント

_ ガラクマ ― 2010年02月27日 14時00分33秒

失礼しました。先日の(未記入)は私でした。
昼休みの短い時間に急いて書き込み、確認できておりませんでした。

「○神戸の“たいよう”ものがたり」のご紹介ありがとうございます。
状況はよくわかり、納得の内容です。
やはり、太陽観測だけでも十分に導入の意味があると思っていた私の考えは、大きく外していなかったと確認できて、ほっとしております。

  >”たいよう”の活躍が始まったのは残された文献より、大正13年以降のことだと
  >推察されます。
  >当時、太陽の気象に及ぼす影響として太陽の黒点が注目され出した頃でした。
  >イギリス留学から帰国した関口氏のもとでこの最新鋭機を使って太陽観測が行われ
  >たくさんの重要な論文が発表されていきました。

実は、この望遠鏡はここ数年前にも、同じように廃棄される噂が流れました。
この望遠鏡をお守りしている方から手が離れると言う噂から、噂が噂をよんだものだったと、直接お電話して知りました。
もしそのようなことがありましたら、一番に駆けつけて廃棄の憂き目に会わないようにしたいものです。

_ 玉青 ― 2010年02月27日 17時32分09秒

ああ、やっぱり^_^

ときに、”たいよう”廃棄の噂があったとは!
火のないところに…のたとえ通り、ちょっと油断できない感じですね。
まことに、老巨人の安住の地はいずこに…
ガラクマさんたちの活動の貴重さが改めて感じられます。

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