足穂の里へ2011年08月30日 22時17分51秒

(明石の町。向こうに見えるのは明石海峡大橋と淡路島。手前は山陽電鉄・人丸前駅)

そういえば、10日前に神戸に行ったことを書くのを忘れていました。

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足穂といえば、もちろん神戸です。

でも、足穂の生活のベースは長く明石でした。彼の両親も明石の産ですから、足穂にとっては明石こそが、血と骨を作った故郷だと言えます。旧国名でいうと、大阪や神戸は摂津だが、明石は播磨であり、自分は播州人なのだ…というようなこだわりを、彼自身どこかで書いていたような気がします。

大阪・船場に生まれた足穂が、明石に引っ越したのは明治40年(1907)、彼が小学校1年生のときです。それ以来、大正10年(1921)に21歳で上京するまでの14年間、すなわち人生においていちばん多感で、夢みがちな時期を、彼は明石で過ごしました。『一千一秒物語』の原型が生まれたのもこの時代です。

その後、約10年間の東京暮らしを経て、昭和7年(1932)、32歳で帰郷した彼は、両親との葛藤、恐るべき酒毒、経済的困窮、人間不信などを経験し、4年後には全てがドン詰まりの状態で、再度東京に出奔しますが、この間の体験は、後に文学作品として昇華されます。

この2度の明石暮らしの間、東京時代にも帰省する機会はあり(兵役の簡閲点呼のようなややこしいことがあったためです)、名作「星を売る店」はそうした折に明石で執筆されたものです。

足穂を語る上で、明石を避けて通ることはできないので、今回は神戸を越えて、播州明石に足をのばすことにしました。

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それにしても、今回の明石訪問で痛感したこと。
それは、明石には足穂の文学碑などどこにもないという事実。
いささか侘びたる心地して明石をブラブラしたのですが、足穂にとっては、その方がいっそ幸せだったでしょう。

(この項つづく)