夏休みは理科室へ…理科室の怪談(その3)2011年08月08日 20時40分56秒


(↑理科器材メーカーの広告。昭和30年)

時代を少し戻って、以下は再び昭和30年代の怪談です。
長いですが、全文引用します(途中の1行空けは引用者)。

■事例5
「魂のおとずれ・その一

 長野県の千曲川ぞいにある埴科郡戸倉町の中学に、姉の息子が勤めていて、昭和三十一年の秋の夕方、電話をかけてきました。
「叔母さん、今夜花火見にこないかね」
「そうね、ここからは.バスもあるし、いこうか」

 というわけで、戸倉町へやってきました。待ちくたびれていた甥と連れだって外へ出ましたが、今夜は黒山の人だかりで、押しあい、へしあい、とうとう花火も踊りもあきらめて、「学校へでもよって帰るとするか」ということになり、裏道をぬけて中学の庭にきました。

学校は静かでした。たまに花火やお宮のおはやしの音が遠いところからきこえます。
「あそこがね、ほら二階のまん中辺。あそこがクラスの教室で…」
 といいかけてやめたので、わたしはそのまん中辺を見ました。橙色と緑色を合せたような美しい色の火の玉がおりてきて、すいーっと尾をひいてまた屋根の上に上っていくではありませんか。またおりてきて今度は水平にゆらり、ゆらりと波打って、すいーっと教室の窓の中へ入ってしまいました。見ていた甥は、
「あそこは理科室だ。叔母さん先に帰っててくれないか」
 というなり宿直室めがけて駆けだしました。火の玉はそれっきり出てきませんでした。

 その夜おそく帰った甥はこんな話をするのでした。
「あれから宿直の人と一緒に理科室へいってみたのだけれど、火の玉はいなかった。二人ともやたら寒くて、ぶるぶる、ふるえて懐中電燈だけ頼りに室内を見てまわったのだけれど、最後に教壇の協にある、夏休み中の生徒の作品を見た時、ギョッとして息がとまりそうだった。というのは、そこに青白く光っているのはA君の夏休み中の作品で昆虫標本だったのだが、A君は夏休み中の或る日、千曲川で溺れたのだよ。十日目ごとの夏休み登校日にその作品を持ってきた時のA君は得意気で、誰にもさわらせなかった。それを『おいA君、ちょっとの間貸しとけよ、学校中の先生に見てもらいたいし、君だってその方がいいだろ』っていうと恨めしそうに、父ちゃんと三日がかりで作ったのだもの、とぐずぐずいうのを、いいじゃないか、な、な、と、あまりの蝶の美しさについひかれて説き伏せてしまった。それから三日後にA君は死んだんだ」
暗然とした甥は、大きなため息をしました。

 次の日、早速標本を丁寧に布に包んでA君の家を訪れ、仏前に供え、心から詫びたと申しますが、A君のお母さんは、
「あれはお祭りが好きでやしてな、きっとお祭りを見に来たついでに、標本を見に寄ったんでやしょ、気にしないでおくんなしゃ」
 と淋しく笑ったそうです。 長野県・多田ちとせ/文」
(松谷pp.143‐45)

良い話です。恐いというよりは、哀切な話ですね。科白まで詳細に書かれていますが、もちろん全てが実話ではないでしょう。(と私は睨んでいます。)
理科室、蝶の標本、水死した中学生、祭りの晩、母の嘆き…そうした素材を、古典的な怪談の筋立てを使って、実に印象深くまとめています。蝶は伝統的に亡き魂の象徴でもあるので、その辺も効いています。

   ★

さて、以下はより新しい時代の怪談です。

■事例6
「神奈川県川崎市のある中学校。昭和五十年頃の話。理科の○○先生は数年前に亡くなったが、その後、夜中の理科室にぼうっと明りがともり、○○先生が片手にフラスコ、片手に試験管を持ち、笑いながら立っているのだといいます。理科室にかけられた時計は、○○先生が寄贈されたものだそうです。僕が小学校六年の夏の夜、盆踊りの帰りに兄の友人から、その学校の門の前で聞いた話です。 回答者・加地仁(神奈川県在住)。」 (松谷pp.165‐66)

マッドサイエンティスト風の幽霊ですね。何となく、アメリカンコミックの影響を感じます。この幽霊には間違いなく足があるので、じめっとした旧来の幽霊と一線を画しているのは確かです。

■事例7
「学校によっては、ホルマリン漬のカエルが鳴きだすとか、夕方一人で理科室にいるとガイコツの模型がうしろから肩に手をかけて「ねえ、背くらべしようよ」と話しかけてくるなどという。」 (常光p.42:話者については説明なし)

この話は、昨日の「顔面4分の1標本」の話の説明として出てくるので、やはり1980年代の採録かと思います。ここまで来ると、すっかり「平成風・理科室の怪談」となっています。

(この項つづく。次回は全体考察編です。)