図鑑史逍遥(9)…『内外植物原色大図鑑』(後編) ― 2013年10月15日 05時59分24秒
とにかく大部な図鑑ですので、ずらずら画像を貼ってその紹介に代えたいと思います(全体に光量不足で暗い写真になりました)。
(ユキノシタの仲間)
(「内外」を謳うだけあって、ヤシの仲間も登場します)
(穂のバリエーションに目を奪われるイネ科植物)
(隠花植物の代表、シダ。緑が美しい)
(藻類)
(当時は菌類を独立させる考え方がなかったので、キノコも隠花植物。…といって、生物の分類法は日進月歩、ポピュラー・サイエンスの本で馴染んだ「5界説」も、とっくに過去の学説になっているそうで、今や何が正しいのかよく分かりません。)
(当然の如くに細菌も植物の一種)
(インフルエンザ菌というのは、インフルエンザ・ウイルスの間違いではなくて、かつてインフルエンザの病因と誤認された細菌のこと。誤解が解けた今も、そのままの名称で呼ばれているそうです。ちなみにインフルエンザの原因がウイルスと判明したのは、この『内外植物原色大図鑑』発刊と同じ1933年のこと。←ウィキペディア情報)
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こういうのを見ていると、「図鑑美」とか「図鑑趣味」ということを改めて考えます。
たとえば、世の中には図鑑少年(少女)と呼ばれる存在がいます。彼らは日がな一日飽かず図鑑を眺めて、果てはすべてのページを暗記するに至りますが、図鑑は少なくとも一部の人の心を強烈に捉えることは紛れもない事実。
それはなぜか?
…といえば、おそらく世界を秩序づけたいという、人間の深い衝動に根差しているのでしょう。この世界に最初から<意味>があるのかどうかは分かりませんが、少なくとも人間はそこに意味を欲するし、理解したいという欲があります。これはもう人間の本能というか、業(ごう)のようなものだと思います。
人間のすべての知の営みは、そのためのものとすら言えるでしょうが、その入り口にあるのが、具体的に目に見え、手で触れることのできる対象を、秩序付けたいという分類欲求であり、それが図鑑の作り手と読み手の双方を、強く動機付けていることは間違いないでしょう。
しかし、対象を分類して並べると、それだけで「美」が生じる(ように感じる)のは一体どうしてか?
「図鑑美」というのは、描かれた対象の美醜とは別に、そこに存在する秩序そのものが美しいという感覚が大きいのかなあ…と思います。秩序そのものという言い方は、はなはだ抽象的に感じられますが、本来抽象的なはずの<秩序なるもの>が、しかと目に見える形をとっている点が図鑑の特質であり、その意味で、良き図鑑制作者とは、すなわち良きデザイナーであるのでしょう。
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