心のかはず天にきこゆる ― 2017年06月08日 21時29分19秒
全国的に梅雨入り。
でも、昼過ぎには雨も上がり、帰り道には真珠色の月が光っていました。
★
今日の「天声人語」は、雨にちなんで蛙の記事でした。
私もカエルが好きです。カエルにどんな感じを抱くかは人それぞれでしょうが、子ども時代の私にとって、カエルは自然そのものの象徴――より正確には、当時憧れた「いなか」の象徴――でした(何と言っても昆虫少年でしたから)。
砂泥質の水底に光が揺らめく中を泳ぐオタマジャクシの群れ。
アカガエルの卵塊を手ですくったときの、くすぐったい感触。
水稲の青と競うトノサマガエルの鮮緑の斑紋。
アカガエルの卵塊を手ですくったときの、くすぐったい感触。
水稲の青と競うトノサマガエルの鮮緑の斑紋。
ウシガエルの大きなオタマジャクシを飼っていた時は、どんなに大きなカエルになるのだろうと楽しみでしたが、何だかカエルに近づくにつれて、だんだん身体が小さくなっていくのでガッカリした…なんていう幼い思い出に共感してくださる方も、きっといらっしゃるでしょう。
そして、これが今いる部屋の隅に座っている蛙です。
いわゆる「教育玩具」なのでしょうが、「4D VISION」という動物模型シリーズの1つ。
きっと3次元の生物も、4次元方向から見れば、こんなふうに中身が丸見えなんだよ…という意味で、「4D」と銘打ったのでしょう。いわば高次元生物の視知覚の疑似体験です。
まあ、これはこれで面白いんですが、やっぱり今の自分は、生き生きとした自然からは遠ざかっているなあ…という反省と、それを寂しく思う気持ちがあります。
(今日の「天声人語」 冒頭)
コメント
_ S.U ― 2017年06月09日 07時43分11秒
_ 玉青 ― 2017年06月09日 21時57分56秒
今日の記事でも触れたように、私は「解剖経験世代」のはずですが、小学校のフナは経験したものの、中学校のカエルは未経験で、その意味では過渡期だったようです。でも、授業以外のクラブ活動で、カエルの解剖と骨格標本作りは経験しました。
しかし、カエルの調理経験はさすがにないですねえ。まあS.Uさんの場合、必ずしも解剖とセットではなかったでしょうが、命の大切さと解剖実習を両立させるためには、やはり胃の腑に収めるというのが、最も適当な方法もしれませんね。
しかし、カエルの調理経験はさすがにないですねえ。まあS.Uさんの場合、必ずしも解剖とセットではなかったでしょうが、命の大切さと解剖実習を両立させるためには、やはり胃の腑に収めるというのが、最も適当な方法もしれませんね。
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小学生の頃はカエルが大好きで、近所の子とハンティングをやっていました。カエルを数匹集めてはそれぞれに「カエル伯爵」などと名前をつけて教練やスポーツ大会をさせていました。また、食用ガエルを獲って来て、自分たちで我が家の七輪を利用して料理するのが一時流行しました。今から思うと野蛮なようですが、当時は田んぼや池に大きな食用ガエルが多数いて夜中に大声で鳴いて迷惑だったので駆除になって喜ばれるくらいでした。