清濁のはなし2018年05月30日 07時15分25秒

本編のおもちゃの話は一休み。
私は清酒も濁り酒も好きで、しょっちゅう清濁併せ呑んでるんですが、それに関連して、昨日ぼんやり考えたことを書きます。

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閑語(ブログ内ブログ)

世間には、「何を甘っちょろいことを言ってるんだ。世の中、建前やきれいごとで動いていると思ったら大間違いだぞ。汚れ仕事をする人がいるから、世の中回ってるんだ。」…という「本音万歳」の人もいるでしょう。現政権支持者の中にも、そういう意見が少なくないのかなあ…と想像します。

たしかに、「世の中には汚れ仕事もある」ことは、私も否定しません。
齢を重ねれば、社会のいろいろな裏表を目にするものです。
そもそもヒトの行動の少なからぬ部分が、攻撃性や支配欲に発しており、それが往々良くない形で表現されるのは、避けがたいことです。

でも、だからこそ人間は「きれいごと」を必要とするのです。
建前がまず厳然とあって、なおかつ「まあ、建前はそうだけど…」と小声で呟きながら、何やかんやすることで、世の中は微妙なバランスを保っているわけです。…と書くと、結局、私が言っていることは、上の本音万歳氏と、あまり変わらないことになります。

現在、国内の分断が進んでいて、政権支持者と政権批判者の間で、「ああいう連中とはまるで話にならん」と、互いに息巻く場面が多いですが、上のように考えると、共通言語が全くないわけでもありません。本音万歳氏だって、「じゃあ、お前さんは建前の一切ない、本音だけの世界があったら、一家で引っ越したいかい?」と問われたら、大いに悩むんじゃないでしょうか。

その上できっぱりと言いたいです。
社会をまとめあげている建前を破壊したことこそ、安倍政権の最大の罪であると。

「モラルと建前は根本的に違うよ」と思われるかもしれませんが、現在「モラルハザード」という言葉で行われている政権批判を、私なりに下世話にくだけば、上のような言い方になります。

まあ何にせよ、トップがウソをつき放題、ウソがばれても平気の平左…なんていうのは、本音と建前以前の話で、すでに人間社会の体を成していません。