フラマリオンの部屋を訪ねる(後編)2021年10月16日 17時24分57秒

フラマリオンの観測所にして居館でもあったジュヴィシー天文台は、これまで何度か古絵葉書を頼りに訪ねたことがあります。まあ、そんな回りくどいことをしなくても、グーグルマップに「カミーユ・フラマリオン天文台」と入力しさえすれば、その様子をただちに眺めることもできるんですが、そこにはフラマリオンの体温と時代の空気感が欠けています。絵葉書の良さはそこですね。


館に灯が入る頃、ジュヴィシーは最もジュヴィシーらしい表情を見せます。
フラマリオンはここで毎日「星の夜会」を繰り広げました。


少女がたたずむ昼間のジュヴィシー。人も建物も静かに眠っているように見えます。

(同上)

そして屋上にそびえるドームで星を見つめる‘城主’フラマリオン。
フラマリオンが、1730年に建ったこの屋敷を譲られて入居したのは1883年、41歳のときです。彼はそれを天文台に改装して、1925年に83歳で亡くなるまで、ここで執筆と研究を続けました。上の写真はまだ黒髪の壮年期の姿です。


門をくぐり、庭の方から眺めたジュヴィシー。
外向きのいかつい表情とは対照的な、穏やかな面持ちです。木々が葉を落とす季節でも、庭の温室では花が咲き、果実が実ったことでしょう。フラマリオンは天文学と並行して農業も研究していたので、庭はそのための場でもありました。

   ★

今日はさらに館の奥深く、フラマリオンの書斎に入ってみます。


この絵葉書は、いかにも1910年前後の石版絵葉書に見えますが、後に作られた復刻絵葉書です(そのためルーペで拡大すると網点が見えます)。


おそらく1956年にフラマリオンの記念切手が発行された際、そのマキシムカード【参考リンク】として制作されたのでしょう。


葉書の裏面。ここにもフラマリオンの横顔をかたどった記念の消印が押されています。パリ南郊、ジュヴィシーの町は「ジュヴィシー=シュロルジュ」が正式名称で、消印の局名もそのようになっています。
(さっきからジュヴィシー、ジュヴィシーと連呼していますが、天文台の正式名称は「カミーユ・フラマリオン天文台」で、ジュヴィシーはそれが立つ町の名です。)


書斎で過ごすフラマリオン夫妻。
夫であるフラマリオンはすっかり白髪となった晩年の姿です。フラマリオンは生涯に2度結婚しており、最初の妻シルヴィー(Sylvie Petiaux-Hugo Flammarion、1836-1919)と死別した後、天文学者としてジュヴィシーで働いていた才女、ガブリエル(Gabrielle Renaudot Flammarion、1877-1962)と再婚しました。上の写真に写っているのはガブリエルです。前妻シルヴィーは6歳年上の姉さん女房でしたが、新妻は一転して35歳年下です。男女の機微は傍からは窺い知れませんけれど、おそらく両者の間には男女の愛にとどまらない、人間的思慕の情と学問的友愛があったと想像します。


あのフラマリオンの書斎ですから、もっと天文天文しているかと思いきや、こうして眺めると、意外に普通の書斎ですね。できれば書棚に並ぶ本の背表紙を、1冊1冊眺めたいところですが、この写真では無理のようです。フラマリオンは関心の幅が広い人でしたから、きっと天文学書以外にも、いろいろな本が並んでいたことでしょう。


暖炉の上に置かれた鏡に映った景色。この部屋は四方を本で囲まれているようです。


雑然と積まれた紙束は、新聞、雑誌、論文抜き刷りの類でしょうか。

   ★

こういう環境で営まれた天文家の生活が、かつて確かに存在しました。
生活と趣味が混然となったライフタイル、そしてそれを思いのままに展開できる物理的・経済的環境はうらやましい限りです。フラマリオンは天文学の普及と組織のオーガナイズに才を発揮しましたが、客観的に見て天文学の進展に何か重要な貢献をしたかといえば疑問です。それでも彼の人生は並外れて幸福なものだったと思います。

なお、このフラマリオンの夢の城は、夫人のガブリエルが1962年に亡くなった際、彼女の遺志によってフランス天文学協会に遺贈され、現在は同協会の所有となっています。

コメント

_ S.U ― 2021年10月16日 18時06分18秒

前回、フラマリオンのつかみ所のないと書きましたが、おかげさまでそれが少し減ったように思います。

 私のような者が見るところでは、あてにはなりませんが、この人の姿勢には一本テーマが通っていて、それは、「教育とエンターティンメント」だと思います。フラマリオンの本に有名な恒星天の球殻の外側を見る古風な図がありますが、あれは、時代は違いますがセラリウスの星図帳『大宇宙の調和』との共通点を感じます。また、これとともに気球を使った観測や火星人説から、観測者の視点位置を変えることが、その発展的テーマだったと思います。もちろん、これが全部ではないでしょうが、強力なテーマの通ったタイプの研究者であることは言えると思います。

_ パリの暇人 ― 2021年10月17日 07時44分06秒

フラマリヨン天文台、懐かしいです。大昔の1987年に、当時内部が荒れ果てた状態のこの天文台を、フラマリヨン天文台の保管責任者であったフランス天文学会副会長J. ペルネ氏のご好意で特別に訪問することが出来、アントニアディの火星のオリジナルデッサンとか貴重な物を色々見せてもらいました。
そのペルネ先生も4年前に鬼籍に入られてしまいました。
当方月刊天文の1988年4月号に簡単な訪問記を書きました。
フラマリヨンは偉大な天文学の普及者で今でもフランス天文学会では神のごとく尊敬されています。フラマリヨン = (山本一清+野尻抱影)÷2 といったところでしょうか。

_ 玉青 ― 2021年10月17日 09時24分06秒

○S.Uさま

>教育とエンターテインメント

それはありそうですね。彼は想像力の豊かなアイデアマンであり、その文章には人を奮い立たせる力がありました。上で彼のオーガナイズの才を述べましたが、もうちょっとニュアンスを出すと、一昔前の「オルグ」の才ですよね。そして1つ前の記事で書いたようなカリスマ性。彼の一生は、人の心を動かし続けた一生と言えるのではないでしょうか。

○パリの暇人さま

天文台の内部がひどく荒廃していた時期もあったのですね。それは意外でした。
今はすっかり綺麗になったようですが、貴重な史跡が今後も長く保存され、偉人の記憶と共に後世に伝わることを願うばかりです。(月刊天文の該当号、地元の図書館に所蔵されているようですので、早速拝見してきます。)

>フラマリヨン = (山本一清+野尻抱影)÷2 

前の記事で彼のことを「フランスの野尻抱影」と書きましたが、その活躍内容からすれば、これは上の式が正確ですね。(でも何か既視感があったので探したら、自分でも似たようなことを書いていました(笑)。http://mononoke.asablo.jp/blog/2017/10/02/8692444

ただ、山本一清にしろ、野尻抱影にしろ、まだ切手になるほどではありませんから、フランスにおけるフラマリオンの立ち位置を表現するには、日本でいうところの牧野富太郎とか野口英世クラスの影響力を、さらに加味して考える必要があるかもしれませんね。

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