古の神戸を歩く… Landschapboek 新装開店記念 ― 2012年03月28日 21時14分38秒
貧窮スターゲイザーの件は、慎重を期して少し寝かせておきます。
さて、神戸のランスハップブックさんが移転し、3月24日にリニューアルオープンされました。新店舗は、生田街道を越えた、以前よりもちょっと北寄りの場所。
■http://www.tit-rollo.com/lands.html
〒650-0004 神戸市中央区中山手通3-4-1
下のオンラインショップのページで、店内風景のスライドショーを見ることができます。喜ばしいことに、ヴンダーな味わいは依然健在。
■http://landschapboek.muse.bindsite.jp/
★
春を迎え、神戸散歩を楽しまれる方も多いと思いますが、こだわりのそぞろ歩きのお供に、古い神戸地図を一挙掲載します(一部は以前も掲載しましたが、今回はより広域を、より精細な画像で載せます)。以下は大正12年(1923)に駸々堂が出した地図のスキャン画像。
まずは神戸東部エリア。現在の三ノ宮駅(=地図の左端に見える「(阪神)三宮駅」の位置がそれ)から東一帯の地区です。東の端っこ(欄外)には、稲垣足穂が通った、昔の「関西学院」も見えます。
次いで旧三ノ宮駅(現元町駅)を中心とした神戸中央エリア。トアロード、旧居留地を含む、最もハイカラな地区です。
最後は神戸西部エリア。神戸駅周辺およびその西側の地区です。
おまけに記号凡例。
春の深更、足穂の霊気を感じながら、神戸の街をコツコツ徘徊するのもいいかもしれませんね。
コメント
_ S.U ― 2012年03月29日 18時36分09秒
_ 玉青 ― 2012年03月29日 21時08分45秒
詳細なレポートをありがとうございます。
記事を読み返して、「こだわりのそぞろ歩き」というのは、我ながら形容矛盾かと思いましたが(笑)、足穂の文庫本とお好みの飲み物を用意し、地図を眺めながら「脳内そぞろ歩き」を楽しむのも、また至極オツなものかと。
何はさておき、100年後のタルホの後輩たちの前途を祝し、まずは乾杯!
記事を読み返して、「こだわりのそぞろ歩き」というのは、我ながら形容矛盾かと思いましたが(笑)、足穂の文庫本とお好みの飲み物を用意し、地図を眺めながら「脳内そぞろ歩き」を楽しむのも、また至極オツなものかと。
何はさておき、100年後のタルホの後輩たちの前途を祝し、まずは乾杯!
_ S.U ― 2012年03月30日 07時36分57秒
>「こだわりのそぞろ歩き」というのは、我ながら形容矛盾
こだわっているように見えて、じつはテキトーなところで手をうちながら歩いているというところでしょうか。
ところで、御ブログ、2010年04月02日の「タルホの匣…第2夜、三日月」のコメントでも、私は「古典物語」を引用し、新入生にメッセージを送っていました(内容は多少違います)。トシをとると困ったものです。
こだわっているように見えて、じつはテキトーなところで手をうちながら歩いているというところでしょうか。
ところで、御ブログ、2010年04月02日の「タルホの匣…第2夜、三日月」のコメントでも、私は「古典物語」を引用し、新入生にメッセージを送っていました(内容は多少違います)。トシをとると困ったものです。
_ 玉青 ― 2012年03月31日 21時45分43秒
いやいや、大切なことは何度言ってもいいものです。
いっそ、毎年恒例にしてもいいかもしれませんよ!
いっそ、毎年恒例にしてもいいかもしれませんよ!
_ S.U ― 2012年04月01日 07時45分53秒
>毎年恒例
ありがとうございます。 「古典物語」の引用だけでも、数年持ちそうです。
稲垣足穂は中学校の校長先生の必携のネタ本になるかもしれません。まあ、日本人がみな足穂になってしまうかと思うと悪夢ですが。
ありがとうございます。 「古典物語」の引用だけでも、数年持ちそうです。
稲垣足穂は中学校の校長先生の必携のネタ本になるかもしれません。まあ、日本人がみな足穂になってしまうかと思うと悪夢ですが。
_ 玉青 ― 2012年04月01日 08時55分45秒
赤ちゃんも、お年寄りも、Jリーガーも、お天気お姉さんも、みんな足穂…。
なんと恐ろしいことでしょう。
『そしてみんなタルホになった』という小説でも書いてみようかしらん。
なんと恐ろしいことでしょう。
『そしてみんなタルホになった』という小説でも書いてみようかしらん。
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足穂が在学していたのは1914~19年で、そのころの近くの道路や電車の駅のことが作品「私とその家」(改題「夢がしゃがんでいる」)と「古典物語」に少しだけ出てきます。駅名は出てきません。
調べてみると、関西学院の近くの駅で足穂の在学当時にあったのは、阪神電鉄の春日野道駅、脇ヶ浜駅、岩屋駅(古地図の枠外で現在の岩屋駅よりも少し東) と、市電の春日野道電停、熊内一丁目電停(いずれも当時は終点。後者は古地図にある熊内橋通りと春日野道通りの交差点付近にあったらしい)だったようです。東海道線の灘駅、市電の上筒井付近の電停、神戸市内の阪急電鉄線は、まだ開業していませんでした。
足穂は、明石から列車と電車で通学していたのですが、どの駅を利用していたのか知りません。「私とその家」によると「山手通り」を通学していたとありますので、これはこの地図の熊内橋通りのことなのでしょう。おそらく三宮で市電に乗り換え当時の終点の熊内一丁目で降りたのでしょう。
足穂の卒業後、関西学院は西宮に移転し、今は市電も廃止されてしまいましたが、このあたりは学校の多いところなので、現在でもおおぜいの生徒さんや学生さんが足穂が通ったのと同じ道を毎日歩いているのではないでしょうか。
折しも入学の季節、どうか「私とその家」や「古典物語」の主人公のように、現代の若者にも夢と幸福にあふれた学園生活を送ってほしいものです。