巻貝の中の世界2013年10月28日 22時06分44秒



いかにも巻貝らしい姿のテングニシ。
かつて縁日で売られていた「海ほおずき」は、この貝の卵だそうです。


貝のなかを覗き込むために、片面の一部を削ってみました。


よく見ると、貝の中に貝があります。


貝の中の貝の中の…貝の中に貝がある。

巻貝はこうやって自らを飲み込みつつ、ぐるぐる螺旋状に成長を続けていくのですね。
もし、その寿命が無限であったら、貝はどこまでも成長を続け、巨大な塔のように、あるいは峩々たる高山のように聳え立ち、ついには全宇宙を覆いつくすに至るのでしょう。

   ★

足穂の中では、円錐と螺旋がこれまた不思議な結びつきを見せていました。

 「傍らに円錐体への執着が残っていた。このものにミルトンのパンデモニアムを加味して、カクテル調合筒の中で氷片と共に振ったならば、忽ち眼前に、二十世紀須弥山がそそり立つように考えられた。〔…〕

 ― 此処にも問題があった。大円錐がどうして造られたかを、少なくとも暗示する要があった。そこで、食用蝸牛に注射する特殊強精剤を、前記のパル教授が、南溟産の法螺貝に施して途方途轍もない螺旋塔にまで膨らませた、ということにする。〔…〕これをもじって、私は今回のユートピア「螺旋境」の着想を得た。〔…〕

 これが改造誌に発表した『現代物理学とパル教授の錯覚』である。後日書き直して、『P博士の貝殻状宇宙に就いて』(科学画報)になった。その全文が更に訂正されて、『似而非物語』となった。― これには、前に述べたように、枕として円錐宇宙が使われているが、その序でに貝殻宇宙論も書き入れた
」 (「私の宇宙文学」)

   ★

以前コメント欄でHaさんに、夢枕獏の『上弦の月を喰べる獅子』という作品を教えていただき、文庫本を手元に置いています(まだ未読です)。

この作品は、現代を生きる「螺旋蒐集家」と、北上高地で巨大なオウムガイの化石を発見した宮沢賢治が時空を超えて融合し、さらにスメール(=須弥山)の頂上に至って問答を重ね、ついには自分が何者であるかを知る…という、ウィキペディアの内容紹介をつまみ食いしたぐらいでは全く理解できない壮大な作品ですが、こうして並べてみると、賢治、足穂、夢枕獏という3人の作家が、不思議な螺旋を描いていることが感じとれます。

コメント

_ とりかわつくね ― 2013年10月29日 01時01分59秒

 巻き貝の中も、こうして見ると美しいですね。真っ二つに切ったものは見たことがありますが、窓のように削った方が趣がありますね。私には巻き貝という小さな芸術品の中に竜巻が閉じ込められているように見えました。

 時に玉青氏は吉田義昭という詩人の作品をご覧になったことはありますか?私はこの方の「空にコペルニクス」という詩集がとても好きで。目次をご覧になると分かりますが、「水とアルコール」「理想気体科学者」「月齢」など、理科的趣味な詩を多数発表されています。とてもお勧めです。Amazonにもありましたので、ご覧になったことがありませんでしたら是非。

_ S.U ― 2013年10月29日 19時58分02秒

これは貴重な資料ですね。

 タルホの宇宙論には前期と後期があって(戦前編と戦後編と言ってもいいですが)、後期は現代物理学(20世紀の宇宙論)が反映されているが、前期はタルホの個人的な観念に基づいたものだと見ています。ところが、このご引用を見ますと、そうでない可能性も考えるべきではないかと思いました。いったい、こんな大円錐が宇宙のどこにどうあるというのか!?
 
 「私の宇宙文学」自体は戦後に戦前を振り返った作品ですが、これによると戦前にも四次元時空の曲がりやその発展などを考えていたようにも見えます。戦前の時点で20世紀の宇宙論を仕入れていたかどうかというのが新たな問題提起です。こんなめんどくさい作品は今までちゃんと読んでいませんでした。

 といっても、「ポン彗星の時代」(1920年代)は、まだせいぜいド・ジッターとシュバルツシルトがあった程度で、ハッブルもルメートルもカーもまだ出ていませんでしたから、曲率のある宇宙の発展を科学的に論じた人はいなかったのではないかと思います。マトモに捕らえるとタルホの発想は進歩しすぎということになるでしょう。

 「貝殻宇宙」は、科学理論をもとにした先駆的直感によるものなのか、それとも例のハッタリの「大きな法螺貝」に過ぎないのか、これは看過できない問題なので、これを機会に戦前の作品を精査してみたいと思います。

_ 玉青 ― 2013年10月30日 05時55分25秒

〇とりかわつくねさま

この「窓越し感」が好奇心をくすぐりますよね。
隠された貝の秘密をそっと覗き見るような…

ときに『空にコペルニクス』のご紹介をありがとうございました。
私は詩を解する能力がどうも弱いのですが、理科趣味と聞けば食指が動きます。
同じ版元から出ている高柳誠さんの詩集『鉱石譜』とか『星間の採譜術』(後者は小林健二さんとのコラボ)も理科趣味の横溢する、装丁も素敵な本だったので、『空にコペルニクス』にも期待するところ大です。さっそくカートに入れました。

〇S.Uさま

>前期と後期

その点は、あまり考えたことがありませんでした。
足穂の場合、当初から一貫して変な人でしたし、「私の其後の作品は、みんな最初の『一千一秒物語』の註である」という有名なセリフから、何となく最初から世界が全部出来上がっているような印象もあるのですが、もちろん彼なりの成長発展はあって当然で、そのこと自体興味深いタルホロジー的テーマかと思います。

足穂は例の極端な改稿癖のため、あちこちに散らばっている異稿群を読み比べて思想的発展のあとを追うのが大変そうですが(異稿が多いから思想的発展を読み取り易いとも言えますが)、ぜひ解明をお願いいたします。

(漠然とした予想ですが、その成長は螺旋を描いており、タルホ世界は全体として貝殻状をしているのではないでしょうか。ずばり法螺貝状かもしれません・笑)

_ S.U ― 2013年10月30日 20時18分43秒

>前期と後期

  この違いについては、かつて、玉青さんの偉大なサポートを得た拙著(上のURL)の2節に少しだけ書いてあります。

 この方面について、だいたいどうなっているか手早く調べてみました。
今、戦前の作品である「彗星問答」、「現代物理学とパル教授の錯覚」と「P博士の貝殻状宇宙に就いて」(私は『彗星問答 私の宇宙文学』(単行本 1985)にあるものを参照しました)を見ますと、そこには、リーマン、ロバチェフスキー、アインシュタインが出てきます。足穂は、現実の宇宙空間が曲率を持っている可能性があること、相対性理論では4次元時空が問題になることを知っていたようです。さらに、円錐形宇宙やら、宇宙が閉じた形をしていていると(まっすぐ進む)物質が宇宙を一回りする、というようなことも考えています。しかし、一般相対論の重力理論や宇宙発展のダイナミズムは出てきません。

 その代わりに彼の感性によるものであろう、彗星の夢やらすべての物質の「世界苦」やらの不思議なダイナミックスが出てきます。また、彼は独自の宇宙の開闢も論じています(当時はビッグバン模型が提唱される以前です)。

 ただ、この「物質の苦しみ」については、そんな冗談や馬鹿にした物ではなく、ベルグソンの『物質と記憶』の影響を受けた哲学的な起源をもつもののようです。これは、足穂の生涯のテーマである「物質における記憶」に関わるものらしいです。足穂がこの問題をここで取り上げたということは、彼が、人間の心の認識論を、時空と物質の側の特性に起因すると見ていたことの証左になるように思います。もちろん、この問題は、ゆくゆくはその方向で物理学によって解決されるものなのか、今もって見通しはたっていません。

 一方、比較のために後期(戦後)の作品「遠方では時計が遅れる」を見ますと、ド・ジッターもルメートルもフリードマンもハッブルも出てきまして、宇宙空間に存在する物によって時空が曲がり宇宙が膨張・発展していくことが理解されています。「物質の苦しみ」が宇宙項やエネルギーに置き換わったことになります。そして、足穂はこの全編においてド・ジッターを我が意を得た者として高く評価しております。なお、ド・ジッター本人は、特に宇宙論に哲学を持ち込んだわけではなく、一般相対性理論のアインシュタイン方程式に関する数学的な仕事が評価されている人です。

 以上は途中経過で、精査とはとても言えませんが、おおよそは、足穂は、戦前における哲学的な物質のダイナミズムの見方を、戦後は、ビッグバン理論と一般相対性理論の時空構造の解と結びつけたようです。この乗り換えは一貫しているという見方も出来るので、ホラであっても「真実の法螺貝」と言えるようなものかもしれません。私は、物理学の発展によって、彼の法螺貝から真実が出る日を待ち望むことにしたいと思います。

 これが発展させられましたら、またの機会にご披露したいと思います。
(以上、あまり深読みはされませんように~)

_ 玉青 ― 2013年10月31日 20時32分43秒

おお、これは!詳細なご説明をありがとうございます。

足穂の生涯を貫くテーマこそ宇宙論であり、このテーマをめぐって、彼は中年期以降も、常に科学界の尖端的な議論に関心を向け、咀嚼し続けていたことが改めて了解されました。

…と言いつつ、私の了解は常に一知半解の類ですが;
>「物質の苦しみ」が宇宙項やエネルギーに
>哲学的な物質のダイナミズムの見方を、戦後は、ビッグバン理論と一般相対性理論の時空構造の解と結びつけた
という明快な概括によって、足穂の内的変遷がすっきり分かったような気がします。

更なる詳論のご披露も心待ちにしております。

_ S.U ― 2013年11月01日 08時02分10秒

ありがとうございます。
 タルホのリアル天文学について、また宿題が増えました。
 どうやら、「私の其後の作品は、みんな最初の『一千一秒物語』の註である」というタルホの言葉はさながらハッタリではなさそうです。螺旋のように進む、科学と感性、人情と非人情から、愛らしい少年の見つめる鉱物のきらめきから酒飲みのオッサンの繰り言まで、個別に楽しむには問題ないのですが、同じ原理をくみ取ろうとなると、荷の重い拘束条件がかかりますね。

_ 玉青 ― 2013年11月02日 06時56分45秒

酒飲みのオッサンの繰り言から出発し、時間軸に沿ってタルホ螺旋体を遡っていくと、何かもやもやとした光景が徐々に形を成しはじめ、一千一秒物語まで到達したところでピタリと像を結ぶ、あるいは壮大なハッタリが、一個の美しい結晶となってコロンと掌の上に転がる。…そんな予感もします。そのとき、彼のリアル天文学はいったいどんな相貌をとるのでしょう。

_ S.U ― 2013年11月02日 08時28分05秒

>彼のリアル天文学
 今回一つ気づいたことがありまして、足穂がリアル天文学を積極的に仕入れたのは、おもに昭和明石時代から終戦直後まで(1932頃~1950頃)で、彼の人生においてもっとも不遇でいわば「素行も悪かった」であろう時期にあたります。おそらく足穂は自分がもっとも苦しかった時に現実の宇宙に目を向け、それを精神活動の何らかの支えにして活路を開いていったということもあるのでしょう。こんなところに巨人タルホの凄みと厚みのひとつの所以があるのかもしれないと思いました。

_ 玉青 ― 2013年11月03日 09時49分35秒

ふり仰げばそこに宇宙があるというのは、足穂氏にとって大きな慰めだったことでしょうね。宇宙を感じ、宇宙と対話すること―足穂氏に限らず、貧すれど鈍せざるための要諦はそこかもしれません。

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