ハーグ新報とプラネタリウム ― 2026年04月12日 09時59分54秒
なかなか記事が書けずにいます。
新年度に入って前年度の報告事務が重なり疲弊しているとか、齢のせいで生産性が落ちたとか、理由付けはいろいろできますが、どうもこの「おっくう感」はそれだけではなくて、ちょっと鬱が入ってる気がします。
といって、別に不安焦慮にさいなまれたり、微小妄想にとらわれたりすることもなく、普通に日常生活を送っているのですが、なんだかひどく億劫で、根気や集中力が続かない感じが持続しています。ひょっとしたら、これは同世代の多くの人が感じていることかもしれず、そうなるとやっぱり齢のせいかな…と思ったり。
まあ、こういうちょっとしたことが積み重なって、老いの坂を上ったり下ったりしていくのでしょう。そのこと自体、興味深いことではあります。
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さて、億劫は億劫なりに、天文古玩道の鍛錬を欠かすことはなく、モノは単調増加を続けています。
1960年代の品とおぼしいラペルピン。
強い光を放つ十字の星は、あるいは北十字(はくちょう座)と南十字(みなみじゅうじ座)をシンボライズしたものかもしれません。そこに「Zeiss Planetarium Haagsche Courant」の文字が見えますが、これはオランダ・ハーグの老舗新聞、「ハーグ新報(Haagsche Courant)」の本社屋上にあったプラネタリウムのことで、この品はその記念バッジです。
(ハーグ新報社屋とプラネタリウム。これを見ると、2つの十字星は同プラネタリウムのシンボルだったようです。出典:Worldwide Planetariums Database)
ここにツァイス製プラネタリウムが設置されたのは1934年のことで、オランダでは最も古いプラネタリウムのひとつ。1976年の火災で建物が焼失したことにより、その歴史は幕を閉じましたが、辛うじて難を逃れた投影機本体は、今も別の場所に保管され、近年修復されて稼働可能になった由。
バッジの裏面に見える「Ferd Berentzen Maastricht」は、このバッジの製造メーカーで、1960~70年代、主に石油会社のロゴ入りノベルティグッズを手掛けた会社だそうですが、それが今ではオランダのレトロな広告文化を代表するアイテムになっていると、AIは教えてくれました。
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以下、余談。
プラネタリウムを運営していたハーグ新報は、ハーグ密使事件(1907)の舞台となった新聞社です。韓国が独立国家から日本の保護国に、さらに属領となる流れの中で、世界に韓国の苦境を訴えるため、時の高宗皇帝はハーグ万国平和会議に3人の密使を送りましたが、列国は出席を拒否。そこに手を差し伸べたのがハーグ新報です。密使たちに共同記者会見の場を設け、同紙がその声を大々的に報じたことは、欧州世論に強いインパクトを与えました。その結果、日本が態度を硬化させ、植民地支配のくびきが強まったことは歴史の皮肉ですが、同様のことは現在の国際政治でもしばしば見られます。
さらに後年、これはプラネタリウム閉館後のことですが、“ハーグのアル・カポネ”と恐れられたエーフ・ホース(Eef Hoos)の不正を同紙が報じたことで、ホース一味の怒りを買い、発行元のシトホフ社(ハーグ新報以外にも複数の新聞を発行していた親会社です)に対する大規模な自動車爆弾テロ事件が起こりました(1986年)。ホースは後に逮捕され、この事件はオランダにおける報道の自由に対する重大な挑戦として、今も語り継がれているとのことです。
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ドイツ占領下のハーグで、ナチス寄りの報道を行ったことは同紙の黒歴史とはいえ、ハーグ新報はリベラルな保守系日刊紙として、戦前も戦後も一貫して硬骨な報道を続けてきました(リベラルと保守は別に二項対立するものではありません)。
無駄なような気もしましたが、あえて色違いのラペルピンを買い足したのは、その姿勢を大いに是としたからです。
トルーヴェロ天体画集 ― 2025年12月13日 08時27分22秒
最近の買い物から。
天体画の名手、エティエンヌ・トルーヴェロ(Étienne Léopold Trouvelot、1827-1895)による天体画を、絵葉書サイズでプリントした15枚セット。
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その名前から分かるように、トルーヴェロはもともとフランスの人で、20代でアメリカに渡り、最初は昆虫学者として世に出ようとしましたが、途中で天文学に転身し、天体画家として名を成した人です。
彼は昆虫学も天文学もアマチュアの立場でしたが、並外れた画力の持ち主だったので、最初はハーバード大学天文台に、次いでアメリカ海軍天文台にスタッフとして招かれ、あまたの天体スケッチを描きました(その後フランスに戻り、晩年はムードン天文台で働きました)。
(Étienne Léopold Trouvelot。出典:Wikipedia同人の項)
その作品の中でも最高レベルのものを15枚精選して、石版で再現したのが、『トルーヴェロ天体画集(Trouvelot’s Astronomical Drawings)』です(Charles Scribner's Sons〔NY〕、1881/ 82。各図版のサイズは約41×51cm)。
ニューヨーク・パブリックライブラリーの解説によれば【LINK】、当時おそらく300部程度が刷られ、現存する完品は4セットが知られるのみとのことです。
トルーヴェロの作品は“美術作品”ではなく、あくまでも“科学資料”でしたから、天体写真の進歩とともに、その資料的価値が失われた(と考えられた)ことで、各地の図書館もずんずん廃棄するし、マーケットに流れた分も速やかに散逸した…という事情があるようです(ニューヨーク・パブリックライブラリーと並んで、その完品を所有するカリフォルニアのハンティントン・ライブラリーの解説が、その点に触れています【LINK】)。
このスケッチ集が厳密な科学資料である証拠として、そこに詳細な解説書(『The Trouvelot astronomical drawings manual』)が付属し、観測データが明記されていることが挙げられます。このマニュアルは現在オンラインで読むことができます【LINK】。
まあ何にせよ、この石版画は今では非常な稀品で、入手困難と思います。
以前、海外の古書店で1枚だけバラで売っているのを見ましたが、それにはウン十万円もの値がついていました。したがって私にはとても手の届かない「夢の逸品」ですが、いつか実物を拝めるなら拝みたいものです。
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このカードは、トルーヴェロの名品を手にとって眺めるためにEtsyで買いました。(眺めるだけならネット上でも簡単にできますが、それだと手に取ることができません)。
まあ、公開されている画像データをインクジェットでプリントしただけの品ですから、通常の意味での「印刷」ですらないんですが、しかし発色の良い紙を使っているおかげで、見る分にはなかなか美しい仕上がりになっています。
(同じものを買われる方への注意喚起ですが、このカードは決して個袋(アクリルポケット)から出してはいけません。指ずれしてインクが剥落します。私もそれで失敗して、1枚作り直してもらいました。)
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今ではこういうプリント作品を、もったいぶって「ジクレー版画」と呼んだりする向きもあるようですが、少なくともこれは版画ではないですね(何しろ「版」がありませんから)。こういうのを「版画」とネーミングすること自体、「印刷よりも版画の方がえらい」という思い込みが、売り手にも買い手にもあることの証しでしょう。
プラネタリウムのペーパーウェイト ― 2025年11月24日 12時44分01秒
我ながら執念深いですが、過去の話題を蒸し返します。
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投影式プラネタリウム誕生100周年を記念する話題の流れで、プラネタリウムのミニチュアがほしいなあ…とつぶやいたことがあります。
■リリパット・プラネタリウム
ツァイスモデルのミニチュアは、かつて机の上にちょこんと置けるペーパーウェイトが実際に作られたことがあって(1950年代頃?)、ネット上でその愛らしい姿を見ては、「ああ、いいなあ」と思っていました。
上の記事では、その後タカラトミーから投影機のカプセルトイ(ガチャ)が発売され、ひとまずそれで満足した顛末が記されています。
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しかし、こういうのはなかなか理性を超えた要素が働くので、ガチャを大人買いした後も、ペーパーウェイトのことが心の中でずっと気になっていました。それがようやく手に入った…というのが、今回の眼目です。
ご覧のように結構雑な作りですが、そこに愛らしい素朴美を感じます。
(本体は架台から取り外すことができます)
こうしてかつての願望が満たされ、まずはめでたし、めでたし…と言いたいところですが、この話には「おまけ」があります。
過去記事で借用した画像と並べても、両者はたしかに同じに見えるのですが、ちょっと妙な点があるのです(今気づきましたが、台座の形が少し違いますね)。
過去記事で触れたように、このペーパーウェイトはかつてEtsyで売りに出ており、その販売情報は今もネット上に残っています【LINLK】。
それによると、サイズは「Approx. 4 in L x 2 3/8 in dia」、即ち高さ10センチ、直径6センチとなっているのに、手元の品は高さ6センチ、直径4センチしかありません。これがパチモンでない限り、当時このミニチュアは2つのサイズが作られたことになります。
そもそもこのレプリカは、誰が何の目的で作ったのか、刻印等がないので一切不明です。まあ、作ったのはツァイス自身か、ツァイス製品を導入したどこかのプラネタリウムで、目的といえば何かの記念グッズのような気がしますけれど、だとすると大小2つのサイズをこしらえた理由は何でしょう? 豪華版と廉価版の違いでしょうか?
でも、商品として売られていたなら、もっと数が残っていそうなものですが、大にしろ小にしろ今や相当な稀品ですから、その作られた背景が依然として気になります(ちなみにEtsyで販売していた人と、私が購入した人は、いずれも米国の人です)。
こういう疑問が、また新たな執念を呼び起こすわけです。
ガラスの海(後編) ― 2025年10月01日 19時32分00秒
(昨日のつづき)
この品を見たとき、これは「ガラスの海」だと思いました。
透明なガラスの中に、紺碧の波涛がどこまでも続くガラスの海。
そして「ガラスの海」といえば、たむらしげるさんの同名の作品をただちに思い浮かべます。
(「ガラスの海」より。『スモールプラネット』(青林堂、1985)所収。初出誌は「ガロ」1982年4月号)
透明なガラスの海の上を歩む旅人。
その海面は一見不動に見えますが、よく見るとゆっくりと上下動しており、旅人はその表面をつるはしで割ってイワシを捕えては腹を満たし、巨大な船を見送り、ガラスを突き破って昇った月を眺めます。
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このガラスの海のモチーフは、その後、たむらさんの中でさらに深化を遂げて、「クジラの跳躍」という作品に生まれ変わります。後者において、ガラスの海は、単に硬質で透明な存在というばかりでなく、「時間の流れ」の隠喩ともなります。
(「クジラの跳躍」より。『水晶狩り』(河出書房新社、1986)所収。初出誌は1985年7月刊「小説新潮臨時増刊/書下ろし大コラム Vol.2 個人的意見」)
こちらの作品にも、ガラスの海を歩む男が登場します。
彼にとって、海上を飛ぶビウオは凍り付いたように静止しており、その描写から、トビウオと男は別の時間の流れを生きていること、そのために海もまたガラスの相貌を帯びていることが示唆されます。
このガラスの海からジャンプするクジラは、何時間もかけてその巨体を海面上に現し、再びゆっくりと没していきます。
(2つの作品にともに登場する巨大客船のイメージ)
一方、ガラスの海をゆく巨大客船の乗客にとって、クジラの跳躍はごく一瞬の出来事に過ぎず、これら2つの世界の住人は、決して交わることがありません。
ある意味哲学的なこの作品を、私はひどく気に入っていて、9年前も話題にしたことがあります。
■平行世界
たむらさん自身にとっても、「クジラの跳躍」はきわめて重要な作品とおぼしく、上記のように1985年にコミック作品として発表された後、1995年にリブロポートから同名の絵本が出版され、さらに1998年には、CGによる23分間のアニメ作品として、劇場公開もされました。(このときは、先行してCG化された「銀河の魚」(1993)および「ファンタスマゴリア」(1995)からセレクトした4編と併映されました)。
(「クジラの跳躍」の映画パンフレット表紙)
(同上より)
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「この小さなオブジェの向こうには、そうした不思議な世界があり、それは不思議であると同時に、確かにこの世界の真実でもあるのだ…」と、ガラスの立体を眺めながら、ぼんやり思います。
ガラスの海(前編) ― 2025年09月30日 06時31分27秒
しばらく前から机の上に置かれているガラスのオブジェ、ないしペーパーウェイト。
(高さは約11cm)
その外形は、底面が菱形の四角錐を底面に平行な面で切った「四角錐台」形をしています。ガラスの中に複雑な模様が見えていますが、これがなかなか写真に撮りにくいです。
その色は青から緑、金から虹色へと変化し、その形もガラスの内面に反射して、いろいろ複雑な表情を見せます。
底面には作者のサインが彫られていて、ちょっと読みにくいですが、これはアメリカのガラス工芸作家、Michael O'Keefe 氏の1998年の作品です。氏の作品については以下のページに解説がありました。
■Mostly Glass Gallery: Michael O'Keefe
オキーフ氏の作品は、表面に金属薄膜を蒸着したダイクロイック・ガラス(ダイクロイックとは「二色性」の意)を応用したもので、その変幻する複雑な色合いは、金属薄膜による光の干渉から生じます。
このオブジェはご覧のとおり、なかなか美しいものですが、この品を手にしたのは、単に美しいという以上に、そこに「ガラスの海」を連想したからです。
(この項つづく)
Dr. Parallel ― 2025年09月10日 05時37分12秒
鴨沢祐仁さんに続いて、たむらしげるさんのことを書こうと思います。
たむらさんのこういう↓作品をご存じでしょうか。
「ご存じも何も、ファンタスマゴリアに出てくるお店でしょ」
…たむらファンなら、そう即答されるでしょう。
たしかにこの店は、夢の惑星「ファンタスマゴリア」を描いた、たむらさんの映像作品に登場します。
(書籍版 『ファンタスマゴリア』(架空社、1989)より)
でも、本当にそうでしょうか。
今一度じーっと見ていただくと、どうでしょう?
そう、片方は「Coffee Bar」で、ファンタスマゴリアに登場するのは「Liquor Shop」です。コーヒーとリカーでは大違いなので、これは似て非なるお店です。
でも、このコーヒーバーは別にたむら作品のパチモンではありません。やっぱり、たむらさんの正規作品で、いうなればスピンオフ、あるいはセルフオマージュ。
以前(正確な時期は不明)、ドムドムバーガーが景品として、フープ博士のコーヒーカップを配ったことがあって、上の絵はその外箱に描かれたものなのでした。
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まあ、そうと知って見れば、ふーん…と、あまり奇異な感じはしないと思いますが、ただ改めて考えると、これはあのファンタスマゴリアの世界にも「平行世界」が存在することを意味しているんじゃないでしょうか(単に商売が傾いて、転業しただけの可能性もありますが、それはないと信じましょう)。
ファンタスマゴリアとは別の時空に、それとよく似ているけれど、微妙に違う町や人物が息づいている…と想像すると、まさに夢のまた夢で、なんだかとても不思議な気がします。
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このコーヒーカップは最近見つけました。カップとしては比較的小ぶりのものです。
(反対側のデザイン)
これは普通にコーヒーを飲むのに使うか、あるいはペン立てにしてもいいかな…と思案中。もし私に絵心があるなら、青系の色鉛筆を立てるのに使うのが、いちばんいいと思いますが、その案は平行世界に住む「絵心のある私」に任せることにします。
天文小間物…チェコのハットピン ― 2025年09月04日 06時12分51秒
天文古玩趣味といっても、その範囲は広いです。
その中でも、私の個人的な嗜好が強く出ていると思うのは、ピンバッジ等のこまごました品です。私は昔からこまごましたものが好きで、なぜ好きか?と問われても答に窮しますが、たぶん昆虫好きとか、標本好きとかと根っこは一緒でしょう。世界の断片を集めることで、世界を再構成する気分を味わっているのかもしれません。
こういうこまごましたものを表す便利な言葉が日本語にはあります。
すなわち「小間物」。こまかい物だから小間物という、非常にわかりやすいネーミングですね。そして小間物に対する言葉が「荒物」で、昔は日用雑貨を商う店に「小間物屋」と「荒物屋」の区別がありました。
その伝でいうと、ピンバッジとか、おまけカードとか、あるいは幻燈スライドなんかは「天文小間物」で、天球儀や望遠鏡やアストロラーベ、掛図などは「天文荒物」と呼べるかもしれません。(片手に乗るかどうかが、私にとって両者の境目です。)
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さて、天文小間物のひとつにハットピン(ラペルピン)があります。
今ではあまり区別しませんが、元は文字通り帽子に付けるのがハットピンで、ラペル(上着の襟の胸元に近い部分)に付けるのがラペルピンだそうです。(以下、ハットピンで統一します。)
このハットピンは、1961年、チェコ北部の町フラデツ・クラーロヴェーに建てられた「フラデツ・クラーロヴェー天文台」(チェコ語:Hvězdárna Hradec Králové)に併設されたプラネタリウムの記念グッズです。
(裏面は何も書かれていません)
上で同天文台の完成年を1961年と書きましたが、公式サイト【LINK】によれば、その建設はすでに1947年から始まっており、カールツァイス・イエナ製ZKP-1を機材とする併設のプラネタリムは、1957年に先行オープンしていました。
このハットピンも、全体の雰囲気からすると、1950年代末から1960年代にかけての品だと思います。当時はまだチェコスロバキアの時代。
幅15ミリの小世界は、まさに天文小間物。
左は日・月食と星象図、右はドームを表現しているのかな?と思いますが、黒と白の地に金色が映える、全体に渋いデザインです。
先日の旧ソ連の人工衛星「プロトン4号」のピンバッジとほぼ同じ時代、同じ共産圏の国で生まれた品ですが、両者を見比べると、そこに書かれた文字がそもそも違うことに気づきます。
チェコ語はスラブ語派に属し、ロシア語とは親戚ですが、文字はキリル文字ではなく、ラテン文字。そのことは、宗教的に東方正教会ではなく、ローマ・カトリックの勢力圏内にあったことの間接的反映です。
首都プラハは、かつて神聖ローマ帝国の首都として、繁栄をきわめました。
その後、権勢の中心がウィーンに移るとともに、チェコの人はオーストリアに敵愾心を抱くようになりましたが、文化的には依然オーストリアと近しいものがありましたから、このハットピンの造形感覚にも、そうした歴史がひそかに影響しているのかもしれません。
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天文小間物もまた世界の断片です。
赤い星の中に ― 2025年08月30日 18時02分35秒
ウィキペディアには「ソビエト連邦の国旗」という項目があって、そこには以下のように書かれています(太字は引用者)。
「金の鎌と槌と金の縁取りを持つ赤い五芒星を表示した赤旗である。赤は社会主義と共産主義の構築へ向かう、ソビエト連邦共産党に指導されたソビエト人民の果敢な闘争を、鎌と槌は労働者階級と農民との絶えざる団結を、赤い五芒星は五大陸における共産主義の最終的勝利を象徴する。」

ソ連の国旗というと、特徴的な鎌とハンマーに目が向きがちですが、その脇にある「金の縁取りを持つ赤い五芒星」こそ、旧ソ連の理念と目標を象徴しており、小なりといえども、なかなか大した意味を背負っているのでした。
その理念は時の流れとともに覇権主義へと変質し、最終的勝利も結局なかったわけですが、とにもかくにも、戦後、アメリカと並ぶ超大国として、東側陣営の盟主の座にあったことは事実ですから、その存在は歴史の中にきちんと定位されなければなりません。
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さて、今回の主役は画像の隅に置かれた赤い星です。
「Протон-4」、すなわち「Proton-4」をモチーフにしたピンバッジ。
プロトンは1号(1965年)から4号(1968年)まで打ち上げられた大型の人工衛星で、(超)高エネルギー宇宙線を観測することを目的としていました。
シリーズの最後を飾ったプロトン4号は、プロトンシリーズの中でも最重量で、12.5トンの科学観測機器を含む総重量は17トンに達しました(ロシア語版Wikipedia「Протон」の項参照)。
その実際の姿は下のようなもので、ピンバッジの絵とはだいぶ違います。しかし円筒形のずんぐりした胴体、そこから突き出た太陽電池パネル、とんがった頭部のアンテナ…といったあたりに共通するものがあって、いい加減な造形なりに、実物に寄せて描いた努力の跡はうかがえます。
(ツィオルコフスキー記念国立航空宇宙博物館に展示されているプロトンの模型。出典:同上)
プロトンは本格的な宇宙望遠鏡のはしりと言っていいと思いますが、何しろそれだけの重量物を打ち上げる大型ロケット(=プロトンロケット)と、世界をリードする最先端の宇宙物理学的研究が、1960年代のソ連には確かにあったわけです。
胸元を飾った、金のふちどりの赤い星とプロトンの勇姿。
ソ連の少年少女の誇らしい気持ちを、ここは思いやって然るべきだと思います。
ソォダ色の少年世界、ふたたび ― 2025年07月27日 07時58分14秒
平成の初め、1991年から92年にかけて出た、長野まゆみさんの「天球儀文庫」。
「月の輪船」、「夜のプロキオン」、「銀星ロケット」、「ドロップ水塔」から成る四連作です。
長野作品の定番である、二人の少年を主人公にした物語。
本作では、それぞれアビと宵里(しょうり)という名を与えられています。
二人が暮らすのは、波止場沿いの町。
(イラストは鳩山郁子さん)
物語は夏休み明けから始まり、再び夏休みが巡ってきたところで終わります。
例によって、筋というほどのものはなく、二人の会話と心理描写で物語は進みます。
その世界を彩るのは、ルネ文具店のガラスペンであり、スタアクラスタ・ドーナツであり、プロキオンの煙草であり、砂糖を溶かしたソーダ水です。
学校の中庭で開かれる野外映画会、流星群の夜、銀星(ルナ)ロケットの打ち上げ。
鳩と化す少年、地上に迷い込んだ天使、碧眼の理科教師、気のいい伯父さん…
永遠に続くかと思われた、そんな「非日常的日常」も、宵里が遠いラ・パルマ(カナリア諸島)への旅立ちを決意したことで、幕を閉じます。
宵里が去って数週間後、アビが宵里から受け取ったのは、「手紙のない便り」でした。
それは、どこかでまた「はじめて逢おう」と告げるメッセージであり、アビもあえて返事を書きません。その日が来ることを期待して、二人はそれぞれの人生を再び歩み始める…というラストは、なかなか良いと思いました。
★
これはひたすら甘いお菓子のような作品です。
格別深遠な文学でもなく、そこに人生の真実が活写されているわけでもありません。
(いや、真実の断片は、やはりここにも顔を出していると言うべきでしょうか?)
とはいえ―。
お菓子は別に否定されるべきものではありませんし、どちらかといえば、私はお菓子が好きです。
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上の文章は、10年前に書いた記事の一部再掲です。
なぜそんなことをしたかといえば、10年前、私の心の中で別れを告げたアビと宵里が、今年の夏休み、ふたたび私の心の中で出会ったからです。
この澄んだソォダ色のガラス玉。
アメリカの売り手は、これをカナリア諸島の海岸で採取されたシーグラスと記載していました。それを知って、私はすぐカナリア諸島の宵里からの便りだと思いました。
この手紙には、やっぱり文字が書かれていません。
でも光にかざすと、カナリア諸島から見える光景が、青い空と海が、そして水平線上に浮かぶ雲がぼんやりと浮かび上がり、宵里がアビに何を伝えたかった分かるような気がしたのです。つまり「世界はこんなふうにつながっているんだよ」と。
この水色のガラス玉を通して、彼らの目と心が一瞬重なったと思うのは、もちろん一読者の勝手な思い入れに過ぎません。理屈も何も通ってないし、それこそお菓子のように甘ったるい妄想といわれればそのとおりです。それでも夏休みは、私にとってそんな空想をふとしてみたくなる時期なのです。
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今日も朝から降るような蝉時雨。
パサチョフ博士の夏休み ― 2025年07月26日 09時46分45秒
ジェイ・パサチョフ(Jay Myron Pasachoff 、1943 –2022)という人がいます。
主に太陽と惑星大気の研究で知られた天文学者です。ハーバードで学んだ後、マサチューセッツのウィリアムズ・カレッジに籍を置きながら、サバティカルを利用して各地の大学や天文台で研究生活を送り、また天文教育にも情熱的で、多くの教科書を著した…というのは主にWikipediaの同氏の項目の受け売りですが、そこには彼がルネッサンス期以降の絵画における日食描写の分析といった、いわば「天文美術史」的研究にも手を染めていたことが書かれており、その関心の幅広さを知ることができます。
そのパサチョフ博士の書斎に置かれていたであろう、かわいい品を見つけました。
(台座の長辺は約18cm)
望遠鏡を操作する女性をかたどったオブジェで、その銘板に博士の名前があります。
アメリカで1959年以来続いている「サマー・サイエンス・プログラム(SSP)」という教育プログラムがありますが、その2004年の開講時に、博士がゲスト講師として招かれた際、記念品として博士に贈られたものです。
SSPは、アメリカ内外から集まった優秀な高校生が、5週間の共同生活を送りながら、第一線の研究者をはじめ、大学院生や学部生のサポートを受けつつ、専門的な研究を体験するプログラムです。研究や講義の合間には、各種のレクリエーションも用意されており、ここで共に学んだ仲間とは一生の友情がはぐくまれる…と聞くと、自分もそんな体験がしてみたかったなあと、羨ましい気がします。(プログラムについていく能力があれば、の話ですが。)
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ときに、この小像のテーマになっている望遠鏡は何だ?ということですが、これはWikipediaの「Summer Science Program」の項に掲載されているのと同じものです。

昔はこの画像がSSPのシンボルであり、ロゴでもあったようですが、現在のSSP Internationalの公式サイトからは消えています。
たぶん…ですが、最近になってプログラムの内容が天文学にとどまらず、生物学や化学分野にまで広がったこと、そして開催地も南カリフォルニアのハイスクールを間借りする形から、全米各地の大学キャンパスを使った大規模なものに変わったことから、SSPのシンボルとして、最早そぐわなくなったからだろうと想像します。
以前のSSPの様子が、「Sky & Telescope」の2001年3月号にリポートされており、この望遠鏡も写真に写り込んでいます。それによれば、この望遠鏡は最初カリフォルニア州オーハイのサッチャー・スクールに置かれ、その後近くのベサントヒル・スクール(旧称ハッピーバレー ・スクール)に移設された、口径7インチのツァイス製アストログラフ(=写真撮影専用望遠鏡)で、ガイド用の屈折望遠鏡を同架しています。SSPの参加者はこれで小惑星を撮影し、位置測定と軌道計算をするのが定番だったようです。
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アメリカも最近は貧乏くさい話が増えてきましたが、こういう物心伴う豊かさは、多様性を当然のものとして受け入れる度量の広さとともに、失ってほしくないものです。
(ちなみに、望遠鏡の操作者が女子学生として造形されているのは、1969年以来女性に門戸を開放してきたSSPの矜持でもあり、開明さの表明でもあるのでしょう。)


















































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