アトミック・エイジ ― 2011年03月19日 20時36分16秒
今日は近くの公園緑地を歩きました。
あちこちに水色のオオイヌノフグリ、白いハコベ、黄色いタンポポが咲き、そこにモンキチョウが、つがいでひらひらと飛び、まさに春本番です。
青空を白い雲が流れ、吹く風が心地よく感じられるぐらい温かい日でした。
のどかで、平和で、まるで震災などなかったかのようです。
本当に、あの日の出来事が夢であってくれたら…
あちこちに水色のオオイヌノフグリ、白いハコベ、黄色いタンポポが咲き、そこにモンキチョウが、つがいでひらひらと飛び、まさに春本番です。
青空を白い雲が流れ、吹く風が心地よく感じられるぐらい温かい日でした。
のどかで、平和で、まるで震災などなかったかのようです。
本当に、あの日の出来事が夢であってくれたら…
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「原子=物質の最小部位」。
1955年に、旧・西ドイツで出版された教育用掛図です。
原子というのは、モノ自体は変わらないのに、イメージの方は、時代に連れて大きく変わったものの1つではないでしょうか。何と言うか、昔の原子は「どっしり・カッチリ」していました。
つやつやした陽子(赤)と中性子(白)の粒が固まった原子核。左はカリウム、右はウラニウム。
そして、その周りを青い電子がヒュンヒュン軽やかに回っているという、いわゆる「惑星型モデル」。今では、何だかフワフワと雲のようにつかみどころのない存在になってしまいましたが、でも、原子はやっぱりこうでなくちゃ…と思わせるものがあります。
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神とか、正義とか、善とか、家族とか、かつてはあんなに強固だった概念の多くが、今ではあやふやになってしまい、そのこと自体悪いとも言いきれませんが、でもそれを不安に思う人も多いことでしょう。
原子だけでなく、「原子力」の社会的意味合いも大きく変わりました。
かつては、東海原発が誇らしげに、輝かしい存在として語られた時代もあったような気がします。
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この掛図が出た1955年には、「惑星型モデル」は学問的には既に過去のものとして、単なる比喩以上の意味を失っていたはずですが、でも、子供たちの脳裏では、こういうクールな姿の原子が、依然として鮮やかに輝き続けていたのでした。
コメント
_ S.U ― 2011年03月20日 13時00分23秒
_ S.U ― 2011年03月20日 18時31分30秒
_ 玉青 ― 2011年03月20日 23時15分38秒
「モデル」以上のものではない、という意味では、惑星型モデルも、モヤモヤっとした電子雲モデルも五十歩百歩なのかもしれませんね。実際、モヤモヤっとした雲が漂っているわけでもないですし。
さらに極微の世界に入っていくと、「物」と「事」の区別が意味を失い、全体がドロンと溶け合ってくる感じがありますが、そうなると数学の言葉を解さない私にとっては、イメージすることすらままならない、人外魔境のような気がします(このことは以前も話題にしたかもしれませんね)。
ときに、その筋の人であるS.Uさんご自身は、「原子」と聞いたとき、どんなイメージをもたれるのか、ちょっと気になるところです。
さらに極微の世界に入っていくと、「物」と「事」の区別が意味を失い、全体がドロンと溶け合ってくる感じがありますが、そうなると数学の言葉を解さない私にとっては、イメージすることすらままならない、人外魔境のような気がします(このことは以前も話題にしたかもしれませんね)。
ときに、その筋の人であるS.Uさんご自身は、「原子」と聞いたとき、どんなイメージをもたれるのか、ちょっと気になるところです。
_ S.U ― 2011年03月21日 10時53分22秒
>「物」と「事」の区別
哲学的に言えば、原子物理学、素粒子物理学は、「要素還元主義」の最後の砦ですから、「事」を出来る限り「物」に還元して理解しようとします。非常におおざっぱには、「要素」というのは数式に現れる「量子」のことで、「量子」を物質界に引きずり下ろす努力をするのが現代の素粒子物理学と言えると思います。
>「原子」と聞いたとき、どんなイメージを...
一般の方と大きな違いはないと思いますが、専門科目として学ぶうちに変化したのは、次のような点でしょうか。
・原子内の電子は雲のイメージになりました。ただ、雲は効率的に図示できないので、絵にするときは惑星軌道のような同心円を考えます(ドイツの掛図の下段)。中段の彗星軌道流の楕円が重なったイメージは無いです。
・原子核については、形状的なイメージは変わりませんが、目に浮かぶ大きさが大幅に大きくなりました。大学で原子核物理を学ぶ前はパチンコ玉くらいの大きさでしたが、卒論を書いた後はバスケットボール大になりました。学習によるイメージの大きさの変化については、原子核物理学の先生も講義で触れていましたので、多くの人に見られる傾向なのでしょう。
哲学的に言えば、原子物理学、素粒子物理学は、「要素還元主義」の最後の砦ですから、「事」を出来る限り「物」に還元して理解しようとします。非常におおざっぱには、「要素」というのは数式に現れる「量子」のことで、「量子」を物質界に引きずり下ろす努力をするのが現代の素粒子物理学と言えると思います。
>「原子」と聞いたとき、どんなイメージを...
一般の方と大きな違いはないと思いますが、専門科目として学ぶうちに変化したのは、次のような点でしょうか。
・原子内の電子は雲のイメージになりました。ただ、雲は効率的に図示できないので、絵にするときは惑星軌道のような同心円を考えます(ドイツの掛図の下段)。中段の彗星軌道流の楕円が重なったイメージは無いです。
・原子核については、形状的なイメージは変わりませんが、目に浮かぶ大きさが大幅に大きくなりました。大学で原子核物理を学ぶ前はパチンコ玉くらいの大きさでしたが、卒論を書いた後はバスケットボール大になりました。学習によるイメージの大きさの変化については、原子核物理学の先生も講義で触れていましたので、多くの人に見られる傾向なのでしょう。
_ 玉青 ― 2011年03月21日 15時58分04秒
興味深いお話をありがとうございます。
その道に入ると、原子核がだんだん大きく見えてくるというのは面白いですね。
ひょっとしたら、超ひも理論なんかに頭をひねっている人だと、原子核が宇宙大に感じられるのかも。
「物」と「事」のせめぎ合い。
物理学の、さらには人間の知の営みの不思議さをつくづく感じます。
ふと考えてみると、極微の世界に限らず、その区別は一見するほど自明ではないですね。
感覚的事実も含め、「事実」それ自体には質量も大きさもありませんから。。。
その道に入ると、原子核がだんだん大きく見えてくるというのは面白いですね。
ひょっとしたら、超ひも理論なんかに頭をひねっている人だと、原子核が宇宙大に感じられるのかも。
「物」と「事」のせめぎ合い。
物理学の、さらには人間の知の営みの不思議さをつくづく感じます。
ふと考えてみると、極微の世界に限らず、その区別は一見するほど自明ではないですね。
感覚的事実も含め、「事実」それ自体には質量も大きさもありませんから。。。
_ かすてん ― 2011年03月21日 22時58分31秒
>その道に入ると、原子核がだんだん大きく見えてくるというのは面白いですね。
面白いですね。
>超ひも理論なんかに頭をひねっている人だと、原子核が宇宙大に感じられるのかも。
私も素粒子世界は宇宙の大規模構造のミクロ方向への一階層というイメージでもあります。これって手塚治虫『火の鳥 黎明編』で刷り込まれてしまったのかもしれません。
>原子内の電子は雲のイメージになりました。
>中段の彗星軌道流の楕円が重なったイメージは無いです。
これら、私も同様です。
>原子核
>大学で原子核物理を学ぶ前はパチンコ玉くらい
>卒論を書いた後はバスケットボール大
これには笑いました。
面白いですね。
>超ひも理論なんかに頭をひねっている人だと、原子核が宇宙大に感じられるのかも。
私も素粒子世界は宇宙の大規模構造のミクロ方向への一階層というイメージでもあります。これって手塚治虫『火の鳥 黎明編』で刷り込まれてしまったのかもしれません。
>原子内の電子は雲のイメージになりました。
>中段の彗星軌道流の楕円が重なったイメージは無いです。
これら、私も同様です。
>原子核
>大学で原子核物理を学ぶ前はパチンコ玉くらい
>卒論を書いた後はバスケットボール大
これには笑いました。
_ 玉青 ― 2011年03月22日 21時47分37秒
>火の鳥
ああ!あのシーン!!
私もあれには強烈なインパクトを受けました。
何でも、19世紀に顕微鏡趣味が流行した頃、多くの人を惹きつけたのが「多元的な微小世界」という観念で、ミクロの世界を拡大すればするほど、そこに新たな世界が次々に見えてくるという、一種のフラクタル的イメージだったらしいです。
原子と太陽系のアナロジーが生まれる以前から、そういう観念は人々を激しく魅了していたわけで、歴史的には相当根深いものがありそうです。(入れ子構造をした宇宙観は、仏教にも、道教にもあった気がします。あるいは人間の持って生まれた世界認識の基本形なのかもしれません。)
ああ!あのシーン!!
私もあれには強烈なインパクトを受けました。
何でも、19世紀に顕微鏡趣味が流行した頃、多くの人を惹きつけたのが「多元的な微小世界」という観念で、ミクロの世界を拡大すればするほど、そこに新たな世界が次々に見えてくるという、一種のフラクタル的イメージだったらしいです。
原子と太陽系のアナロジーが生まれる以前から、そういう観念は人々を激しく魅了していたわけで、歴史的には相当根深いものがありそうです。(入れ子構造をした宇宙観は、仏教にも、道教にもあった気がします。あるいは人間の持って生まれた世界認識の基本形なのかもしれません。)
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たとえば 日本原子力研究所(JAERI)のシンボルマークとか、
http://www.jaea.go.jp/jaeri/no_flash.html
Googleで”原子核”で画像を検索とか
原子の電子軌道や陽子や中性子のつやつやした原子核のイメージは健在です。
どうせ見えない物ですから、このようなイメージが科学的に否定されたとしても、絵としてはしぶとく残るということでしょう。しかも、専門家まで率先してそれを使っている、ということは、他に類例を見ない?興味深い現象と言えると思います。
専門家は、このような図を一般向けの説明のために描いているのか、自分でもこういうイメージを持っているのは微妙ですが、自然現象の重要な本質をある程度保持したイメージとして見ているという要因が大きいのではないかと思います。ですから、これは、世間での原子力技術の応用についての意識が変化しても、変わらないものと思います。