ジョバンニが見た世界…大きな星座の図(8) ― 2013年03月04日 20時58分50秒
(前回のつづき)
しかし―
さらに近づくと、やはりアラが目立ちます。
たとえば上の2枚。拡大すると、何となくピンボケのように見えると思いますが、実際に現物を近くで見ると、これぐらいボヤーンとした感じです。
下の画像は文字の部分に注目したもの。一見、木のフレームに焦点が合ったために、文字がぼやけてしまったようですが、実際には逆で、文字部分に焦点を合わせたために、フレームの方は逆にピントが甘くなっています。
繰り返しますが、遠目には何も問題ないのです。ただ、近くに寄るとキビシイです。
やっぱり、この世に「お値段以上」のものは、なかなかないものです。
この手の「オン・デマンド印刷」を謳うポスターは、ネット上の画像をそのまま引っ張ってきて、大型プリンターで刷っているだけのような気もしますが、だからこそ仕上がりは元画像の画質次第で、結構当たり外れがあるのかもしれません。
やっぱり、この世に「お値段以上」のものは、なかなかないものです。
この手の「オン・デマンド印刷」を謳うポスターは、ネット上の画像をそのまま引っ張ってきて、大型プリンターで刷っているだけのような気もしますが、だからこそ仕上がりは元画像の画質次第で、結構当たり外れがあるのかもしれません。
★
ここでまたいろいろ心が揺れ動きます。
“宝石は人造、望遠鏡はレプリカ、そして星図までポスターとは!君ィ、本当にそんなことでいいのかね?賢治にも、ジョバンニにも、時計屋の主人にも、あまりにも敬意が足りないとは思わんか?せっかくあれこれこだわって、ジョバンニが見た世界を再現しようというんだ、ここはもっと本物にこだわってみたらどうだね?”…とかなんとか。
このバッカーの星図。
単なる思いつきとはいえ瓢箪から駒。これこそ時計屋のショーウィンドウを飾る最有力候補であるならば、ここで踏ん張らずにいつ踏ん張るのか。何事も身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ。乾坤一擲、南無弓矢八幡大菩薩。
妄想的な確信に捉われた私は、今や検索の鬼と化し、時の経つのも忘れて画面を見つめつづけました。その結末がどうなったかは、言わずもがなです。これで当分は粥を啜って暮らさねばならんのでしょう。またまた「愚」という尊い徳を積むことができました。
★
上記の件については、また近いうちに続報を書くとして、実はこの星座図の話題を書くにあたって、一番最初に思い浮べた一枚の星図のことを、先に書いておこうと思います。
(この項、終わりそうで終わらず、まだ続きます)
コメント
_ S.U ― 2013年03月05日 21時44分16秒
_ 玉青 ― 2013年03月06日 20時16分16秒
では、私も河岸を変えて。。。
作中のポスターは、図柄がいかにも奇抜なので、足穂の創作だろうと睨んでいますが、何か発想源となった現実のポスターはあるかもしれませんし、ひょっとして足穂と同じような感性の図案家がいて、お互い没交渉のまま、まったく偶然にも同じような絵柄を考えていた可能性もないとはいえません。何にせよ、探してみる価値はありそうです。
ともあれ、足穂にしろ、賢治にしろ、新しい都市生活の一断面としての広告芸術―当時の言葉でいう「商業美術」―に関心を持っていたのは確かだと思います。
ときに、賢治の足穂体験について、一寸した情報を得たので、また記事の方に書くことにします。
作中のポスターは、図柄がいかにも奇抜なので、足穂の創作だろうと睨んでいますが、何か発想源となった現実のポスターはあるかもしれませんし、ひょっとして足穂と同じような感性の図案家がいて、お互い没交渉のまま、まったく偶然にも同じような絵柄を考えていた可能性もないとはいえません。何にせよ、探してみる価値はありそうです。
ともあれ、足穂にしろ、賢治にしろ、新しい都市生活の一断面としての広告芸術―当時の言葉でいう「商業美術」―に関心を持っていたのは確かだと思います。
ときに、賢治の足穂体験について、一寸した情報を得たので、また記事の方に書くことにします。
_ S.U ― 2013年03月07日 07時05分25秒
>作中のポスター
私にはかなりしっかりしたイメージが湧くので絵心があれば描いてみたいくらいですが(実際には絵心無し)、その割にはネットを見て検索してもそういう作品は挙がってこないみたいです。
これは、落語にある「屋根の上で竹竿を」の馬鹿兄弟の話からの発想かもしれません。おめぇ馬鹿だなァ。お江戸の屋根の上くらいじゃあ星は取れねぇよ。エチオピアの高原あたりまで行かないとね。
私にはかなりしっかりしたイメージが湧くので絵心があれば描いてみたいくらいですが(実際には絵心無し)、その割にはネットを見て検索してもそういう作品は挙がってこないみたいです。
これは、落語にある「屋根の上で竹竿を」の馬鹿兄弟の話からの発想かもしれません。おめぇ馬鹿だなァ。お江戸の屋根の上くらいじゃあ星は取れねぇよ。エチオピアの高原あたりまで行かないとね。
_ 玉青 ― 2013年03月07日 21時51分54秒
あはは。
それにしてもネットは便利なもので、パパッと単語を打ち込んだら、次のような表現に行き当たりました。人間に共有されるイメージの広がりを感じます。諸外国にも何だか類例がありそうですね。(ポスターもどこかにありそうな気がしてきました。)
●ことわざ「竿竹で星を打つ」
http://www.proverb.jp/proverb2311.html
●坂口安吾「ピエロ伝道者」(昭和6)
http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/45716_23676.html
それにしてもネットは便利なもので、パパッと単語を打ち込んだら、次のような表現に行き当たりました。人間に共有されるイメージの広がりを感じます。諸外国にも何だか類例がありそうですね。(ポスターもどこかにありそうな気がしてきました。)
●ことわざ「竿竹で星を打つ」
http://www.proverb.jp/proverb2311.html
●坂口安吾「ピエロ伝道者」(昭和6)
http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/45716_23676.html
_ S.U ― 2013年03月08日 07時57分07秒
またまた河岸を変えてまで、足穂文学系統評論を続けて申し訳ありませんが、ご引用を見て思いついたところ、ファンから見ると、坂口安吾と稲垣足穂は、戦中戦後は同系統と見られたかもしれません。ともに、難しい理屈をこねながら世をけなす偏屈おじさん、でも、何となく人を惹きつけるヘリクツであったとか。してみると、本人の感覚的にも通じるところがあったかもしれません。
と思って、検索をすると、安吾の作品に足穂の名が出ているのがありました。安吾が足穂と会ったというわけではありませんが、牧野信一が安吾と足穂の両方と親交があったようです。
http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42983_21268.html
また、安吾の「風博士」が足穂的であるという評もありました。
http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42616_21000.html
と思って、検索をすると、安吾の作品に足穂の名が出ているのがありました。安吾が足穂と会ったというわけではありませんが、牧野信一が安吾と足穂の両方と親交があったようです。
http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42983_21268.html
また、安吾の「風博士」が足穂的であるという評もありました。
http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42616_21000.html
_ 玉青 ― 2013年03月08日 23時01分42秒
なるほどー。まあ、この上安吾氏まで招じ入れては座を取り持つのが大変ですから、ご両人には酒壜の半ダースも預けて、我々はそっと席を外すことにしてはどうでしょう?(実は安吾のことをよく知らないんですよ;)
_ S.U ― 2013年03月09日 05時35分32秒
>酒壜の半ダースも
そうですか。あっしはどうも安吾はくさい、ことによると足穂の亜流くずれだったんじゃないか、と睨みかけたとこだったんですが、デカ長がそうおっしゃるなら餌だけ撒いてしばらく泳がせてみることにしやしょう(笑)。
そうですか。あっしはどうも安吾はくさい、ことによると足穂の亜流くずれだったんじゃないか、と睨みかけたとこだったんですが、デカ長がそうおっしゃるなら餌だけ撒いてしばらく泳がせてみることにしやしょう(笑)。
_ 玉青 ― 2013年03月09日 08時29分04秒
おう、頼むぜ。(失礼・笑)
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本当にくどくてすみません。それは、足穂の「星を売る店」に出て来る「星を採っているポスター」です。
以前に、この賢治の「時計店」と足穂の「星売り店」の描写の共通点から賢治が足穂を読んだ可能性を議論させていただいたことがありました。賢治が足穂のファンタジーの掲載された雑誌を読んだかどうかはひとまず収束とさせていただきますが、この「星を採るポスター」もソースの探索とか何か研究の余地がないものでしょうか(全然収束させたことになっていない?)。