世界に驚異を取り戻すために2022年01月03日 13時42分54秒

実感をこめて言いますが、人間は齢とともに必ず変化するものです。
その変化が「円熟」と呼びうるものなら大いに結構ですが、単なる老耄や劣化という場合も少なくありません。この「天文古玩」と、その書き手である私にしても、全く例外ではありません。それはある意味避けがたいことでしょうけれど、せめて新年ぐらいは初心に帰って、昔の新鮮な気持ちを思い出したいと思います。

   ★

下は、時計の針を捲き戻して、自分が子どもだったときの気分が鮮やかによみがえる品。


1932年に発行された、『Wunder aus Technik und Natur(テクノロジーと自然界の驚異)』と題された冊子です。時の流れの中で大分くすんでしまっていますが、その表紙絵がまず心に刺さります。


峡谷をひた走る弾丸列車が何とも素敵ですし、その周囲にも夢いっぱいの景色が広がっています。


空には巨大な星々。その光に白く、また赤く浮かび上がる断崖絶壁と山脈。
その間を縫って自在に舞い飛ぶプロペラ機。


そして大地の下に眠る太古の生物。

   ★

ページをめくると、さらに鮮やかな世界が広がっています。


冒頭は「第1集・自然界の怖ろしい力」と題されたページ。そこに流星、稲妻、火の玉(球電)、雪崩、竜巻、トルネードという、6枚の絵カードが貼付されています。(ちなみにドイツ語では、海上の竜巻(Wasserhose)と地上のトルネード(Tornado)を区別して表現するようです。)


この冊子はシガレットカードのコレクションアルバムで、発行元はドレスデンの煙草メーカー、エックシュタイン・ハルパウス社(Eckstein-Halpaus)

シガレットカードは、煙草を買うとおまけに付いてくるカードで、そのコレクションは昔の子供たち(と物好きな大人たち)を夢中にさせました。そしてカードがたまってくると、こうした別売のアルバムブックに貼り込んで、コレクションの充実ぶりを自ら誇ったわけです。

この「テクノロジーと自然界の驚異」は、第1集から第48集まであって、各集が6枚セットなので、全部で288枚から成ります。手元のアルバムは、そのコンプリート版。
その内容は実に多彩で、




カラフルな世界の動・植物もあれば、


子どもたちが憧れる乗り物もあり、


神秘的な古代遺跡の脇には、


ピカピカの現代建築物がそびえ、


あまたの巨大なマシンが、目覚ましい科学の発展を告げています。

  ★

ここに展開しているのは、90年前の子どもたちの心を満たしていた夢です。
もちろん、煙草メーカーは純粋無垢な心でこのカードを作ったわけではなく、もっぱら商売上の理由でそうしたのでしょうが、それは当時の少年少女が求めたものを知っていたからこそできたことであり、その夢は50年前の子どもである私にも、少なからず共有されています。

このアルバムブックを開くと、私の内なる子どもの目が徐々に開かれるのを感じます。
そして、世界がふたたび驚異を取り戻す気がするのです。

コメント

_ S.U ― 2022年01月05日 17時32分28秒

 私にとっての50年前の「テクノロジーと自然界の驚異」の原典といえば、少年マガジンの特集記事です。グラビアやマンガのものではなく、コラムに分かれた文章がちまちまと書かれているものでした。1970年頃は、特集「決定版シリーズ」というシリーズタイトルだったらしいですが、残念ながら、その毎週のリストがネット上には見つけられません。

 それから、今回ご紹介のカード収集冊子のイメージからの連想ですが、その頃の、玩具やお菓子や生活必需品の入っていた化粧箱のデザインが懐かしく思い出されました。段ボールとか木箱ではなく大ぶりの紙の箱の場合です。今日ではほとんど残っておらず、どんなデザインのものがあったのかほとんど記憶にないのですが、国産品にもこんな夢のあるデザインのものもあったかなと連想しました。

_ 玉青 ― 2022年01月08日 10時53分52秒

>「決定版シリーズ」

うーむ、どうもあまり記憶がありません。S.Uさんとは微妙に年代がずれているせいもあるでしょう。私にとってのマガジンの思い出は、何といっても「うしろの百太郎」と「釣りキチ三平」です。それとサンデーの「漂流教室」。

70年代はまだ「バラ色の未来論」の残滓があったような気がしますが、核の恐怖と公害問題は子供心にも切実でしたし、少年誌の誌面にも現代文明批判の色が濃く、それが一方ではオカルト的なものに、一方では自然回帰志向に向いたのでしょう。

それでも、科学がさらに発展すれば、眼前の問題も結局は解決されるのではないか、つまり人間の不合理は最終的に理性によって超克されるのではないかという思いもあって、科学そのものに対する信頼は持ち続けていた子供時代だった気がします。

>化粧箱のデザイン

ああいう「時代のデザイン」は無意識のうちに刷り込まれますね(「昭和 パッケージデザイン」でいろいろ画像が出てきました)。足穂もよく子供時代に接したシガレットやチョコレートのボックスのハイカラなデザインに言及していたのを思い出します。

_ S.U ― 2022年01月09日 10時48分31秒

>少年マガジン
 確かに、これだけは、微妙な年代の違い(微妙でもないですか(笑))が大きく効いていると思います。1971年以前の少年マガジンは、それ以後のマガジンと比べても、それ以前の他誌(厳密に言えば、サンデーと比べても)まったく別種の雑誌だったと感じます。ただのマンガのための雑誌とは言えず、当時の男の子の全人格(学習や学校のことは別として)を対象にして楽しませようという意気が感じられました。

 少年マガジンが1971年ごろを境に変化した主要原因として、マンガ専門の少年ジャンプが人気で拮抗してきたこと、「あしたのジョー」を大学生が読むようになったこと、ということが定説とされていると思いますが、これは本題をずれますので、コミック誌史家の方々にゲタを預けたいと思います。

 少なくとも私は、科学技術万能支持派で、のちのオカルトブームには批判的でした。でも、鉄腕アトムとともに、「墓場の鬼太郎」や「悪魔くん」を楽しんでいましたので、自分の時代に忠実に支持していただけかもしれません。

_ 玉青 ― 2022年01月10日 12時16分08秒

>男の子の全人格

おお、なんといっても講談社、いにしえの大日本雄弁会ですもんね。マガジンはいわば「少年倶楽部」の直系の子孫であり、まさに筋目正しいコミック誌ですね。
まあ少年誌のことを語り出すと、仰るとおり話が尽きませんから、この件はまた別の機会に譲りましょう。

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