丑から寅へ2022年01月01日 08時44分50秒

喪中のため新年の賀詞は控えさせていただきますが、本年も何卒よろしくお願いいたします。

さてここ数年、干支の交代を「骨」で確認するのを年初の例としてきましたが、トラの骨はさすがにないので、ネコに代わってもらいます。


写真はイエネコの全身骨格と、その足元に置かれたボス・プリミゲニウス(家畜牛の原種)の化石骨。ネコの方は本物ではなくて、プラスチック製模型です(狭い場所に置くとつっかえるので、尾椎を外してあります)。


去年の写真と比べるとなかなか感慨深いですね。
ネズミに比べればネコは巨大ですが、そのネコもトラにくらべればネズミのようなものです。牛も鼠も猫も虎も(そしてヒトも)、元をたどればすべて共通祖先に行きつくわけですが、有無を言わさぬ進化の圧は、100万年単位の時間を使って、これだけ多様な作品を生み出しました。でも、その目まぐるしい変化の向こうにも、やっぱり貫く棒のごときものはあるでしょう。

ももとせの夜2022年01月02日 12時12分33秒

各話が「こんな夢を見た」で始まる、夏目漱石の幻想的な掌編連作、『夢十夜』
その「第一夜」は、死んだ女の墓を守って百年を過ごす男の話です。

「日が出るでしょう。それから日が沈むでしょう。それからまた出るでしょう、そうしてまた沈むでしょう。――赤い日が東から西へ、東から西へと落ちて行くうちに、――あなた、待っていられますか」
 自分は黙って首肯(うなず)いた。女は静かな調子を一段張り上げて、
「百年待っていて下さい」と思い切った声で云った。
「百年、私の墓の傍に坐って待っていて下さい。きっと逢いに来ますから」

こうして男は、日が昇り、日が沈むのを何度も何度も見送り、長い時を過ごします。
やがてどれほどの月日が経ったのか、ある日女の墓から一本の青い茎が生え、その先に白い百合の花が咲きます。

真白な百合が鼻の先で骨に徹(こた)えるほど匂った。そこへ遥かの上から、ぽたりと露が落ちたので、花は自分の重みでふらふらと動いた。自分は首を前へ出して冷たい露の滴る、白い花弁に接吻した。自分が百合から顔を離す拍子に思わず、遠い空を見たら、暁の星がたった一つ瞬いていた。
「百年はもう来ていたんだな」とこの時始めて気がついた。

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100年は長いか短いか。
一冊の星図帳を手に取りながら、一瞬、「ああ、もうあれから100年経ったのか」と思いました。そして「100年は意外に短いな」とも。


でも、それは勘違いで、実はすでに110年が経過していたのでした。
こんなふうに、10年ぐらい平気で間違える粗忽者が存在することを思えば、やっぱり100年は短いです。

この本はすでに以前も取り上げました。

■1912年、英国の夜空を眺める(前編)(後編)

ついでなので、100年前ならぬ110年前の星空を眺めてみます。


1912年1月1日午後10時、ロンドンで見上げた北の空。


そして南を向くと、


きらきらと輝くオリオンの向こうには、


ヒアデスとプレアデスにはさまれて満月が浮かび、その傍らに火星と土星が控えています。110年前の元旦は、なかなか豪華な空でしたね。

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1912年は日本だと明治45年、明治最後の年です。そして同年7月に改元があり、大正元年となりました。漱石が『夢十夜』を発表したのは、そのしばらく前、明治41年(1908)のこと。いずれも100年を超えて久しいです。

女の化した百合の花は、その後どうなったのか?そして男は?
それは暁の星だけが知っていることかもしれません。

世界に驚異を取り戻すために2022年01月03日 13時42分54秒

実感をこめて言いますが、人間は齢とともに必ず変化するものです。
その変化が「円熟」と呼びうるものなら大いに結構ですが、単なる老耄や劣化という場合も少なくありません。この「天文古玩」と、その書き手である私にしても、全く例外ではありません。それはある意味避けがたいことでしょうけれど、せめて新年ぐらいは初心に帰って、昔の新鮮な気持ちを思い出したいと思います。

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下は、時計の針を捲き戻して、自分が子どもだったときの気分が鮮やかによみがえる品。


1932年に発行された、『Wunder aus Technik und Natur(テクノロジーと自然界の驚異)』と題された冊子です。時の流れの中で大分くすんでしまっていますが、その表紙絵がまず心に刺さります。


峡谷をひた走る弾丸列車が何とも素敵ですし、その周囲にも夢いっぱいの景色が広がっています。


空には巨大な星々。その光に白く、また赤く浮かび上がる断崖絶壁と山脈。
その間を縫って自在に舞い飛ぶプロペラ機。


そして大地の下に眠る太古の生物。

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ページをめくると、さらに鮮やかな世界が広がっています。


冒頭は「第1集・自然界の怖ろしい力」と題されたページ。そこに流星、稲妻、火の玉(球電)、雪崩、竜巻、トルネードという、6枚の絵カードが貼付されています。(ちなみにドイツ語では、海上の竜巻(Wasserhose)と地上のトルネード(Tornado)を区別して表現するようです。)


この冊子はシガレットカードのコレクションアルバムで、発行元はドレスデンの煙草メーカー、エックシュタイン・ハルパウス社(Eckstein-Halpaus)

シガレットカードは、煙草を買うとおまけに付いてくるカードで、そのコレクションは昔の子供たち(と物好きな大人たち)を夢中にさせました。そしてカードがたまってくると、こうした別売のアルバムブックに貼り込んで、コレクションの充実ぶりを自ら誇ったわけです。

この「テクノロジーと自然界の驚異」は、第1集から第48集まであって、各集が6枚セットなので、全部で288枚から成ります。手元のアルバムは、そのコンプリート版。
その内容は実に多彩で、




カラフルな世界の動・植物もあれば、


子どもたちが憧れる乗り物もあり、


神秘的な古代遺跡の脇には、


ピカピカの現代建築物がそびえ、


あまたの巨大なマシンが、目覚ましい科学の発展を告げています。

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ここに展開しているのは、90年前の子どもたちの心を満たしていた夢です。
もちろん、煙草メーカーは純粋無垢な心でこのカードを作ったわけではなく、もっぱら商売上の理由でそうしたのでしょうが、それは当時の少年少女が求めたものを知っていたからこそできたことであり、その夢は50年前の子どもである私にも、少なからず共有されています。

このアルバムブックを開くと、私の内なる子どもの目が徐々に開かれるのを感じます。
そして、世界がふたたび驚異を取り戻す気がするのです。

2022年の空を楽しむ2022年01月04日 20時59分49秒

高価な機材をそろえ、国内外のあちこちに遠征しないと楽しめないような、マニア向けの天体ショーは毎年いろいろあって、もちろんそれはそれで楽しみなものです。
その一方で、街中でも、そして誰にでも楽しめる「万人向けの天体ショー」というのもあります。まあ、気軽に空に親しむ機会を求める人のほうが、むしろ潜在的には多いでしょう。

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ルーチカ【LINK】のTOKO(とこ)さんから、素敵な新年の贈り物を頂戴しました。私にとって今年の初荷です。


『星狩りガイド 2022』と題された、この三つ折りのカードには、今年のそんな「万人向け天体ショー」が詰め込まれています。

その最大の特長は、中に小さな星座早見盤が仕込まれていること。

(純白の紙に天河石(アマゾナイト)色の星図がさわやかな印象)

これは非常に優れた工夫だと思いました。静的な「星見カレンダー」は世間によくありますが、こんなふうに早見盤をくるくる操作すると、いつ、どの空域でお目当てのショーが見られるのか、感覚的・具体的につかむことができます。


しかも、カレンダーやスケジュール帳に貼るための備忘用のシールまでセットになっていて、かゆいところに手が届くとはこのことです。

惑星と月の邂逅も、惑星たちが一堂に会する豪華な空も、目ぼしい流星群も、このカードさえあれば見逃すことはありません。このカードは今年一年、今座っている机の脇に立てておくことにします。

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以下は公式の製品紹介ページ。オンラインストアから購入も可能です。

■星狩りガイド2022

幻灯スライドの時代を見直す2022年01月10日 11時54分33秒

ここに来てオミクロンの波高し。
その余波もあって、記事の方はポツポツ続けます。

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数ある天文アンティークの中でもポピュラーな品のひとつに、天体モチーフの幻灯スライドがあります。上のような19世紀の手描きの品はいかにも雅味があるし、一方で20世紀初頭のモノクロスライドは、涼しげな理科趣味にあふれています。

特に後者は数がたくさん残っているので、値段も手ごろで、手にする機会は多いと思います。そうしたガラスの中に封じ込められたモノクロの宇宙は、最新のカラフルなデジタルイメージとはまた別の魅力に満ちており、いわば現代のデジタル像が饒舌なら、昔の銀塩写真は寡黙。そして夜中に一人で向き合うには、寡黙な相手の方が好ましく、そこからいろいろ「言葉以前の思い」が湧いてきたりします。


そんなわけで、私の手元にも天体の幻灯スライドはかなりたまっていて、上の木箱や紙箱に入ったセットもその一部です。

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ところで、最近、自分がある勘違いをしていたことに気づきました。
それは、そうした幻灯スライドの年代についてです。


上のスライドは、有名な「子持ち銀河」M51で、ウィルソン山天文台の100インチ望遠鏡を使って撮影されたもの。撮影は1926年5月15日だと、ラベルにはあります。

上の品もそうですが、この種のガラススライドは、19世紀末から1920年代いっぱい、あるいはもう少し引っ張って、せいぜい1930年代ぐらいまでの存在で、それ以後はスライドフィルムに置き換わった…というのが、私の勝手な思い込みでした。

自分の経験として、ガラススライドは既に身辺からすっかり消えていたので、かなり遠い時代のものと感じられたし、1950年代の学校教材カタログを開いても、視聴覚教材は当時既にスライドフィルム ―― つまりガラスではなくプラスチック素材に感光層が載った、ペラペラのフィルムに置き換わっていたからです(このことは後日改めて書きます)。

でもそれは間違いです。少なくとも天文分野に関しては、ガラススライドは1960年代まで「現役」だったことを、最近知りました。それは古い時代のものがその頃まで使われていた…というだけではなく、新たなガラススライドも、依然作られ続けていたという意味においてです。

例えば、下の画像。これはハーバード・スミソニアン天体物理学センターの Lindsay Smith Zrull 氏のツイートからお借りしたものですが、そこには「1957年8月22日」という日付入りで、ムルコス彗星の画像がスライド化されています(同センターに所蔵されているガラススライド・コレクションの1枚です)。


おそらく、より鮮明で情報量の多い画像を得るには、より大きな画面サイズが必要で、そうした「プロユース」にとって、一見古風なガラススライドは恰好のメディアだったのでしょう。

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ここで、以前参考のために買ったカタログのことをにわかに思い出しました。


上の写真は、いずれも米国の天文台が頒布していた天体写真や天文スライドのカタログです。左はカリフォルニアのリック天文台が1962年に発行したもの、中央と右は、シカゴ近郊のヤーキス天文台が1960年と1911年に発行したものです。

こういう1960年代のカタログが存在すること自体、天文のガラススライドが、その頃まで商品として流通していたことを示すもので、またそうした「商売」が、20世紀初めから行われていたことも分かります。


気になるお値段は、リック、ヤーキス(1960)ともに、4.25×4インチのアメリカ標準サイズのモノクロスライドが、1枚1ドル50セント。リックはカラー版も扱っていて、そちらは5ドルとなっています(※)


ただ、カタログの内容を見て分かったのは、上で「新たなガラススライドも、依然作られ続けていた」と書いたのは事実としても、そこにはある程度保留が必要だということです。というのは、太陽や月、惑星、星雲や星団――こういうおなじみの被写体は、やっぱり1900年初頭~1920年代に撮影されたイメージが大半で、1950年代以降の写真は、新発見の彗星などに限られるからです。(撮影年が書かれてない品も多いので、きっぱり断言もできませんが、年代が明記されているものに限れば、上の傾向は明瞭です。)



冒頭で載せた木箱・紙箱に入ったスライドは、ウィルソン山天文台(リック天文台の弟分)とヤーキス天文台のもので、20世紀初めの撮影にかかるものばかりです。でも、このスライド自体は後年に焼き増ししたものかもしれず、時代は不明というほかありません(やっぱり1960年代のものかもしれません)。

天文の幻灯スライドは、「撮影年」イコール「スライド制作年」とは即断できず、ニアイコールの場合もあれば、半世紀ぐらい乖離がある場合もある…というのが、今日の結論です。


(※)もののサイト(The Inflation Calculator)によると、1960年当時の1ドルは、2020年の8.88ドルに相当するそうです。今のレートだとモノクロが1500円、カラーが5000円ぐらい。結構高いものですね。

天文スライド略史2022年01月11日 22時30分28秒

天文スライドはどのように発展し、どのように受容されてきたのか?その時代的特徴は?―― 天文スライドを愛好する人ならば、そうしたことを知りたく思うでしょう。
まあ、詳細を語ればキリのない話だと思いますが、そのあらましを要領よくまとめた論文を見つけたので、参考に載せておきます。


■Mark Butterworth(著)
 Astronomical lantern slides.
 The new magic lantern journal, vol. 10, no. 4 (Autumn 2008), pp.65-68.

著者のバターワース氏については、1954年~2014年という生没年と、2003年に王立天文学会に入会されたこと以外は未詳です。
全体でわずか4ページの論文ですが、17世紀のホイヘンスから説き起こして、19世紀の幻灯黄金期を中心に、天文学と幻灯スライドのかかわりを説いて、興味津々。

内容はそれぞれにご覧いただくとして、ここでは昨日の記事と関連して、天文スライドの終末期を説いた末尾の部分だけ適当訳しておきます。なお、文中に出てくる「スライド」というのは、フィルム・スライドではなくて、あくまでもガラス製の幻灯スライドのことです。

(以下、〔 〕は訳注。冒頭1字下げは原文の改段落、それ以外は引用者による。)

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 19世紀の終わりには、天文・科学機器のメーカーは、同時に天文スライドを手がけるようになっていた。また世界の多くの主要天文台、特に米国のヤーキスとウィルソン山天文台では、自台で撮影された著名な写真に基づくスライドの頒布を始めていた。ロンドンでは、王立天文学会(RAS)がスライド制作を手がけ、講演や授業で用いるため、会員の多くがそれを購入した。1930年代に入ると、アマチュア団体である英国天文協会(BAA)までもがスライド頒布を行うようになり、それを会員向けに貸し出すライブラリーを設立した。RASとBAAは、今でも自前の参考図書館内にスライドのコレクションを所蔵している。

 ただし、幻灯とスライド自体は、それ以前から衰退しつつあり、1920年代には、天文スライドはもっぱら学術機関内部で使用されるか、天文諸学会が利用するために制作されるものとなっていた。後期のスライドセットは、見る者に一定レベルの予備知識があることを前提としているものが多かった。

スライド制作を手掛ける会社は、ついには1、2社にまで減少した。英国で1930年代ないし1940年代初頭まで、最後の天文スライドを作り続けた会社がニュートン社(Newton & Co.)で、同社も第2次世界大戦が終結すると、結局商売を畳んでしまった。

大学と天文台は、教育目的で自前のスライドを1950年代を通して制作し続けたが、その多くは本の挿絵を撮影して作られたものだ。筆者は1970年代初頭に、セント・アンドルーズ大学で聴講した天文学の講義を思い出す。それはひどく無惨な白黒スライドを使って行われた(筆者が幻灯に興味を抱くようになるずっと前のことである)。

ただし、キーストーン社(The Keystone View Company)は1950年代に入ってもなお、あるいはおそらく1960年代初頭までは、初等教育向けのスライドセットを製造していた。NASAでさえも、初期スペースシャトル計画の広報用を含め、啓発資材の一部として1970年代初めになってもスライドを制作していた。

 天文を扱ったスライドは、他のどんなテーマのスライドよりも、たぶん商業的にいちばん長命を保ったろう。最初期のメーカーに始まり、Mary Dicas〔18世紀後期の光学・科学機器メーカー〕や Philip Carpenter〔同じく19世紀前半のメーカー〕の時代、そしてヴィクトリア時代盛期を経て、さらに1970年代 ―― つまり広告以外の他のあらゆるテーマのスライドが消滅、もしくは他のメディアに移行したずっと後まで、それは存続した。だが残念ながら、他のスライドタイプと同様に、その存在と重要性は、今日の天文学者には事実上まったく知られてないし、科学史家でさえもそうである。

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天文スライドは、他のスライドとは一寸違ったコースをたどったことや、大学や研究機関が、その重要な制作者であったことなど、昨日の記事と読み合わせると、当時の事情が一層立体的に浮かび上がってきます。

なお、文中に出てくる王立天文学会が制作した天文スライドは、以下に登場済みです。

■空のグリッド https://mononoke.asablo.jp/blog/2019/05/27/
■フランクリン=アダムズの天体写真 https://mononoke.asablo.jp/blog/2019/05/30/
■壮麗な天体写真 https://mononoke.asablo.jp/blog/2019/05/31/