幻灯スライドの時代を見直す2022年01月10日 11時54分33秒

ここに来てオミクロンの波高し。
その余波もあって、記事の方はポツポツ続けます。

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数ある天文アンティークの中でもポピュラーな品のひとつに、天体モチーフの幻灯スライドがあります。上のような19世紀の手描きの品はいかにも雅味があるし、一方で20世紀初頭のモノクロスライドは、涼しげな理科趣味にあふれています。

特に後者は数がたくさん残っているので、値段も手ごろで、手にする機会は多いと思います。そうしたガラスの中に封じ込められたモノクロの宇宙は、最新のカラフルなデジタルイメージとはまた別の魅力に満ちており、いわば現代のデジタル像が饒舌なら、昔の銀塩写真は寡黙。そして夜中に一人で向き合うには、寡黙な相手の方が好ましく、そこからいろいろ「言葉以前の思い」が湧いてきたりします。


そんなわけで、私の手元にも天体の幻灯スライドはかなりたまっていて、上の木箱や紙箱に入ったセットもその一部です。

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ところで、最近、自分がある勘違いをしていたことに気づきました。
それは、そうした幻灯スライドの年代についてです。


上のスライドは、有名な「子持ち銀河」M51で、ウィルソン山天文台の100インチ望遠鏡を使って撮影されたもの。撮影は1926年5月15日だと、ラベルにはあります。

上の品もそうですが、この種のガラススライドは、19世紀末から1920年代いっぱい、あるいはもう少し引っ張って、せいぜい1930年代ぐらいまでの存在で、それ以後はスライドフィルムに置き換わった…というのが、私の勝手な思い込みでした。

自分の経験として、ガラススライドは既に身辺からすっかり消えていたので、かなり遠い時代のものと感じられたし、1950年代の学校教材カタログを開いても、視聴覚教材は当時既にスライドフィルム ―― つまりガラスではなくプラスチック素材に感光層が載った、ペラペラのフィルムに置き換わっていたからです(このことは後日改めて書きます)。

でもそれは間違いです。少なくとも天文分野に関しては、ガラススライドは1960年代まで「現役」だったことを、最近知りました。それは古い時代のものがその頃まで使われていた…というだけではなく、新たなガラススライドも、依然作られ続けていたという意味においてです。

例えば、下の画像。これはハーバード・スミソニアン天体物理学センターの Lindsay Smith Zrull 氏のツイートからお借りしたものですが、そこには「1957年8月22日」という日付入りで、ムルコス彗星の画像がスライド化されています(同センターに所蔵されているガラススライド・コレクションの1枚です)。


おそらく、より鮮明で情報量の多い画像を得るには、より大きな画面サイズが必要で、そうした「プロユース」にとって、一見古風なガラススライドは恰好のメディアだったのでしょう。

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ここで、以前参考のために買ったカタログのことをにわかに思い出しました。


上の写真は、いずれも米国の天文台が頒布していた天体写真や天文スライドのカタログです。左はカリフォルニアのリック天文台が1962年に発行したもの、中央と右は、シカゴ近郊のヤーキス天文台が1960年と1911年に発行したものです。

こういう1960年代のカタログが存在すること自体、天文のガラススライドが、その頃まで商品として流通していたことを示すもので、またそうした「商売」が、20世紀初めから行われていたことも分かります。


気になるお値段は、リック、ヤーキス(1960)ともに、4.25×4インチのアメリカ標準サイズのモノクロスライドが、1枚1ドル50セント。リックはカラー版も扱っていて、そちらは5ドルとなっています(※)


ただ、カタログの内容を見て分かったのは、上で「新たなガラススライドも、依然作られ続けていた」と書いたのは事実としても、そこにはある程度保留が必要だということです。というのは、太陽や月、惑星、星雲や星団――こういうおなじみの被写体は、やっぱり1900年初頭~1920年代に撮影されたイメージが大半で、1950年代以降の写真は、新発見の彗星などに限られるからです。(撮影年が書かれてない品も多いので、きっぱり断言もできませんが、年代が明記されているものに限れば、上の傾向は明瞭です。)



冒頭で載せた木箱・紙箱に入ったスライドは、ウィルソン山天文台(リック天文台の弟分)とヤーキス天文台のもので、20世紀初めの撮影にかかるものばかりです。でも、このスライド自体は後年に焼き増ししたものかもしれず、時代は不明というほかありません(やっぱり1960年代のものかもしれません)。

天文の幻灯スライドは、「撮影年」イコール「スライド制作年」とは即断できず、ニアイコールの場合もあれば、半世紀ぐらい乖離がある場合もある…というのが、今日の結論です。


(※)もののサイト(The Inflation Calculator)によると、1960年当時の1ドルは、2020年の8.88ドルに相当するそうです。今のレートだとモノクロが1500円、カラーが5000円ぐらい。結構高いものですね。

コメント

_ S,U ― 2022年01月11日 10時16分31秒

研究用では、ガラス乾板は、案外息が長かったですね。下の関勉先生の記事にありますように
http://comet-seki.net/MemComet0012.html
1980年代はまだガラス乾板の新品がコダックの汎用的な(といっても天文の赤外線向け)品として出ていたみたいです。もっとも、関先生は、彗星写真から位置の精密計測をマイクロメーター付顕微鏡でされていたので、これはガラスが精度上有利だったのだと思います。そのような用途だけでも、コダックのガラス乾板の需要はじゅうぶんにあったのでしょう。仮に、1960年代の彗星のスライドが市場に流れているとして、それが計測用に撮影された原版が横流しされたのか、それとも販売目的でレプリカを作ったのかは興味のあるところです。

 私も、高校生の時に、物理部で1度だけガラス乾板の撮影現像をしたことがあります。物理準備室に古いガラス乾板と木製の箱形のカメラがあったので、撮影して現像したら一応写っていました。ガラスは当時フィルムでよくあった6x6より大きかったと思いますが、暗室があったのでカメラに無理矢理入れて撮影することは可能でした。現像の薬剤は写真部から当時の普通のモノクロフィルム用のものを入手しました。でも、乳剤が劣化していて乾燥するに従いガラスから剥がれ、焼き増しプリントの途中で画像は失われてしまいました。たぶん、乾板は10年以上経っていたのでしょう。さすがに戦前の品ということはないと思います。
 ということで、高校の物理教育でも何らかの目的のためにガラス乾板が1950年代頃まで使用されていた可能性があります。

_ 玉青 ― 2022年01月11日 22時46分28秒

これは貴重な情報をありがとうございます。
ガラス乾板は高価なプロユースとしては、かなり後まで使われていたのですね。まったく知りませんでした。

ここでガラス乾板とガラススライドの関係が気になったのですが、ふと前にも話題にした気がして探したら、以下で書いていました(何と今から9年も前の記事です)。

■ガラススライドの話
 http://mononoke.asablo.jp/blog/2013/03/11/6743431

あまり要領を得ない書きぶりですが、「ガラス乾板はフィルムであり、ガラススライドは印画紙だ」という自分の記述は――これが合っているかどうかは不明ですが――、何となく的を射ているような気がしました。

_ S.U ― 2022年01月12日 09時04分50秒

9年前の御記事の紹介ありがとうございます。おっしゃるような内容でよく理解できました。古い現像焼き付けの経験の記憶を元に、僭越ながら多少補足させていただきますと、

・新彗星など天体計測用の場合は、原板のネガ画像を使ったとしか考えられず、一般頒布用は、それから作ったポジ画像でしょうから、原板の横流しか商品としての製造品かは、ネガかポジかで区別が出来るはず。

・「ガラス乾板はフィルムであり、ガラススライドは印画紙だ」は、正しい。どちらも銀塩写真の原理は同じだが、ネガ用のものは一般には「ラチチュード」が広く設定されていて(軟調と呼ばれる)明暗のダイナミックレンジとグラディエーションの情報の双方を増やすことに重点が置かれ、ネガ写真の透過光で複製するポジ用のものは見た目の明瞭性のため逆にコントラストを増す(狙った光量範囲で明暗を強調する)硬調が基本になっている。光量は、ネガ(自然の光がたより)と違って、転写のポジでは人工光でなんとでもなる。

ということです。ただし、天文用では暗い天体が写るように高感度を目指すので、そうすると粒状性が犠牲になって、結局、硬調風になってしまい、位置計測精度とは相反し苦しい妥協があったことと思います。

 以下は、蛇足のコメントです。
まず、疑問点ですが、1950年以降は近代的なベースのフィルムが利用できるようになったのだから、頒布用スライドや一般撮影用に脆いガラスを使う必要はない(精密計測目的を除いて)のに、なぜその後も生産が続いたのか、ということです。私が、幼稚園生、小学生の時は、記念写真というと写真屋のおじさんが木製の蛇腹カメラを持って出張してきてくれて、木箱に入った乾板を差し替えていましたので、ガラス乾板で撮っていたと思います。カメラは戦前の品を大事に維持されていたのでしょうが、もちろんガラス乾板は製造したての賞味期限内のもので高価だったのでしょう。なにか、それ以外にも私の知らないガラス乾板の優位性があったのかもしれません。
 また、けっこう後代まで使用、製造されていたにも関わらず、ガラス乾板製品の情報は現在ネットにほとんど見つからないのは遺憾です。関先生の著書によって、先生は1970年代にはFLO-IIという乾板を使用していたことがわかりました。この時代、先生は彗星発見者として有名人でしたが、まだ芸西天文台がなかったので観測態勢はアマチュアだったはずです。そのような品まで、メーカーや仕様等ネット上ではまったく情報を見つけられません。

 長文失礼しました。私としてはただ1回の使用経験しか無いのですが、こういうのはけっこう盛り上がってしまいます。

_ 玉青 ― 2022年01月14日 05時57分26秒

これは深掘りありがとうございます。

>写真屋のおじさんが木製の蛇腹カメラを持って

あ、何か記憶がありますね。確かに写真屋さんのおじさんが、暗幕をかぶってカシャッとやっていました。でも大型カメラに仕込まれていたのは、すでにフィルムだったかもしれません。(何となく乾板を差し替えていたような気もするんですが、それはテレビや映画で見た記憶が混入しているだけかも。)

素人考えながら、ガラス乾板の利点は、完璧な「平面性」にあったんでしょかね。フィルム式のものでも、昔の大型カメラで写真を撮る場合、ピントグラスに写った像をルーペで確認しながら慎重にシャッターを切ったと言いますが、そこまで気を配ってもフィルムの方は完全な平面性を保ち難かったでしょうし、そういう点が厳密な計測用写真では重視されたのかもしれません。

それとガラススライドの方は、何といっても拡大(それも相当の強拡大)して眺めるものですから、普通の紙焼き写真よりも要求される画像解像度が格段に高かったという事情が大きかったのでしょうね。まあ、小学校の授業ならばフィルムスライドでも一向に構わなかったでしょうが、大学の講義や学会発表では、より一層鮮明さが求められたということかなあ…と想像します。

_ S.U ― 2022年01月14日 12時33分57秒

>すでにフィルムだったかもしれません
大判カメラとプレートホルダーが木製ならガラス乾板、それらが新しげでプラスチックか金属製なら大判フィルム、と仮定しますと、私の近くの写真屋さんがフィルムに移行したのは、1968年頃ではなかったかと思います。ご指摘のような一長一短があったようなので(ガラスは平面性のセットが容易、フィルムは軽量安価)、移行時期は写真屋さんによって多少の幅があったかもしれません。玉青さんのご幼少の記憶は微妙な時代でしょうか。これはぜひ、昔の街の写真屋さんに取材してみたいです。

 さらに深掘りしていただきましたので、ガラスの特性に付け加えることはありませんが、乾板とスライドの違いについて、コメントを拝見してもう1点本質的なことに気づきました(この話題、ホントにキリありませんねぇ・・・)。それは、スライドが映写レンズでの拡大を前提にしているのに対し、往年のガラス乾板は、拡大無しの「密着焼き付け」がほとんどだったということです。写真を処理するお店のことをDPE店といいますが、この"P"はContact Printing の意で、"E"(Enlargement)とは区別されていました。ガラス乾板の記念写真は、密着焼き付けによってプリントが容易に増産されたものと思います。
 なお、密着焼き付けは、ガラス乾板の専売ではなく、同時代のブローニーフィルム(6xX)でもその後の大判フィルムでも採用されていますが、フィルムでは、現在でも、このようなガラスのついた道具のお世話にならないといけません。

http://www.iseise.com/index.php?%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%97%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC

量産プリントで、印画紙を入れ替えるたびの密着の手間を考えると、かつてはネガ面にもとからガラスがついていたことの優位性は明らかと思います。いやあ、昔の写真屋さんに取材してみたいです。

_ 玉青 ― 2022年02月04日 18時21分48秒

お返事が遅くなり申し訳ありません。
幻灯とスライドの話題、いたずらに時が経っていくぶん気が抜けてしまいましたが、ネタはありますので、また後で蒸し返そうと思います。
業務連絡で恐縮ですが、協会用務に関連して後ほどメールを差し上げます。

_ S.U ― 2022年02月05日 08時53分18秒

幻灯からはだいぶ逸脱してしまいましたが、私も、「学会スライド作成」や「密着プリント(密着転写)」に、まだネタはありますので、また蒸し返しをお願いします。

業務連絡については、メールでご返事申し上げました。よろしくお願いいたします。

そういえば、ウィリアムではありませんが、ジョン・ハーシェルが「青写真」の発明者ですよね。このへんのことは、ストーリーにまとめられれば面白いかもしれないのでまた考えてみます。

_ 玉青 ― 2022年02月06日 22時18分57秒

なかなか話題は尽きず、いろいろ広がりのあるテーマですね。
引き続きどうぞよろしくお願いします。

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