学校幻灯会…1947アメリカ2022年02月08日 06時03分37秒

(前回のつづき)

1955年の日本の状況は、かなりの程度まで同時代のアメリカの状況の反映だと思いますが、その少し前、1947年のアメリカの幻灯事情を示す動画をYouTubeで見つけました。


■手作りのランタンスライドの作り方
インディアナ大学のオーディオ・ビジュアルセンターがかつて制作したもので、上の動画には制作年がありませんが、同じ動画のモノクロ版には、1947年というコピーライト表示があります。

先生や生徒が、いろいろな技法を使って、せっせとスライドを手作りしている動画ですが、ここに登場するのは、すべて昔ながらの4×3.25インチ(10×8.25cm)のアメリカン・サイズのガラススライドです。つまり、この頃までは戦前とひとつながりで、ガラススライドが教育の場でも健在だったことが分かります。

となると、フィルムスライドへの移行は、1947年から1955年までの数年間でかなり急速に生じたことになります。

そして、フィルムスライドの全盛期も長くは続かず、映画が登場し、テレビが登場し、先生たちの手作り教材はOHP(オーバーヘッドプロジェクター)に置き換わり、それもまたネットとパワポに駆逐されて現在に至る…というわけでしょう。(もっとも、フィルムスライド自体は、小中学校の授業から消えた後も、大学の講義や学会発表では長く重宝された気がしますが、それも今となっては昔語りです。)

とはいえ、1947年の先生や生徒たちの表情や手元を見ていると、何だか楽しそうだし、教育のあり様としても、そう悪くない気がします。

(この項おわり)

コメント

_ S.U ― 2022年02月08日 13時39分05秒

私には、資料も記録もなく、ただ幼時の記憶があるのみですが、それによると、幻灯が幼稚園、小学校、子供会で行われていたのは、1960年代中葉までに限られ、私の記憶では、媒体は間違いなくロールフィルムでした。おそらく35mmだったと思います。ただ、それ以降、メディアが廃れてしまったのか、コンテンツが小学校低学年用(童話など)に限られていたためか、私の目の前から消えた事情ははっきりしません。玉青さんは、ロールフィルムの幻灯のご幼少のご記憶はありますでしょうか。
 いずれにせよ、幻灯に置き換わった16mmフィルム映画は、はるかに進んだメディアですが、それで童話を見るか(当時は幼年向け童話映画はディズニーくらいしなかったので、学校で映写したとは思えません)とか、機械操作に手軽さに欠けるところがあり、幼稚園や小学低学年向けにそうそう映写していたとは思えません。それくらいなら、テレビを見せればすむ話でした。

 それで、次世代のスライドというのは、2インチ×2インチの近代的なスライドプロジェクターで、これは学会等を含めればOHPと併用されて、1990年代まで存在したと思います。ただ、リバーサルカラーフィルムは、高価だったので(36枚で現像料含めて2500円くらいしました。おそらく値段は、1960年代から現代までほとんど変わっていないと思います。個人でどれほど多用出来たか疑問ですが、学会発表用の図版は、おもに白黒写真のネガに撮ってジアゾ方式「青焼き転写」でネガの「青焼きスライド」にしたものが使用されていました。私はスライドも装置も見たことはありますが、作ったことはありません。

 また、同様のネタは小出しにさせていただきます。

 協会のメールの件もありがとうございます。こちらも進めておりますので、今しばらくお待ち下さるようよろしくお願いいたします。

_ 玉青 ― 2022年02月12日 11時20分18秒

> ロールフィルムの幻灯の記憶

ロールフィルムの幻灯自体は、後年、古物市場で目にしたので、その形状はよく覚えています。でも、リアルタイムの記憶となると、これがあるような、ないような、微妙な感じですね。たぶん、S.Uさんが示された60年代中頃というのが、私の記憶の上限と重なっているのが原因でしょう。

学会発表用のスライドも懐かしいです。私も作った記憶があります。あれはリバーサルフィルムと撮影台を使ってパシャパシャやっていた気がします。マウントも専用の器具を使って、自分でやっていた記憶がありますが、ときには全部業者に頼んだときもあったかも。OHPシートは手差しコピーでせっせと作っていましたが、トナーの定着が悪く、汚れがちで、ちょっと困りました。

_ S.U ― 2022年02月13日 08時05分59秒

ロールフィルムの幻灯のご記憶の件、ありがとうございました。
 幻灯上映会の息の根を止めたのは、突き詰めれば、16mm映画レンタル業の普及によるものかもしれません。それがいつ頃かネットで調べようとしているのですが、さっぱりわかりません。私の記憶では、おそらく1960年代中頃ということで間違いないと思いますが、客観的証拠が出てきません。
 その16mm映画レンタル業も10年ほど前までは確かにあったのですが、今日只今では、レトロ趣味の関係を除き完全に廃れたと思います。レンタルDVDやBDでは、公的な上映会はおそらくできないと思いますし、あえてやろうという人もいないと思うので、幻灯会の次世代をもって、この方面はメディアもコンテンツも終わったことになると思います。YouTube がその直系の後継者ということになるのでしょうか。

 学会用スライドの件は、学問分野の違いが大きいのでしょうね。私の分野は、手書きのOHPがおもで、手差しコピーのトナーが不調の時はグラフや図面も手でなぞって描いていました。生物医学系や社会系など図の細かい分野ではそれでは通用しないので、リバーサルなりジアゾ系なり写真技術が比較的後期まで残ったのだと思います。

_ 玉青 ― 2022年02月13日 18時09分45秒

年代的な上限・下限は分かりませんが、記事で引用した1955年の教材カタログには、幻灯ばかりでなく16ミリ映写機や16ミリ映画も出てくるので、その頃にはすでに存在したことが分かります。ハード(映写機)の方は20万~30万円ぐらいで、幻灯機の約10倍の価格帯です。そしてソフト(映画作品)の方は、5分ものでも6000円、20分の作品だと2~3万円ぐらいになってしまうので、とても一般の小中学校では手が出なかったでしょう。そうした事情もあってか、ソフトの価格表には「貸」(貸出し用)という表記もたくさん見られます。おそらくハードも込みで貸出してくれる業者さんが、1955年には既に存在したように受け取れます。
(ついでに言うと、16ミリ映写機の後ろには「テレビジョン」も並んでいて、その価格帯は10万~20万円ぐらいで、16ミリ映写機よりもむしろ安いのが意外です。まあ、教育テレビも開局前の時期で、テレビがあっても子供たちに見せる番組がなければ、学校では無用の長物だったでしょう。)

_ S.U ― 2022年02月14日 12時26分08秒

16ミリ映画の映写機と学校用コンテンツは、相当早期に用意されていたのですね。その時代のことは私にはわかりませんが^^; 私の小学校時代の映写機は、学校でかなりの頻度で上映されていたものの(2カ月に1度×6学年くらい)ずっと映写機が学校に置いてある雰囲気はなかったので、近隣数校で共同購入だったか、市からの貸し出し品ではなかったかと推測します。内容は、自然史的なもの、子どもがでる邦画作品など、2時限ぶっ通しでやったように思います。

 16ミリ映画の学校や民間レンタルによる映画会の普及は、街の映画館の隆盛(映画館がもっとも多かったのは1961年頃だそうです。怪獣映画や今でいうアイドル映画が始まった頃と思います)、およびテレビの普及(「皇太子(現上皇陛下)ご成婚」1959年)と連動していることは間違いないと思います。テレビが家庭に普及済みの1960年代中葉になっても、まだ映画館ではメイン作品の前後に、白黒のニュース映画を10分くらいやっていて、子供心に「なんでこんなテレビで報道したことをまた映画館で時間つぶしをするのか」と内心腹を立てていました。それでも、「総天然色」映画は、カラーテレビが普及するまでは高い価値がありました。

 映画が、子どもや教師に対して幻灯の時代遅れ感をもたらし、それを廃れさせた直接原因だったことは確実と思いますが、小規模映画会についてはまた話が広がりそうなので、自分から持ち出しといて何ですがまた別の時の話題とさせてください。

_ 玉青 ― 2022年02月15日 22時24分16秒

承知しました。
この辺は尺を長くとって、ゆるゆると続けることにいたしましょう。

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