野間仁根とタコと星(中編) ― 2024年09月29日 11時57分25秒
今回の「野間仁根とタコと星」というタイトル。「野間仁根と星」はいいとして、「タコ」っていったい何だね?…と思われるかもしれませんが、野間仁根は「タコと星」という一文をかつて草しており、それを見た草下英明氏が今度は「野間仁根と星」という一文を書いているので、両者を合体させたわけです。
ここであらかじめお断りしておくと、私は草下資料を今年の6月に引き継ぎ【LINK】、資料内容を確認する際に、上記の表題を見て知ってはいました。でも、その内容に目を通すのは今日が初めてです。「野間仁根とタコと星(前編)」を書いた時点でも、まだ読んでいませんでした。
こういう行き当たりばったりが許されるのが個人ブログのいいところで、そこにライブ性やグルーヴ感が生まれるわけです(適当なことを書いています)。
しかし、実際にそれを読んでひどく驚きました。
あまりにも予定調和的な内容だったからです。
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まず、野間仁根の「タコと星」を見てみます。
これは雑誌「改造」の昭和22年(1947)9月号に掲載されたものです。私は現物を見ていませんが、草下氏がその一節を書き写したメモがあるので、それを孫写しします。
「タコと星 野間仁根 改造.22.9
…私の土から掘りとったのは、穴ダコといふのでまるで小さかった。この晩、星が美しかった。
…私の土から掘りとったのは、穴ダコといふのでまるで小さかった。この晩、星が美しかった。
夜釣に出て、この無数の星に対すると目じるしがない為に、いつも新しく、なじみがなかった。それで心淋しかったのであるが、近来やゝ目じるしが出来たのである。妻も子供のチビまでが「星を見に出るんですか」といふやうになった。亦やってゐるなとでも思ふのであらう。とにかく星の夢を二回見たのである。夜が更けやうが、明け方であらうが、楽しみが一つ出来たのである。小学生全集の星の巻が唯一の手引である。これで星の小学生である。」
(昭和4年(1929)『天文の話・鉱物の話』(小学生全集62)。「小学生全集」と銘打ったシリーズ物は、戦後も保育社や筑摩書房から出ていますが、年代的に合致するのは、この戦前に出た文藝春秋社・興文社の共同発行版だけです。「天文の話」の章は、山本一清の執筆)
前段がはしょられているので、文意がはっきりしませんが、夜釣りやタコ捕りの折に見上げた星空の美しさに目を見張り、遅まきながら小学生全集で星座入門をした経緯を訥々と綴った文章です。
(長くなるので、ここで記事を割ります。後編につづく)
野間仁根とタコと星(後編) ― 2024年09月29日 12時03分48秒
(本日は2連投です。前回のつづき)
さて、それを読んだ草下氏の所感が「野間仁根と星」です。
日付けは昭和22年(1947)10月23日、大倉土木株式会社の社用箋にペン書きされています。
昭和22年というのは、草下氏が大学を卒業した年。
まだ大学生だった4月、「銀河鉄道の夜」に出てくる星について書いた文章が、岩手の「農民芸術」誌に掲載され、これは氏にとって自分の文章が活字化された最初の経験です。6月には上野の科博で野尻抱影と初対面の挨拶を交わし、その自宅を訪問しています。そして10月から父親のコネで大倉土木(現・大成建設)に入社したものの、経理の仕事がまったく性に合わず、翌年「子供の科学」編集部に転職。
そんな時期に、22歳の若者が仕事のつれづれに書いた文章が「野間仁根と星」です。あくまでも個人的感想として書いたもので、たぶん活字化されることもなかったでしょう。用箋2枚のごく短い文章なので、これも全文書き写しておきます。
「野間仁根と星 「改造22.9より」
仁根といふのはどう読むのか知らなくて、私はジンコン、ジンコンと呼んでゐた。絵は上手なのか、下手なのか、サッパリ分らないが、この人とか、小山内龍(死んでしまった)、清水嵓の動物画、鈴木信太郎などの絵には何となく好感を持ってゐる。
最近改造九月号の広告を見てゐたら、「タコと星」野間仁根といふ標題を見つけた。「タコと星」か、「イカと星」なら分らんこともないがとくびをひねりながら、人に借りて見たら、何処かの海岸でタコを捕へてよろこぶ話が書いてあり、その晩はすてきな星空で、私は何んにも星のことは知らないが、小学生全集の星の巻をたよりに楽しみにしてゐるとか書いてあり、子供二人が砂浜に坐り、無雑作な天の川が流れ、天の川のわきにカシオペアとぺガススがハッキリ書いてあるのを見て、思はず微笑した。
その時ふと、新潮社版の宮澤賢治童話集「銀河鉄道の夜」のさし絵を書いたのはこの人だっけと思った。星の絵などといふものは、どうせいくら実感を出したところで、本物の星と比較するに由なき様な代物なのだから、かへって仁根のこんな風な絵の方が面白味もあるし、我々などにはともかく絵画の中に星座を発見出来たといふことは、日本画壇では始めてなのではないかと思はれて嬉しくなった。
ところが最近、友人と数寄屋橋際の日動画廊といふのをのぞいてみたら、野間仁根の「白夜」「星」と題して二つの絵に星が描かれてあるのを発見した。「星」の方は何んの星座を書いたものかよく分らなかったが、「白夜」と題する方は昭和二十二年の七月二十日(?)とかの夜の作品とかで、何かビルマか南方の風俗を思はせる人物と海浜の景色の上に、一杯に例の如き荒ッポイ星座がひろがってゐたが、それは正しく蝎座であり、アンタレスは赤く、木星もハッキリと輝いており、その間に六、七日位の月が書かれてあった。その他の星座も、特に射手座などもシッカリ書かれてゐる筈なのであらうが、ハッキリ認められなかったが、ともかく蝎座だけは見事に現れてゐた。
絵画としての星座は本当にこれが始めてなのではないか。が、それにしてももう少しなんとか他に書きようはないものか。仁根の絵は、好感は持つが、私としては星の美をそこなふ以外の何物でもないやうな気がするのだが。
氏の星に対する開眼をよろこび、一日も早く小学生全集からおそらく未知の野尻さんへと進展することを期待する。」
仁根といふのはどう読むのか知らなくて、私はジンコン、ジンコンと呼んでゐた。絵は上手なのか、下手なのか、サッパリ分らないが、この人とか、小山内龍(死んでしまった)、清水嵓の動物画、鈴木信太郎などの絵には何となく好感を持ってゐる。
最近改造九月号の広告を見てゐたら、「タコと星」野間仁根といふ標題を見つけた。「タコと星」か、「イカと星」なら分らんこともないがとくびをひねりながら、人に借りて見たら、何処かの海岸でタコを捕へてよろこぶ話が書いてあり、その晩はすてきな星空で、私は何んにも星のことは知らないが、小学生全集の星の巻をたよりに楽しみにしてゐるとか書いてあり、子供二人が砂浜に坐り、無雑作な天の川が流れ、天の川のわきにカシオペアとぺガススがハッキリ書いてあるのを見て、思はず微笑した。
その時ふと、新潮社版の宮澤賢治童話集「銀河鉄道の夜」のさし絵を書いたのはこの人だっけと思った。星の絵などといふものは、どうせいくら実感を出したところで、本物の星と比較するに由なき様な代物なのだから、かへって仁根のこんな風な絵の方が面白味もあるし、我々などにはともかく絵画の中に星座を発見出来たといふことは、日本画壇では始めてなのではないかと思はれて嬉しくなった。
ところが最近、友人と数寄屋橋際の日動画廊といふのをのぞいてみたら、野間仁根の「白夜」「星」と題して二つの絵に星が描かれてあるのを発見した。「星」の方は何んの星座を書いたものかよく分らなかったが、「白夜」と題する方は昭和二十二年の七月二十日(?)とかの夜の作品とかで、何かビルマか南方の風俗を思はせる人物と海浜の景色の上に、一杯に例の如き荒ッポイ星座がひろがってゐたが、それは正しく蝎座であり、アンタレスは赤く、木星もハッキリと輝いており、その間に六、七日位の月が書かれてあった。その他の星座も、特に射手座などもシッカリ書かれてゐる筈なのであらうが、ハッキリ認められなかったが、ともかく蝎座だけは見事に現れてゐた。
絵画としての星座は本当にこれが始めてなのではないか。が、それにしてももう少しなんとか他に書きようはないものか。仁根の絵は、好感は持つが、私としては星の美をそこなふ以外の何物でもないやうな気がするのだが。
氏の星に対する開眼をよろこび、一日も早く小学生全集からおそらく未知の野尻さんへと進展することを期待する。」
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野間を画家として評価しつつ、その星の絵にはちょっと点数が辛いですね(私も同じ意見です)。そして、草下氏も野間仁根を『銀河鉄道の夜』の挿絵画家として想起した…というのも嬉しい点で、時を隔てて同じ思路をたどった「同志」のような気がします。
草下氏は1982年に『星の文学・美術』(れんが書房新社)を上梓し、その「あとがき」の中で、「なお、この本に取り上げた対象は、古典古美術が大部分で、明治以後の近代文学・美術については、未だかなりの資料をあたためているのだが、全体の体裁を考慮して、割愛させていただいた。それらについては、また稿をあらため、他日を期したいと思っている。」と書いています。
氏が言う「かなりの資料」は、今後、草下資料の中に見つかるかもしれませんが、結局、本の形で実現することはなく、草下氏も1991年に亡くなられました。でも、その構想の中では、きっと野間仁根についても1章を割り当てていたことでしょう。
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稲垣足穂に「銀河鉄道の夜」を読ませたのも草下氏だし、抱影と足穂を引き合わせたのも草下氏です。ここでは抱影と野間を直接引き合わせたわけではありませんが、このあと野間は現に抱影と親しくなり、その著書の挿絵まで手がけるわけですから、事態は草下氏の予言どおりに進んだことになります。
草下氏は独特の嗅覚で、互いにくっつきそうな素材を見つけては、自らがその結合を促し、それまで存在しなかった化合物や合金を生み出しました。一種の触媒的存在であり、それこそがジャーナリストの本領なのかもしれませんが、それにしても草下氏というのはつくづく稀有な人だなあと思います。
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