天文趣味400年(そしてフォントネルのこと) ― 2009年02月26日 22時44分00秒
さて、気を取り直して、天文趣味の本流に戻って記事を再開します。
ガリレオが望遠鏡で星を観測したのが、今からちょうど400年前。今年はそれを記念して「世界天文年」なのですが、ガリレオはいわば天文趣味の元祖でもあるので、今年は「天文趣味400周年」だとも言えます。
コペルニクスや、ケプラーではなく、なぜガリレオが元祖か?といえば、それはひとえに望遠鏡という道具の象徴性によるのです。天文趣味のイコンは、何と言っても天体望遠鏡ですから。そして実際、望遠鏡による天界の探求は、当時の文学的想像力を強く刺激し、文字通り新たな「趣味」と呼びうるものを生み出した…というのは、以前も書いたような気がします。
ところで、ガリレオを起点にして天文趣味史を綴る場合、ガリレオから19世紀初頭までの200年間の記述が、けっこう悩ましいですね。
上で書いたことと一見整合しないようですが、商品として望遠鏡が一般に流通するまで、現在のような意味での天文趣味(すなわち天体観測趣味)は、ほとんど世に行われなかったんじゃないかという気がします。
17~18世紀の天文趣味は、実際に星を観測するよりも、むしろ観念先行型というか、一種の知的「ファッション」だったと思います。
どういうことかと言うと、当時の人々が宇宙をウットリ見上げるとき、その脳裏にあったのは、デカルトの渦動論や、ニュートンの万有引力の法則であり、そうした「宇宙を貫く真理」を見抜いた「人間の高貴な精神」への賛美と、そうした摂理によって、広大無辺な宇宙が隅々まで統べられていることへの驚嘆が、その基調をなしていたということです。
ニュートンは、その機械的宇宙論のために、後にロマン主義者から忌避されることになりますが、往時は反対に、そうした単純な法則によって宇宙を説明できること自体がワンダラスであり、ロマンの輝きを放ったのでした。
そして、そこにさらにロマンを添えたのが「多世界宇宙論」であり、天文趣味史を綴る上で、1686年に出たフォントネルの『世界の複数性についての対話』を外すことはできません。
そのことについて少し書いてみたいと思います。
(写真は赤木昭三訳による『世界の複数性についての対話』。工作舎, 1992)
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