豊郷小学校に見る、昭和の理科教育空間(9)2012年06月03日 16時30分37秒

以前書いたように、天文教具の類は、他校のモノと併せて、別項で取り上げようと思うので、ここでは屋外に設置された、豊郷小の天文・気象・地学系の施設を見てみます。

   ★

今、改めて『手引』を読んでみて、当時の天文の学習が、非常にアンビバレントなものだったことに気付きました。先生は相当苦労を感じていたようです。
なんとなれば、当時はまさに「宇宙ブーム」の真っ只中でしたから、子どもたちの(そして先生たちの)宇宙への関心は高く、教育者としてそれに応えたい思いが当然あったわけですが、小学校のカリキュラムは、それとはかけ離れていたからです。

『手引』の記述(以下、pp.96-97より引用)から引くと

天体学習の意義をまとめると
・太陽、月、星の運行のそぼくな観察にはじまり、天体の秩序ある動きに
 気づかせ、しだいに時間、空間の概念を拡充していく。
ことにあるといえよう。

したがって、

天体に関する学習は、このような時間、空間の意識の発達に沿って漸進的に指導することがたいせつであり、ひとっとびに、「月や火星に生物が住んでいるか」などを考えさせるのは、子どもの興味は高いが天体学習の本質的なねらいではない。

と言わざるを得ません。しかし、

子どもの知的な角度から見ると、天体ほど神秘的なものはなく、疑問調査などをすると、この傾向が特に強くあらわれる。このように子どもの天体についての知的な要求が高いにもかかわらず、現実に学習をしようとするとき、子どもの能力にあった実証的手段が少なく、扱いにくい教材とされている。

要するに、ニーズと現実との間に、大きなギャップがあったわけです。
マスコミからの情報で耳年増になった子どもたちの声にどう応えるか。先生たちの熱い努力は、後ほど「天文教具・屋内編」で、たっぷり見るつもりですが、本項で取り上げる屋外施設は、どちらかというと「そぼくな観察」のためのものが主です。(だから、あまり人気はなかったんじゃないかなあ…とひそかに想像します。)

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グランドの隅に設置された「日の出の観測板」。


遠くの山並みと、季節ごとの日の出の位置が図示され、その季節変化を体感するためのものです。6年生用。(とはいえ、実際に日の出を観測するために、早朝登校をする習慣があったとも思えず、これは「観測板」というよりは、単なる「説明板」ではないでしょうか。)

さらに太陽の運行を細かく知るために、「日時計」というツールも、しばしば導入されました。これは今でも各地の学校にあるでしょう。
豊郷小の場合は、豪華に、水平日時計、垂直日時計、こま型日時計という3種の日時計をならべて設置していました。


水平日時計は、水平な円盤の中央に三角板を立てたタイプで、日本ではいちばんポピュラーなもの。垂直日時計は、ヨーロッパの古い町並みにあるような(建物の壁に取り付けてあります)、目盛りを刻んだ台板の方を垂直にして、そこからヌッと棒が突き出ているタイプ。そして、最後のこま型日時計は、円盤の中央に棒を立てて、棒の先が天の北極を向くように(つまり棒が地軸と平行になるように)、円盤を斜めに傾けたタイプです。

日時計をいっぱい作るのは、なんだか無駄なような気もしますが、『手引』には、「予算が許せば、できるだけ多くの日時計を同一場所に設置し、それぞれ同一の時刻を示すことや三角板、または棒が北極星の方向をさしていることを学ばせるとよい」と、これを奨励しています。見かけは様々でも、そこには統一的な原理があることを学ばせる意図があったのかもしれません。ともあれ、一事が万事、豊郷小の予算が潤沢だったことがよく分かります。

豊郷小の日時計のそばには、さらに下のような「時差表示板」が立っていました。


目を凝らすと、以下のような説明が書かれています。

「日時計で時刻のあてっこをしましょう。
 日時計は季節によって下のグラフのようなちがいができます。
 このちがいをさしひきして考えなさい。黒線-ひく 赤線-たす」 

なぜこういう操作が必要なのか?このグラフをにらんで、はたと気づく子どもがいたら素晴らしいですね。

正解には至らぬまでも、
「太陽が動くのは、地球が自転しているからだと本には書いてあったぞ。
 だけど、日時計はしょっちゅう進んだり、遅れたりする…。
 うーん、地球の自転は、季節によって速くなったり、遅くなったりするのかな?
 変だなあ、先生は地球はちょうど24時間で1回転すると言ってたのに??」
…という疑問を、自ら抱くような子供が育てば、小学校の天文教育としては万々歳ですが、実際はどんなものでしょうか。

(書いているうちに妙に長文になったので、気象編は次回にまわします)

コメント

_ S.U ― 2012年06月04日 08時16分08秒

>天文~アンビバレント
 これについてはまさに当時はその通りでした。子どもたちも、暦や天体の動きについて関心を持っている人が、ガガーリンや宇宙船に関心を向けることがあったでしょうし、また、その逆の順で空に関心を持った人も多いことでしょう。私も1968年からアポロ月飛行と天体の両方に同時に関心を持つようになりました。でも、その2つは違う興味であるという認識でした。2つの興味を同時に得た、というべきものだと思います。

(昨夜、帰国いたしました。私の母校の設備については、いろいろと思い出しましたので、あとでまとめてご報告しますね)

_ 玉青 ― 2012年06月04日 22時13分42秒

お帰りなさい。
せっかく含蓄のあるコメントをいただきながら、今日の記事に書いたような情けない次第で、この件は少し寝かせておきます。
先回りして、ちょっと思うところを小出しにすると、どうも「宇宙」という言葉の使い方が曲者で、(S.U少年は例外として)それに惑わされる人が多かったんではないかという気がします。

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