改めてアンティーク星図の話(4)…古星図収集序説2012年09月25日 22時29分41秒

(今日は字ばかりです)

『STAR MAPS』の著者、Nick Kanas氏は、「古星図収集」を語るにあたって、まずその位置づけを説明しています。

古星図の収集をする人というと、私のように天文好きから派生してそうする人が多いと思います。Kanas氏自身もたぶんそうでしょう。
しかし、マーケットの構造はちょっと違っていて、古星図を扱うのはもっぱら「古地図業者」だという実態があります。マンガに出てくる海賊の宝の地図みたいな、装飾的なアンティークマップをイメージしていただくといいですが、ああいう古い地図のコレクターは世間にたくさんいて、専門の業者も少なくありません。

要するには、古星図は古地図の一分野であり、それもどちらかと言えばマイナーな分野である…というマーケット側の理解があります。したがって、古星図の流通も、値付けも、鑑賞形態も、古地図一般に準じているのが現状のようです。そこには天文学史的観点が相対的に希薄であり、プロの業者にしても、天文学史の知識が格別豊富な訳でもなさそうです(例外はあるでしょうが)。

ともあれ、古星図収集を志す人は、そのノウハウを知ろうと思ったら、古地図収集のガイドブック(その数は当然古星図のガイドブックよりもはるかに沢山あります)に当たるべし…とKanas氏は助言します。

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それに続けて、Kanas氏は古星図購入の「倫理的側面」について語ります。
いきなり倫理的側面と聞くと、唐突な感じを受けますが、これはかなり切実な問題です。

古星図の流通を考えた時、もともと1冊のアトラス(地図帳)として出版されたものを、1枚ずつバラして売買することが非常に多いのですが、それは許される行為なのかどうか?業者の中には、単に1冊の本として売るより、バラして売った方が儲けが大きいというだけの理由でそうする人もいます。そして、愛書家はもちろん、古書業者自身の中にも、こうした行為を強く非難する人は大勢います。

実際問題として、バラ物の購入を避けて古星図を収集することは不可能なので、これは常に自らに突きつけられる問いです。ですから、具体的ハウツーに入る前に、Kanas氏がまずこの重要な問いを発したのは、至極もっともなことです。

Kanas氏の回答は以下の通り(適当訳)。

 「しかしながら、古地図の中には、もともと1枚物として制作され、1冊のアトラスに製本されなかったものも多い。さらに、業者が購入したアトラスには、すでにダメージを受けていたり、最初から不完全な状態にあったりして、1冊のまとまった資料としての価値を失っているものも多い。そしてまた、コレクターの多くは、完全なアトラスではなくバラ物しか買う余裕はないし、そういう形をとっているからこそ、古地図はどこか目につかぬ場所に死蔵されることを免れて流通し続け、人々に喜びを与えているのだ。」

この答は、あまり正面から上の問いに答えているとは言えないでしょう。
では、私ならなんと答えるか?
うーん…と、さっきから腕組みして考えていますが、なかなか難しいですね。
もちろん、1冊の本を切り刻むことは、文化財の破壊行為に他ならず、あまりほめられたことではありません。しかし、本というのは所詮人間が利用するために作られたものですから、たとえばゾウを惨殺して象牙だけ切り取るのとは、ちょっと「悪」の度合いが違うという気もします。絶対悪というよりは、相対悪といったところでしょうか。

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ちょっと余談になりますが、この「バラす」行為は、古星図に限らず、美しい挿絵を収めた古い本全般について言えることのようです。(西洋ばかりではなく、日本にだって絵巻切断とか、古筆切とか、古写経断簡とか、似たような話題はたくさんあるでしょう。)20世紀前半に、中世写本でそれを大々的、かつ組織的に行った、オットー・エギーという人物の「悪行」について、高宮利行氏が一文を書いておられるので、ぜひ併せてお読みください。そして共に考えていただければと思います。

ほんの世界はへんな世界 第二十六回
 「啓蒙か破壊か? オットー・エギーの真似をしてはならぬ」
 http://www.yushodo.co.jp/showroom/takamiya/taka_26.html

私はここで善悪の裁定者たらんとしているわけではないんですが、それにしても人間とは業の深い存在だなあ…とつくづく思います。