生は死の始め2021年12月08日 09時44分22秒

ごく私的なことですが、父が先日亡くなりました。

父が倒れたと兄から連絡をもらったのが夜の7時ごろ。それから3時間もしないうちに、「やっぱりダメだった」との電話が入り、本当にあっという間のことでした。もう87歳ですから、年齢的に不足はないし、直前まで元気でいたので、本人にとっても周囲にとっても、良かったといえる結末なのかもしれません。(終活もしっかりやっていたので、本人も思い残すことはなかったでしょう。)

その翌日の朝、空に大きな虹がかかり、思わず亡父が挨拶に来たのかと、ちょっと感傷的な気分になりました。さらにその日の午前中に、父の名前でお歳暮が届き、「なんと義理堅い人だ」とも思いました。

身内を褒めるのは気が引けますが、父は学歴こそないものの、実に頭のいい人で、人間的にも出来た人でした。そして最後まで思考も感情も平常を保っていたので、内心私も舌を巻いていました。人生の出処進退としては、ある意味理想なのでしょう。

   ★

いよいよ次は私の番か…。今さら汚すほどの志操もないとはいえ、できれば晩節を汚すことなく、父を見習いたいものです。――と、息子に自然と思わせる感化力こそ、父の良き資質だったと思います。

(と考えている最中に、天文学史家のマイケル・ホスキン氏の訃に接し、やっぱり人は皆死んでいくのだなあ…としみじみ思いました。詳細は日本ハーシェル協会の掲示板を参照。https://6615.teacup.com/hsj/bbs/453

コメント

_ S.U ― 2021年12月08日 16時31分19秒

衷心よりお悔やみ申し上げます。

 勝手な想像ですが、玉青さんのお父様は、さぞ、知識欲が旺盛で、何を頼まれても着実に心を込めて仕事をされる方だったのでしょうね。

 あの年代の人々は、成長して社会に目を向けようという時に、社会のほうが急に変わっていきましたから、今からは想像できないほどの主体的な学問や技倆の習得の決意があったのだと思います。

_ 玉青 ― 2021年12月09日 22時09分11秒

ありがとうございます。
あの世代は多くの人がそうだったかもしれませんが、父もなかなかの苦労人でした。そして、その苦労の中で篤実であり続けたという点は、やっぱり大したものだと思います。自分に同じ道が歩めたかと自問すると、全く自信がありません。

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