ルナ・ソサエティのこと(3)2022年10月13日 06時36分03秒

松岡正剛氏には、『ルナティックス』(作品社、1993)という著書があります。
この本は松岡氏の言われる「月知学(ルナティシズム)」の蘊蓄を縦横に語りつくした本で、当然のごとく「ジャパン・ルナ・ソサエティ」についてもチラッと書かれています。氏はイギリスの「ルナソサエティ」への言及につづき、こう書いています。

 「実のところはかくいう私も一九七七年からの数年間、渋谷松濤のブロックハウスに「ジャパン・ルナソサエティ」を秘めやかに主宰していたのである。勝手気儘な会員は中井英夫、長新太、荒俣宏、まりの・るうにい、楠田枝里子、山尾悠子、鎌田東二、武田好文、羽良多平吉、南伸坊、渋谷恭子、真壁智治、倉田江美、佐藤薫、佐々木光、中山銀士、吉川正之、前田朝子といった面々である。なに、満月に酒と肴を持ち寄って、雑談やら雑俳やらを遊ぶというだけのことだった。ただ、屋上には天体望遠鏡の一台が必ず待っていた。」

この記述から、参加者の詳細な顔触れと、そこには常に「酒と肴」が伴っていたこと、面々は「雑談やら雑俳やらを遊」んでいたこと、そして1台の望遠鏡が不可欠だったことが分かります。いかにも気の置けない雰囲気の、遊び心に満ちた会だったのでしょう。

とはいえ、そこで話されていたことの中身はさっぱりです。
それを知る手掛かりはないか?

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この本はのちに中公から文庫化(2005年)されましたが、文庫には「解説」というのが付き物で、文庫版『ルナティックス』の解説者は、上の引用文中に名前の挙がっている鎌田東二氏です。

鎌田東二氏の名前は、松岡氏の『千夜千冊』にも出てきました。前回も引用しましたが、ここに再度引いておきます。

 「鎌田東二は国学院の出身で、若いころからぼくのところに遊びにきていた俊英である。『遊』もよく読んでくれていた。
 ぼくが7人と8匹で住んでいた渋谷松濤の通称ブロックハウスにも、汗をかきかきよく訪れてきて、そのころブロックハウスで満月の夜に開いていた「ジャパン・ルナ・ソサエティ」での俳句会などにも顔を出し、「お月さまぼくのお臀にのぼりませ」などという“名句”を披露してくれていた。この句はその夜の句会の一席になっている。」

その鎌田氏が解説を書いているならば、ルナ・ソサエティについて、一層詳しい話が聞けるにちがいない…と思いました。しかし、勇んで文庫本を取り寄せてみたものの、そこにはルナ・ソサエティの「ル」の字も出てこないことを知って、ちょっと途方にくれました。いったいこれはどういうわけか? 鎌田氏にとって、ルナ・ソサエティとはその程度の(言及に値しないほどの)存在なのか?

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しかし、実は鎌田氏はちゃんと言及されていたのです。
それは解説の結びの部分です。


「月神仏 僕のお臀に 昇りませ   鎌田臀月拝」

これは鎌田氏から、松岡氏へのなつかしい挨拶の趣向の句ですね。
そして、それは分かる人にだけ分かる形で書かれているわけです。
そのことを知って、私はジャパン・ルナ・ソサエティについて、往時の面々がほとんど語らない理由が、はたと分かった気がしました。

要するに、そうすることは「野暮」なのです。
ジャパン・ルナ・ソサエティが何なのか?というのは、あの場の空気を共有した人だけが分かることであって、それを共有した人なら言葉にしなくてもわかるし、共有しなかった人には、いくら言葉を尽くしても伝わらない性質のものだ…というのが、関係者の思いなのでしょう。

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とはいえ、その場の雰囲気を知る手掛かりはいくつかあります。
その最大のものは、『ルナティックス』そのものです。

この本は1993年に出ていますが、その原型は1973年に雑誌連載された「月の遊学譜」ですから、会の主宰者だった松岡氏を中心に、人々が語り明かした話題は、おおむねここに尽くされていると想像します。

この本は、「睦月 月球儀に乗って」、「如月 遊星的失望をこめて」から、「霜月 遠い月の顛末」、「極月 今夜もブリキの月が昇った」に至るまで、月名を負った全12章からなります。

(『ルナティクス』目次。ネガポジ反転)

そこで語られるのは、月の科学(と疑似科学)、神話学、宗教学、心理学、民俗学、歴史学、文学、芸術、ポップカルチャー…等々、松岡氏の個人的体験も踏まえつつ、月を讃嘆し、畏怖する言葉にあふれかえっています。それはあたかも万華鏡で覗いた月のごとく、月神曼荼羅のごとく。

正直、衒学的な感じも受けるのですが、松岡氏に言わせれば、“君が無知だから、勝手にペダントリーの匂いを嗅ぎ取っているだけだ”ということかもしれません。
そして、酒も入り、俳句を吟じ、一見衒学的な話題で盛り上がりつつ、望遠鏡で月を覗いては感興の尽きることなく…という、そんな塩梅の集いだったのでしょう。まことに善哉、善哉。

(…と勝手に興がりつつ、この項さらに続く)