ルヴェリエの肉声 ― 2022年10月01日 06時29分03秒
何だかずっとパリ天文台の話を続けています。
いい加減、次の話題に移っても良さそうなのに、同じ話をとどめられない…というのは、一種の「保続」なのかもしれません。保続というのは、同じ行為を延々と無意味に繰り返してしまう精神症状で、認知症の場合にも見られます。そこまでいかないにしても、話がくどいのは齢をとった証拠で、私もよくよく注意しないといけません。
でも、ここはしばらく保続モードで行きます。
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ルヴェリエといえば、ぜひここに載せておかなければいけない品があります。
他でもない彼の自筆書状です。
(20.5×13.2cm)
1863年11月1日付で、パリ天文台の用箋にペン書きされたものです。
彼は1854年に天文台長に任じられ、このときもその任にありました。
あて先は「Monsieur le Ministre」、すなわち“大臣閣下”あて。
おそらく天文台を所管する公共教育省(現・国民教育省)の長に差し出したものでしょう。時の教育相は、ヴィクトル・デュリュイ(Jean Victor Duruy、1811-1894)という人です。
肝心の内容がよく分からないのが遺憾ですが、大臣に報文集を送ったこと、そこにパリ天文台でルヴェリエの同僚だったフェイエ(Hervé Faye、1814-1902)の成果や、現在パリ天文台で進行中の計画が記されていること、このところ「連盟(l'Union)」から、自分への毀誉半ばする論文をいくつも受け取っていること…等が書かれているようです。
書き損じを気にせず、さらさら書いているところを見ると、ルヴェリエは大臣と日ごろ心安い関係だったのかもしれません。
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ルヴェリエがその手で触れ、じかにペンを走らせた手紙。書かれたのは、パリ天文台の台長室の机の上でしょう。
先日、「はやぶさ2」が持ち帰った小惑星「りゅうぐう」の小さな岩粒の、そのまた小さな穴の中から、液体の水が発見された…というニュースがありました。あんな具合に、この紙片の内部にも、繊維の隙間に引っかかるようにして、ルヴェリエの執務室の空気が、まだ残存しているんじゃないか? そんなことも考えます。
【おまけ】
この用箋のレターヘッドは「帝国天文台(Observatoire Impérial)」になっています。
この名称が気になったので、同天文台が出した年報のタイトルを、フランス国立図書館のデータベースで覗いたら、1868年版は『パリ帝国天文台年報(Annales de l'Observatoire impérial de Paris)』だったのが、1874年版になると、ただの『パリ天文台年報(Annales de l'Observatoire de Paris)』になっていました(この間の号は欠落)。
まあ普通に考えて、1870年に第2帝政が倒れ、第3共和政に移行したのを以て、その正式名称も変わったのでしょう。この手紙が書かれた1863年も帝政期なので、「帝国」の名称は自然です。
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