囚われのガリレオに会いに行く2023年03月21日 05時57分37秒

バチカンといえば、一つずっと気になっていたことがあります。
それは10年前の以下の記事を書いた時から引きずっているものです。


■Don’t be curious.

この10年前の記事は、カトリックの『禁書目録』を取り上げたものですが、そこで私が果たせなかったのは、ガリレオの名前がそこに載っているのを見ることでした。

『禁書目録』には大量の人名・書名が収録されていますが、その一部が以下のページにデータとして載っています。それによると、ガリレオの名前が『禁書目録』に載っていたのは1835年までで、私が以前手にしたのは1905年版ですから、当然その名前はありませんでした。


「それを見てどうするんだ?」というのは真っ当な考えで、確かにそれを見たからといって、社会の動静にも、私の人生にも、いささかの影響もありません。でも、それを言ったら、エッフェル塔を見るのだって、ナイアガラの滝を見るのだって、同じことでしょう。この自分の目でそれを見たい――たったそれだけの理由で、人は月や火星にだって出かけていくものです。

   ★

そんなモチベーションに突き動かされて、私は新たにもう1冊の『禁書目録』を入手しました。今度のものは、前回よりもさらに200年古い1705年に発行されたものです。


時代も古いし、ごく粗末な紙装丁なので、崩壊を防ぐために新たに保護用の帙をあつらえたほどです。


扉にその名が見える時の教皇は、クレメンス11世(1649-1721/在位1700-1721)。

さて、ここにガリレオはいるのか、いないのか?
ページをめくっていくと、「G」の項目にぴたりと目が留まります。


いた! 紛れもなく「Galileo Galilei」
そこには「Dialogo di Galileo を見よ」と註があるので、さらにそちらも見に行きます。

(一番上の行)

なるほど、ありました。1632年に出た彼の代表作『天文対話』です。(長々と訳せば、『ガリレオ・ガリレイの天文対話 ― プトレマイオスとコペルニクスの二大世界体系について4日間にわたる会合にて論ず(Dialogo di Galileo Galilei: Dove ne i congressi di quattro giornate si discorre sopra i due massimi sistemi del mondo Tolemaico, e  Copernicano)』)

ガリレオはバチカンにとって忌むべき存在であり、その著書は禁書だったのだ…ということを、こうして私は自分の目で確認したのです。もちろん、それは誰でも知っている事実でしょうが、それを自分の目で見た人は少ないはずです。そのことに満足を覚えつつ、私のささやかな「旅」は終わりました。

   ★

でも、せっかくですから、ついでに他の「見所」にも足を伸ばしてみます。


そこには、ケプラー(ioannis Keppleri)がいました。


そして、もちろんコペルニクス(nicolaus Copernicus)もいます。

「ああ、やっぱり!」と、心の中で叫んでいる自分がいます。
天文学や歴史の本で知ったことを、私は自分の手の中で、今、まぎれもない事実として眺めたのです。もっと言えば、このくすんだページと活字こそが、天文学の歴史そのものであり、私はその歴史を自ら体験したのだ!…とさえ言えるかもしれません。

(これが今回作ってもらった帙。下は開いたところ)


コメント

_ S.U ― 2023年03月23日 08時57分27秒

素朴な疑問ですが、ガリレオの『天文対話』やコペルニクスの『天体の回転について』は、19世紀初頭までは、市場に出回らず、したがって、後続の天文学者に学説として議論されることはあっても、参考文献リストに引用されることはなかったのでしょうか。

_ 玉青 ― 2023年03月24日 05時41分13秒

教皇庁が作成した禁書目録は、プロテスタント諸邦ではもちろん何の効力もありませんでしたし、カトリック圏でも、それが強制力を持ったのは教皇庁領内のみで、それ以外の地域には効力が及ばなかったとのことです(イタリアの一部の州のように、世俗権力が自発的に禁書目録を採用した場合を除く)。

コペルニクスやガリレオがあれほど畏れた、教皇の権威や権力も、30年戦争終結後のウェストファリア条約がもたらした「世界新秩序」の確立によって、17世紀後半以降は劇的に弱まりましたから、ちょうどガリレオが死去したあたりから、禁書目録にはある種の象徴的な意味合い以上のものはなくなったんじゃないでしょうか。(だからといって、出版の自由が地上に訪れたわけではなく、以後は世俗権力が自らせっせと禁書目録を作って、出版統制を強めたわけですが、そこで弾圧されたのは主に「危険な社会思想」と「風紀壊乱の書」ですね。)

_ S.U ― 2023年03月24日 09時28分17秒

ご教示ありがとうございます。
 例えば、後続のフランスの天文学者、ラカイユ、ラランド、ラプラスなどが、ガリレオを参考文献に並べる動機はあまりなかったと思いますが、引用しようと思えばできたと考えていいのですね。

_ 玉青 ― 2023年03月24日 18時15分51秒

そういうことになりますね。特にフランスはバチカンと距離があったので、禁書目録はほとんど顧みられなかったようです。(そういえば前の記事で書いたように、ラランドは自身が禁書目録で槍玉に上がっていました。)

_ S.U ― 2023年03月25日 07時42分17秒

重ねてご教示ありがとうございます。
一般の科学者については、禁書の影響は小さかったのですね。

 日本の天文学史への影響でよく言われるのは(最近も言っているのは私くらいかもしれませんが)、中国の天文学書『暦象考成後編』がケプラーの楕円軌道を採用し、中国・日本の暦法改良に画期的な影響を与えたにも関わらず、これが18世紀に至るもイエズス会士(ケーグラー)の監修によるものだったため、中国・日本にこのルートでは地動説が伝わらず、上書は、地球中心の太陽軌道を描いたものに留まった。そのために、ケプラーの第3法則と惑星運動については、日本では、麻田剛立と高橋至時が独自に導出をする必要があった。日本では地動説はプロテスタントの国の蘭学で別途導入されたが、中国ではそれがなかった。これは、後年の両国への英国の進出時にまで影響を及ぼした、という長いストーリーが成立しているのですが、これは、正確でかつ意味のある説明と考えてよいのでしょうか。
 今回の話では、中国経由については正しいですが、別にプロテスタントのオランダでなくても、ラランドの暦書(Traite d'Astronomie)は地動説中心に書いているので、フランスでも良かったことになります。ただ、幕府としては、オランダ語訳だからノーマークだったので、フランス語原本だったら警戒したかもしれません。
 考えて答えが出るかどうかはわかりませんが、解説に出てくるわかりやすいストーリーの問題として気になるところです。

_ 玉青 ― 2023年03月25日 12時09分01秒

バチカンの禁書と江戸幕府の禁書。この2つの禁書の壁に、近世天文学の発展は大いに阻まれた…というのは、大枠の理解としては正しいのでしょうが、個別各論になると、もっときちんと説明しないと理解しがたい点がいろいろありますよね。たとえば、オランダ経由でもっと早く地動説が紹介されても良かったのに、なぜそうはならなかったのか?…とか。

この点については、たぶん禁書という「外なる壁」だけではなく、そうした新知識を摂取するモチベーションに乏しかったという「内なる壁」もあったのかもしれません。日本では天文学が「天体の学」ではなく、長く「暦学」に留まり続けたという事情も大きいのでしょう。(そういえば、そうした宇宙論的関心の乏しさが、地動説を知ったときの日本人の衝撃の弱さに表れている…みたいなやり取りを、以前させていただきましたね。)

あと、ラランデの件ですが、彼の文献をフランス直輸入で…となると、まずもって言葉の壁が大きかったんじゃないでしょうか。

以下、今回ネットを徘徊していて、ちょっと面白いなと思った文献を自分用のメモとして貼っておきます。

■王一兵:幕府天文方における蘭学の展開―蘭学の公学化を中心に―(2019)
https://tohoku.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=128376&item_no=1&attribute_id=18&file_no=1

■田中貞夫:我国最初のフランス語研鎭とその歴史的背景(2013)
https://www.yumpu.com/xx/document/view/17801023

_ S.U ― 2023年03月25日 13時31分32秒

>新知識を摂取するモチベーション
 うーん、難しい問題ですが、日本「科学史」ですから、ぜひ、こちらの方向から考えたいところですね。

 博物学と医学では、日本で入手できる薬品と技術で、西洋と同等の実績を上げるというモチベーションとすると、先駆者の平賀源内や杉田玄白は大いに高く評価できると思います。

 天文のほうはさらに難しいですね。それは、今後の課題ですが、少なくとも、幕府天文方(特に間重富)にとっては、麻田剛立のケプラーの第3法則発見と新惑星天王星発見のニュースは、暦法だけがすべてではない、暦法が生き残るには新科学の習得が必要ということを気づかせてくれたのではないかと思います。とりあえず、ここでは、平賀源内、杉田玄白に、間重富を添えて並べておきましょう。『厚生新編』を翻訳するという口実で、高橋景保のところで蘭書翻訳を公学化させたのも彼の策略だったでしょう。

_ 玉青 ― 2023年03月26日 15時30分31秒

日本人は好奇心が強い…というのが通り相場ですし、天文学についても、たとえば『天経或問』があれほど広く受容されたことを考えると、「モチベーションが乏しかった」と軽々に断じるのも良くないと思うんですが、こと「日本人と地動説」問題に関しては、何か釈然としないものを感じます。

連想が横滑りしますが、そもそも江戸の天文方は、何にロマンを感じて星空に挑んだんでしょうね?彼らの生き様にはロマンを感じるものの、彼ら自身を動機付けていたものが何だったのか、そこが私にはボンヤリしています。

「あなたたちは何のために星を観測しているのですか?」と正面から問うたら、彼らは一体何と答えたでしょう?

「もちろん暦を改良するためだ。」
「それだけですか?」
「いや、それだけじゃない。惑星の動きや日食・月食、こうした天の動きを正確に予測できたら痛快じゃないか。これまで誰もなし得なかったことを、我々が成し遂げるんだ。男子が一生を賭けるに足る仕事だとは思わんかね?」
「それも分かります。でも…」

単純に「ロマン」と言っていいのかどうか分かりませんが、西洋の天文学者には、多かれ少なかれ形而上的なモチベーションがあったと思うんですが、天文方の面々はどうだったのか?精妙な天体力学と万有引力の神秘、複数世界論や星雲の正体をめぐる議論、思わず目眩を覚える恒星世界の広大さ―。天体の位置推算の精密化を越えて、彼らはそうした話題に惹きつけられることはなかったんでしょうか。

この話題になると、また山片蟠桃に登場してもらわねばなりませんが、遠目から見ると彼はやっぱり例外的存在で、江戸時代の多くの人はそうした「思弁」に関心を示さなかったように見えます。

_ S.U ― 2023年03月27日 08時50分08秒

>何にロマンを感じて星空に挑んだんでしょうね?
 これは、私が麻田剛立や志筑忠雄の文献の解釈を「天界」に出している時に考えた問題ですが、私は、麻田、高橋至時、志筑忠雄については、おおむね、現代の研究者と変わらない気持ちであったように思います。

・ロマンは、自分の研究テーマに関するもっとも知りたい謎が、解けること。
自分の発見で解明できれば最高だが、他人の研究でも自分が納得できればじゅうぶん。

・観測による高精度化の努力は、将来の学者によって、必ず「天の原理・真理」の解明につながるであろうという確信。

という考えであっただろうと思います。麻田、高橋、志筑の書簡や暦書にある、洋の東西の学説に関する論評を読んでそのように感じました。麻田においては、三浦梅園が西洋天文学と親和性のよい合理的な理論を出していたこと、高橋、志筑においては、地動説やケプラーの法則などが、東洋天文学の知識でちゃんとかみ合った議論ができたことが大きいと思います。でも、この3人と幕府天文方、それと山片蟠桃は(彼も懐徳堂で麻田の弟子を自負していたでしょうから)、例外だったかもしれません。

 でも、当時の蘭学者は案外みなそんなものだったかもしれません。彼らは、オランダ人が地道な航海術で遠路はるばる日本に来て、日本の名産品や自然風俗などを疲労も見せず研究しているのをみながら、自分たちも刻苦してオランダ語を学び学問を吸い取ろうとしたわけですから、自らの自然哲学と西洋人の自然哲学のなんらかの接点を見つけていたかもしれないと思います。

_ 玉青 ― 2023年03月28日 06時51分52秒

ありがとうございます。
ひょっとして、私は梅園と書こうとして蟠桃と書いてしまったかもしれません。ちょうど桜のことを書いていたので、桜と桃と梅がまざってしまったのでしょう(本当かな?)。でも、この場合梅園が蟠桃でも、言いたいことはあまり変わらないので、話をそのまま続けることにします。

S.U大人の懐の深さに甘えて、繰り返しになりますが、もう1回だけ自分が思っていることを開陳させてください。前回は「思弁的宇宙論への興味関心」みたいな視角で考えてみたのですが、今回はもうちょっとベタな「星空ロマン」についてです。

江戸の天文学者の胸に燃えていたもの、それは真理を究明する「研究ロマン」であったことは間違いないと思うのですが、それに加えてベタな「星空ロマン」も感じていたのかどうか?…というのが私の素朴な疑問です。中村士氏の『江戸の天文学者星空を翔ける』の表紙には「彼らと我々をつなぐもの、それは…いつの時代も変わらない、星空に対するロマンである」と書かれていますが、果たしてどんなものでしょう。

浅田剛立にしろ、高橋至時にしろ、間重富にしろ、あるいはその後続世代にしろ、彼らはもしそうするよう促されたら、山本一清や石田五郎さんのような天文エッセイを、彼らなりの言葉で文章にすることができたかどうか?彼らは星空の美を語る語彙を、どれだけ持っていたか?あるいは後世の抱影や賢治の文章を読む機会があったら、それに共感を覚えたかどうか?それとも、そもそも彼らは星空に「美」という要素をはなから求めていなかったのか?

その公的職務に「美」や「ロマン」の入り込む余地は乏しかったはずですが、でも、彼らなりに星々に対する愛念もきっとあったろうと思います。聞けるものなら、それを聞いてみたいと、常々思っています。(彼らの書簡や、彼らが詠んだ歌や句が残っていれば、そこにその片鱗がうかがえるのかなあ…と思ったりもしますが、これは思うばかりで、今のところ何の材料もありません。)

_ S.U ― 2023年03月28日 08時44分40秒

>ベタな「星空ロマン」
 これは、難問ですね。他人のことはよくわかりませんので、僭越ながら、まず自分の例から考えます。

私は、ベタな「星空ロマン」も「素粒子ロマン」も持ってはいますが、研究姿勢とはあまり関係ないように思います。子どもの時代から学生時代、現在まで続ける動機にはなっていますが、続けるだけで、だから今の研究をどうしようという意味のものではありません。志が低いだけかもしれません。詩や俳句が書ければいいのですが、他人様に見せるような文才はまったくありません。

 次に、現在の他人様のことですが、よく宇宙飛行士の方や高名な学者さんが、「ロマン」を語っていらっしゃいます。それらも、確かに、子どもの頃の感動、自分の人生の夢、モチベーションの維持としては嘘偽りはないと思うのですが、まあこれは、その方の人間性をアピールする意味合いが大きく、研究活動の進め方やその才能・資質には本質的ではないと推定します。

 幕府天文方グループにおいても、ベタなロマンとの関係は似たようなものだったと思います。確かに、彼らがロマンをベターと述べていることはほとんどないのですが、それでも、まれに、研究ものの文筆にその傾向が出たところもあったと思います。すぐに思い出せる件ですが、例えば、高橋至時は、麻田暦法に関して、

「天文計算は今後も時代とともにだんだん精密になり、この学問はいつになっても完成することはないだろう。人の力で無窮の天を測ることなので、わずか千年、二千年の学問の集積で完成できるものではない。」

と言っています。これは、暦学研究上の分析とも取れますが、至時の人生の意味を説いたものと考えることもできるでしょう。梅園も至時も無限の未来に続く人々の努力の流れに自分を置き、ロマンを感じていたともいえるのではないでしょうか。

 もう一つ、麻田剛立は、数学書『弧矢弦之解』に、次のようなことを書いています。

「円は即ち天地の真象にして、その象勢変化無窮也。蓋し無窮ならざれば天地の全きを尽すあたはず。」

剛立は、幾何学が宇宙を透き間なく埋めていて、数理が宇宙を決定するという世界観をもっていたようです。思弁的宇宙論ではありますが、これはもはや学問上の内容に留まらず、現代宇宙論のアインシュタイン方程式やフリードマンモデル、インフレーションなどについて専門家も素人も差別なく感じるロマンのレベルだと言えるのではないでしょうか。

_ 玉青 ― 2023年03月29日 06時01分57秒

これはありがとうございます。
彼らの心のうちが窺われる言葉ですね。大宇宙への「ロマン」ないし「神秘畏敬の念」を、彼らも間違いなく共有していた…ということが分かって嬉しく思います。

S.Uさんのおっしゃる通り、「あなたにとって星空のロマンとは?」という質問は、その人の人生のどの段階で投げかけるかによっても当然答は違ってくるし(江戸時代の人でも、それはたぶん同じでしょう)、一口に天文方といっても、初期世代はともかく、後続世代ともなれば、完全に「家の業」としてその仕事に就いたわけですから、星空への思いも自ずと違ったことでしょう。

その辺をもう少しこまやかに考えつつ、「近世星空ロマン」は、天文趣味史や星ごころの歴史を考える上でも重要なポイントですから、今後も折に触れて彼らの声に耳を傾けようと思います。

_ S.U ― 2023年03月29日 08時41分27秒

以前は、こういう「近世星空ロマン」を感じられる言葉が嬉しくて、『天界』などへ投稿でわざわざ引用したものです。お役に立てそうですので、またいくつか抜粋しておいて、機会があればご紹介したいと思います。

_ 玉青 ― 2023年03月31日 21時47分05秒

ぜひぜひ!

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