嫦娥の詩 ― 2023年10月02日 17時46分36秒
昨日のおまけ。
嫦娥の故事は、日本の民間習俗にはあまり…というか、ほとんど影響しなかった気がしますが、知識層はもちろん文字を通じてよく知っていたでしょう。中でも晩唐の詩人、李商隠(りしょういん、812-858)には、ずばり「常娥」〔=嫦娥に同じ〕と題する詩があり、彼はその耽美な詩風で日本にもファンが多かったらしいので、影響は大きかったと思います。
「常娥」は五言絶句の短詩で、その点も日本人好み。今、岩波の中国詩人選集に収められた高橋和巳注『李商隠』を参考に、当該詩を読んでみます。
雲母屏風燭影深 (うんものへいふう しょくえいふかし)
長河漸落暁星沈 (ちょうが ようやくおち ぎょうせいしずむ)
常娥応悔偸霊薬 (じょうがまさにくゆべし れいやくをぬすみしを)
碧海青天夜夜心 (へきかい せいてん よよのこころ)
長河漸落暁星沈 (ちょうが ようやくおち ぎょうせいしずむ)
常娥応悔偸霊薬 (じょうがまさにくゆべし れいやくをぬすみしを)
碧海青天夜夜心 (へきかい せいてん よよのこころ)
起句 「雲母屏風燭影深 (うんものへいふう しょくえいふかし)」
「雲母の屏風」とは、注者によれば「半透明の雲母を一面に貼りつめた屏風」とのことですが、一寸分かりにくいですね。おそらく下のページで紹介されている「窓」と似た、白雲母を枠にはめて屏風としたものと思います。あるいは家具調度としての屏風ではなく、卓上に置かれた小型の硯屏(けんびょう)を指すかもしれません。いずれにしても、そこに蝋燭が深い影を落としているというのです。
(The Earth Story: Mica Windowより。画像はロシアで作られた白雲母製の窓)
承句 「長河漸落暁星沈 (ちょうが ようやくおち ぎょうせいしずむ)」
「長河」は銀河のこと。「漸く落ち」は、文字通り地平線近くに傾く意にも取れますが、次の「曉星沈む」と対になって、ともに薄明の中にぼんやり消えていく様をいうのかもしれません。一晩中蝋燭を灯し、星を眺め続けた男(作者)の夜想も、ようやくこれで一区切りです。
転句 「常娥応悔偸霊薬 (じょうがまさにくゆべし れいやくをぬすみしを)」
これぞ嫦娥奔月の故事。ここでは自分を裏切った恋人と嫦娥の姿を重ねて、「彼女もきっと今頃、自分の振る舞いを後悔しているにちがいない…」と、いくぶん未練がましい想像をふくらませています。
結句 「碧海青天夜夜心 (へきかい せいてん よよのこころ)」
注者の訳は、「青々と広がる天空、その極みなる、うすみどりの空の海原、それを眺めつつ、夜ごと、常娥は傷心してるに違いない。私を裏切った私の懐かしき恋人よ。君もまた〔…〕寒々とした夜を過ごしているのではなかろうか。」
月から見下ろせば、地上は空という名の海の底に他ならず、その海はときに青く、ときに薄緑を帯びて見えるという、いわば宇宙的想像力の発露ですね。まことに凄美な句です。もちろん、その「夜夜の心」は、空を見上げる男の心の投影でもあります。
(Pinterestで見かけた出所不明のコラージュ画像)
天空の美と人の心の陰影を巧みに重ねた名詩として、私も今後大いに愛唱したいと思います。
【おまけのおまけ】
このブログは個人のブログですから、つまらない自分語りをしても許されるでしょう。
「玉青」というのは私の本名ですが、その由来ははっきりしません。「昔、ある国に3人の王子がいて…」で始まる物語を、幼い日に聞かされたような気もします。そして、末の王子が手に入れた青い玉がどうとかこうとか…というのですが、すでに両親も亡くなり、今では詳細を確かめようがありません。
今回、李商隠の詩集を開き、注を担当した高橋和巳――あの作家の高橋和巳です――による解説を読んで、少なからず衝撃を受けたことがあります。李商隠の詩には、雅俗とりまぜた文学的引用が甚だ多く、その典拠を知らぬ者にはチンプンカンプンで、後世の注釈者泣かせであることについて解説した箇所です。
「…李商隠がなぜかくも夥しい故事をつらねて詩を構成したのかと質問されるなら、李商隠の方法にならって、次のように答えたく思う。フランスのある寓話に、ある貧しい少年が、魔法使いから一つの青い玉を授かった話がある。その玉は、耐え難い不幸に襲われた時に覗くと、世界の何処かで、いま自分が経験するのと同じ不幸を耐えている見知らぬ人の姿が浮んでくる。その少年は、その玉を唯一の富とし、その映像にのみ励まされて逆境に耐えてゆく。李商隠が夥しい故事を羅列するとき、それは概ね、彼の意識に浮んだ青い玉の像だと解してよい。」(pp.21-22)
うーむ…と、しばし瞑目しました。まあ齢を重ねたから、この話にひどく感動したのかもしれません。いずれにしても、今後「玉青」の由来を聞かれたら、私はこの話を披露しようと思います。亡き両親もあえてそれを否定することはないでしょう。私は今、私自身の創造者になろうとしているのです。
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