巳から午へ2026年01月01日 08時48分21秒

新年明けましておめでとうございます。

恒例となった干支の引継ぎ式。今年はヘビからウマにバトンタッチです。
小さなヘビの全身骨格(現生種)と、新生代・第四紀のウマの臼歯の化石を並べてみました。いずれも詳しい種名は不明です。


第四紀は260万年前以降、現代とは地続きのいちばん新しい時代。


産地はフロリダ州のサンタフェ川とラベルに記載があります。
ここは新第三紀の終わりから第四紀始めにかけての、哺乳類を中心とする化石の多産地だそうです。ヒトが圧倒的な力で自然を改変するのはまだ先のことで、北米大陸にも無垢の自然が広がり、家畜化される以前のノウマ(野馬)が駆け回っていた光景を想像します。

   ★

人為による生物の大量絶滅(第四紀の大量絶滅)は現在も進行中で、ご承知のとおり関連のニュースを耳にしない日はありません(実際は「耳にしない年はありません」ぐらいかもしれませんが、それはニュースになっていないだけで、現実には日々絶滅が続いています)。

まことに恐るべきことです。
でも今の調子だと、行き着くところまで行かないと、引き返せないような気もします。
そして真に恐るべきことは、たとえ引き返そうと思っても、そのときにはもう引き返せなくなっていることです。それが分かっているのに引き返せない…というのは、まさに人間の業というほかありません。どんなに嘆いても悔やんでも、いったん失われたものは帰ってこないと、誰しも分かっているはずなんですが。

   ★

なんだか正月向きの話題から遠いようですが、これも一休和尚がしゃれこうべを掲げて、「正月は冥途の旅の一里塚」と触れ歩いた類です。正月だからこそ、絶滅したウマの化石を眺めて、ヒトの未来に思いを凝らすのも意義あることと信じます。

(臼歯の咬合面)

   ★

こんな調子で、今年もゆるゆる続けていきます。
どうぞよろしくお願いいたします。

ウミグモ2025年12月21日 09時38分00秒

地球研究室で購入した第3の品。


その正体はラベルに明記されているように、ウミグモの一種である「ヤマトトックリウミグモ」です。


それにしても、何と奇怪な姿でしょうか。
ウミグモ類(ウミグモ綱)は、節足動物の仲間で、系統的には昆虫よりもクモに近いのですが、クモ類とも進化の過程で、遠い昔に袂を分かった全く別のグループです。とはいえ、その進化や系統関係は、まだまだ不明の点が多い謎の生物群。

ウミグモ類は、化石種も含めると複数のサブグループに分けられますが、現生種はすべて「皆脚目(Pantopoda)」に分類されます。

「皆脚目」とはよくぞ名づけたものです。クモにしろ、カニにしろ、同じく足長のザトウムシにしろ、いずれも「胴体」と称する部位ははっきりしているのに、ウミグモは本当に足ばかりの姿です。

(裏面は樹脂の表面が少しざらついていて、透明度が低いです)

上は裏面から撮影した姿ですが。こうして較べても、どちらが背でどちらが腹かよく分りません。ウィキペディアの記述を引けば、「外骨格は他の節足動物で一般に見られる明確な上下区別(背板 tergite と腹板 sternite)はない」とのことなので、これもウミグモ類の大きな特徴でしょう。

その姿はいかにも原始的であり、ヒトの姿からは遠く、だからこそ感情移入もしにくいし、不気味な印象を受けます。幽霊や妖怪とは別種の、いわばエイリアン的な不気味さですね。でも逆説的に、だからこそ興味を覚えるし、私の心を捉えたのも、その不気味さと深海ロマンがまじりあった不思議な魅力です。


この樹脂封入標本はラベルの記載がきわめて詳細で、その点も理科室趣味に強く訴えかけるものがあります。採集日は2025年1月6日、静岡県戸田(へだ)港沖の駿河湾、水深380メートルの深海域で採取された個体です。

標本を製作したのは、田崎義勝氏が設立した深海調査研究会社、田崎物産「深海倶楽部」【LINK】です。同社は営利活動とは距離を置いており、その標本をオンラインで販売することも一切なく、唯一ハンズ名古屋店の地球研究室でだけ展示販売を行っている由(地球研究室のバイヤーさんが相当頑張ったのでしょう)。

その意味で、これは非常に貴重な標本であり、同社の姿勢にも少なからずロマンを感じます。

オキナエビス2025年12月20日 15時10分53秒

いよいよ年も押し詰まってきました。
何だかんだ仕事が重なり、慌ただしい年の瀬です。
“心を亡くす”と書いて「忙」、“心が荒れる”と書いて「慌」。
まあ何にせよ、繁忙は心によくありません。

   ★

さて、先週末にハンズの地球研究室で、自分へのクリスマス・プレゼントとして3点、あるいは数え方によっては、2点の品を購入しました。

その1点目は巻貝の化石です。
貝の化石は、新生代のものが各地に産するので、木の葉石とともに化石採取の入門編として親しまれた方も多いでしょう。

でも、今回手にした化石は古いです。


約1億5千万年ないし2億年の昔、ジュラ紀の海に生きたオキナエビス類(オキナエビスは「オキナエビス科」に属する貝の総称)の化石です。

(Bathrotomaria 属の一種。マダガスカル産)

付属のラベルにあるとおり、オキナエビス類は、殻口から巻きの方向に沿って切れ込みのあるのが特徴で、英語では「スリット・シェル」と呼ぶそうです。


この化石も口縁部に大きな「欠け」がありますが、スリットに沿って破損が生じたためでしょう。

   ★

オキナエビスが名高いのは、何といってもそれが「生きた化石」だからです。
それまで化石種しか知られていなかったのが、1856年に生体がカリブ海で発見されたという、その後のシーラカンス発見騒動(1938年)のようなエピソードとともに、その存在は広く知られるようになりました。

でも、それは学術的に記載されたのがその年ということで、「オキナエビス」という和名自体は、江戸時代の武蔵石壽(むさしせきじゅ、1766-1861)が著した貝類図譜『目八譜』(1844)に、エビスガイ(オキナエビスとはまったく別のグループ)の老成したものとして、「翁戎(おきなえびす)」の名とともに図示されているのが最初だそうです。

またさらに古く、木村蒹葭堂(きむらけんかどう、1736-1802)は、1755年に著書『奇貝図譜』において、紀伊産のベニオキナエビスを「無名介」〔介は貝に同じ〕として図示していることを、荒俣宏さんの『水生無脊椎動物(世界動物博物図鑑 別巻2)』で知りました。もちろん「生きた化石」とは知る由もなかったでしょうが、日本では古くから採取され、その存在が認知されていたようです。

地球研究室で買った2点目は、そのベニオキナエビスの標本です。

(このスリットは呼吸に用いた水や排せつ物の排出用)

(種小名のhiraseiは、明治の貝類学研究者・平瀬與一郎に献名されたもの)

これを手にする気になったのは、たまたま化石種と現生種の両方がショーケースにあったため、特に興味をそそられたからです。したがって、私の中でこれは2点で1点です。


2つのオキナエビスを見比べて、何を思うか。
地球の歴史、生物の歴史、その末端に位置するヒトの歴史。
思うことは多々あります。でも、2つの貝殻がものを言えたら、お互いの姿を見て、さらに多くのことを語り合うかもしれませんね。

ガラスの海(おまけ)2025年10月02日 18時58分13秒

たむらさんの世界に入り込む工夫として、このガラスの海の底にクジラを横たえてみようと思いました。


上はパラオ共和国が1983年に発行したクジラ切手です。


こんな風に両者を並べても、ビジュアル的に成功したとは言えませんが、まあすべてはイメージの世界の話です。

   ★

1983年といえば、ちょうど「ガラスの海」につづいて、「クジラの跳躍」のアイデアが、たむらさんの脳内に萌した頃でしょう。
クジラはガラスの海と同時に、たむらさんの精神からの跳躍も果たしたわけです。

カササギの翼2025年08月29日 06時18分54秒

カササギに乗って遥か銀河へ…という昨日の話のつづき。

素敵なカササギの帯留めを眺めながら、私はいっそ「ホンモノのカササギ」も手にしたいと思うようになりました。そうして見つけたのが、カササギの羽根です。


白い模様の入った初列風切羽


鋼青色に光る次列風切羽


そして瑠璃色の尾羽

   ★

 「まあ、あの烏。」カムパネルラのとなりのかおると呼ばれた女の子が叫びました。
「からすでない。みんなかささぎだ。」カムパネルラがまた何気なく叱るように叫びましたので、ジョバンニはまた思わず笑い、女の子はきまり悪そうにしました。まったく河原の青じろいあかりの上に、黒い鳥がたくさんたくさんいっぱいに列になってとまってじっと川の微光を受けているのでした。
 「かささぎですねえ、頭のうしろのとこに毛がぴんと延びてますから。」青年はとりなすように云いました。
(宮沢賢治 『銀河鉄道の夜』、第9章「ジョバンニの切符」より)

   ★

私もカササギというと、カラスみたいな黒い鳥をイメージしていました。
実際、黒い鳥には違いないんでしょうが、その「黒」の中身が問題です。
カササギの衣装が、こんなにも絢爛たる黒だったとは、実際その羽根を手に取るまで思ってもみませんでした。

特にその尾羽の翠色といったらどうでしょう。
羽軸の元から、先端にいたるまで、




その色合いの変化は、本当にため息が出るようです。


夜の闇の中で、星の光を受けて輝くカササギの群れ。
その様を想像すると、なぜ天帝が彼らを呼び寄せて、二つの星のために橋を架ける役を命じたのか、その理由がよく分かる気がします。

   ★

いよいよ今宵は七夕。
どうも雲の多い天気になりそうですが、しかし、ひとたびカササギが翼を打ち振るえば、すでに銀河は眼前に在り、です。

銀河のほとりへ2025年08月28日 18時56分00秒

今日は旧暦の7月6日、いよいよ明日は七夕。

七夕の晩は涼しい銀河のほとりで過ごそうと思います。
でも、どうやって?
もちろんカササギの背に乗ってひとっ飛びです。


何せカササギの並んだ橋は、牽牛・織女が乗ってもびくともしないのですから、人ひとり運ぶぐらいわけはないでしょう。

このカササギのアクセサリーは、モノとしては「帯留め」なので、私が実用に供するわけにもいきませんが、これを手にすれば、いつでも心の耳に銀河の流れる音が聞こえてくるのです。


これは、アクセアリーブランド「数(SUU)」が手掛けた現行の品で、ピューター製の鳥の表面にカットガラスの星を埋め込んだ、なかなか美しい仕上がり。

   ★

明晩、こと座とわし座のそばに常ならざる星、すなわち「客星」が見えたら、それは私です。

世界はときに美しく、ときに…2025年03月22日 21時42分28秒

今日は久しぶりに休日らしい休日でした。
この辺で、たまったブログの記事を書くという選択肢もあったのですが、何せ天気もいいし、家の中でキーボードを叩いているばかりでは辛気臭い…というわけで、散歩に行ってきました。別に遠出をしなくても、近所に里山が残されているのは、こういうとき本当にありがたいことです。


春本番を前に、木々は新緑の装いをする一歩手前。


この辺はだいぶ緑が濃いですが、いずれも常緑の木々です。


空はあくまでも青く、ここが街中からほど近いことをしばし忘れます。


落葉に埋もれるようにして、目の覚めるような色を見せるスミレの花。


この水場がオタマジャクシやトンボでにぎわう日も遠くありません。

   ★

…という具合に、気持ち良く散歩しているときに、ひどく心を傷つけられるのが、投げ捨てられたゴミです。まあ、その一部はカラスの仕業であることが、嘴でつつきまわされた痕から容易にわかるのですが、下のようなのは当然カラスの仕業ではないでしょう、


これは名古屋市の「ボランティア袋」というもので、ボランティアさんの清掃用に市が配布しているものですが、いったいなんでこんなものが投棄されているのか。


まったくわけが分かりませんが、何にせよ、もうちょっと真面目にやってほしいと思います(私も道端のごみを拾いながら歩いたので、こうやってぼやく資格はあるはずです)。

明治の竹類標本と牧野富太郎2025年02月13日 17時42分08秒

(前回のつづき)


付属の解説書は『我日本の竹類』と題されています。
製作・販売を手掛けたのは島津製作所標本部(現・京都科学)で、標本の同定を行ったのは、当時、東京帝国大学理科大学講師の地位にあった牧野富太郎(1862-1957)

表紙に押された印によれば、この標本セットは、石川県立第一高等女学校(現・金沢二水高校)の備品だったようです。後で見るように、ここに収められた竹類は、すべて1911年に採集されたものなので、標本が作られたのも同年であり、商品として一般に販売されたのは翌1912年(明治45年)のことと思います(こう断ずるのは、牧野が東大講師に任じられたのがちょうど1912年だからです)。

(解説冊子の裏表紙)

   ★


各標本は一種ごとに台紙に貼られ、パラフィン紙のカバーがかかっています。
収録数は全部で42種。



No.1はマダケ。
ラベルには和名、学名、採集地、採集年が記載されていますが、採集地が旧国名になっているのが古風。42種の採集年はすべて1911年で、その採集地は、北は羽後から南は日向まで、全18か国に及んでいます(最も多いのが武蔵の16点)。

他にもいくつかサンプルを見てみます。

(No.2 カシロダケ、筑後)。

(No.7 ウンモンチク、近江)

(No.16 チゴザサ、駿河) 

竹類といった場合、笹もそこに含まれるので、「〇〇ダケ」や「○○チク」ばかりでなく、このような「〇〇ザサ」の標本も当然あります。(なお、「牧野と笹」と聞くと、彼が愛妻に感謝して名付けた「スエコザサ」を連想しますが、これは昭和に入ってからのエピソードなので、この標本セットには含まれません。残念。)

竹類は基本、見た目の変化に乏しく、華やかさに欠けるのは否めませんが、一方で屋根材に使われるぐらい対腐朽性が高いので、標本はいずれもしっかりしており、中にかすかな緑色まで残っているのは、感動的ですらあります。114年間の歳月をよくぞ耐えてくれた…とねぎらいたい気分です。

   ★

これらの標本を見てもうひとつ気づくのは、牧野富太郎、あるいは牧野と僚友・ 柴田桂太 (1877-1949)の連名で記載された種や変種が大半を占めることです(全体の約8割は、牧野が命名に関わっています)。この“牧野色”の濃さは、この標本セットが種の同定作業のみならず、採集から標本作製まですべて牧野に委嘱して作られたものではないか…という推測を生みます。

もちろん、これは牧野が一人でせっせと標本をこしらえたことを意味しません。
当時の状況を吟味しておくと、明治末年の牧野は、1909年(明治42)の横浜植物会を皮切りに、東京植物同好会阪神植物同好会を組織して、広く全国に植物趣味のネットワークを作り上げつつありました。そのネットワークを活用して全国から標本を集め、それを牧野と弟子たちが整理し、島津に提供したのではないか…というのが、私の想像です。

上の想像が当たっているとすれば、この標本セットは牧野の体温をじかに伝えるものとして、その点でも貴重なものと思います。

(この項おわり)

------------------------------------------------------------
【おまけ1】

参考までに、この標本セット全種の和名を、ラベルNo.順に挙げておきます。

 マダケ、カシロダケ、キンメイチク、シボチク、ホテイチク、ハチク、ウンモンチク、クロチク、ゴマダケ、マウサウチク(モウソウチク)、キツカフチク(キッコウチク)、オカメザサ、ヤダケ、メダケ、ハコネダケ、チゴザサ、ネザサ、ケネザサ、スダレヨシ、オロシマチク、カンザンチク、タイミンチク、タウチク(トウチク)、ナリヒラダケ、ヤシヤダケ(ヤシャダケ)、カンチク、シカクダケ、クマザサ、コクマザサ、ネマガリタケ、シヤコタンチク(シャコタンチク)、メクマイザサ、チシマザサ、ツボヰザサ(ツボイザサ)、ミヤコザサ、ミヤマスズ、アヅマザサ(アズマザサ)、スズタケ、ホウワウチク(ホウオウチク)、ホウライチク、スハウチク(スホウチク)、ダイサンチク <以上42種>

【おまけ2】

この標本セットに、1枚だけ他と異質な標本が紛れ込んでいました。



百年前の女学生が作った押し葉。
そこには牧野の標本とはまた別のロマンが宿っているような気もします。

竹類標本への道…パズルを解く2025年02月12日 06時17分13秒

(昨日のつづき)

問題の箇所をじっと見ているうちに、私の脳裏に突如閃くものがありました。
「ある、確かにあるぞ。「理科準備室」へと至るルートが!」

言葉で説明するのはとても難しいですが、私の方略はこうです。

「まず、人体模型のケースの脇に立っている書類入れを抜き取り、ケースをわずかに横に動かす。するとケースを前方に動かす余地が生まれる。その状態でケースを前方に精一杯引き出し、すぐ脇のスライド書棚の棚を横に動かすんだ。そこにできたわずかな隙間に身体をねじ込めば、「理科準備室」の扉の前に到達できるはず…」

こう書いても何のことやらですが、要は「箱入り娘」の脱出パズルのように、ピースを順番に動かしていくと、そこに活路が開けそうだ…ということです。

私はジョジョに出てくる「柱の男」サンタナのように、奇怪なポーズでその隙間に潜り込み、身体を精一杯細くすることで、ついに目的を果たすことができたのでした。


人間、この偉大なるものよ。

   ★

どうでもいいことに字数を費やしましたが、それだけ私は嬉しく、また自分の才知を誇りに思ったのです。そしてまた、その成果は十分にあったので、どうかつまらない自慢話もご寛恕いただければと思います。

   ★

さて、発掘された竹類標本というのがこれです。


全体は41.5×35×12cmという、かなり大きな木箱に入っています。
肝心の中身を以下に見てみます。

(この項さらにつづく)

竹類標本のはなし2025年02月11日 16時03分58秒

竹類図譜の話題につづいて、「わが家に竹類図譜はないけれど、実物標本ならあるぞ」という話題を書こうと思いました。こんな折でもなければ、話題に上ることのない至極マイナーな品ですから、ちょうど良い機会だと思ったのです。

でも、それがあるはずの場所をいくら探しても見つからず、おかしいなあ…と首をかしげました。そしてしばらく考えてから、「あ、理科準備室か」と思い出しました。

「理科準備室」というのは、自室からあふれた理系古物をしまっておくためのスペースです。私の部屋が「理科室風書斎」なら、その予備スペースは「理科準備室」だろう…というわけですが、「室」といっても、別にそういう独立した部屋があるわけではありません。部屋に作りつけのクローゼットをそう呼んでいるだけのことです。

しかし、そこからモノを取り出すのは容易なことではありません。


人体模型のケースの奥が、普通の壁ではなく木製の扉になっているのが見えるでしょうか。これが即ち「理科準備室」の扉です。

この扉を開けるのがどれだけ大変か、それは部屋の主である私自身がよく知っています(昔は開ける方法がありましたが、今は人体模型のケースの前も横も、びっしりモノが並んでいるので、それをどかすことから始めなければなりません)。「遠くて近いは男女の仲、近くて遠いは田舎の道」と言いますが、この扉の向こうも、たしかに「近くて遠い」場所の典型で、そこに至る労力を考えたら、毎日電車に乗って通う職場の方が、自分にとってはよっぽど近いです。

    ★

日本は竹の国ですから、竹ばかり集めた標本セットというのが、かつて理科教材として売られていました(今でもあるかもしれません)。


例えば、昭和13年(1938)発行の『理化学器械、博物学標本目録』(前川合名会社)を開いてみると、


植物学標本の通番83に「竹類標本…30種…ボール箱入」というのが見えます。その脇の数字は価格で、小型台紙(195×270mm)を使ったセットが3円60銭、その倍大の大型台紙(270×390mm)に貼付したセットが5円50銭となっています。このカタログが出た昭和13年(1938)は、小学校の先生の初任給が50円の時代なので、今だと1万5千円とか2万円ぐらいに相当するでしょう。

ちなみに、この「竹類標本」はタケ科植物のふつうの押し葉標本ですが、竹の幹というか茎というか、要するにいろいろな種類の竹筒を並べた「竹材標本」というのが別にあって、そちらは30種入りで15円と、一層高価なものでした。

(通番164~166を参照)

   ★

「至極マイナーな品とはいえ、手元の標本はたしか明治期に遡るもので、島津製だったはず。となると、これは思いのほか貴重な品かもしれんぞ。何とかそれを取り出す方法はないだろうか?」…と「理科準備室」の扉をじっと凝視しているうちに、はたと気づきました。

(些細な話題で引っぱって恐縮ですが、この項つづく)