美しい午暦2026年01月03日 08時17分16秒

2026年は、丙午(ひのえうま)の年です。
丙午の年は(ほかのすべての干支も同じですが)、60年に一遍回ってきます。
前回は1966年(昭和41年)、さらにその前は1906年(明治39年)でした。

その1906年の暦を手にしました。


■中村不折(画)、凸版印刷合資会社(発行)
 『明治三十九年略暦』


「尽馬〔うまづくし〕十二題」と題して、月替わりで馬にちなんだ絵を添えたカレンダーです。ただし、「略暦」とあるように、この暦はいわゆる七曜カレンダーではなく、各月の日曜日と祝日の日付けのみ表示してあります。(「略暦」という言葉は江戸時代にもありましたが、旧暦から新暦に代わって、その内実も変わりました。旧暦時代の「略暦」は、主に月の大小と主要吉凶日の一覧を載せた一枚刷りの暦です)。

この暦に惹かれたのは、なんといってもその挿絵の並外れた美しさ。

(1月「神馬 希臘賞牌」)

(3月「馬蹄香」)

(6月「在五中将東下」)

作者の中村不折(なかむら・ふせつ、1866-1943)は、フランスに留学した洋画家にして、六朝風の書をよくした書家。漱石の『吾輩は猫である』や、藤村の『若菜集』等の挿絵を描いた人でもあります。

(8月「天馬」)

(10月「馬之脊越 碓氷嶺」)

(12月「千金之馬骨」)

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この美しい暦は、凸版印刷株式会社(現・TOPPANホールディングス)が開設した印刷博物館のコレクションにも入っており、そこに詳しい解説がありました【LINK】。一部引用させていただきます。

 「この暦は明治39(1906)年に発行され、お得意先に配られました。印刷には、当時日本に導入されたばかりのアルミ印刷が用いられています。
 アルミ印刷は平版直刷りによる印刷方法で、日本では最初にアルミニウムによる版から普及したためこう呼ばれました。当初はアメリカやドイツなど海外からアルミ輪転印刷機が輸入されましたが、まもなく国産化されます。当時中村鉄工所支配人にであった浜田初次郎は、明治38年にアルミ印刷機を製作し、凸版印刷に納入しました。その国産一号機でこの暦は印刷されたのです。」

平版直刷りは、原理的には石版刷りと同じですが、この暦は版面にアルミニウム版を使用した新式の「アルミ印刷」の技法を用いており、しかもその国産第1号の印刷機で刷り上げたものだそうで、単に美しいばかりでなく、印刷技術史の上でも貴重な作例ということになります。

(暦奥付)

さらに印刷博物館の解説には、「凸版印刷初代社長河合辰太郎は根岸に住んでおり、隣人であった寒川鼠骨をはじめ、浅井忠、中村不折などと交流がありました。浅井や中村は技術者たちの研修の講師も務めています」ともあります。

類似のことは、先日、「半七写真製版印刷所」と田中松太郎の記事【LINK】のところでも見ましたが、草創期の印刷技術者は、想像以上にアートの世界に親近していたことが分かります。

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印刷物と版画作品、あるいは工業製品と工芸品の境界は常に曖昧で、連続的だと、この美しい暦を見て感じます。その全てが…とは言いませんが、一部の印刷物はやはりアートと呼びたいと思います。

年古りた絵巻は語る2025年12月29日 18時02分41秒

大掃除をしていて、腰をやられました。
いったんこうなると、くしゃみをするのも気を使います。そういえば今年の正月は、やっぱり肉体労働の結果として腰痛になり、さらには坐骨神経痛まで発症して、ひどく苦しめられました。こんな風にしばしば不調をきたすのは、もちろん老化のせいです。

坂道は上るより下るほうが楽ちんです。でもそれはカロリー消費量が少ないだけで、膝や筋肉にかかる負担は、むしろ下りの方が大きいとも聞きます。人生の下り坂も、主観的には特に努力せず勝手に下る一方ですが、その実、あちこちに負担がかかっているのかもしれません。齢をとるのも大変です。かといって下る以外の選択肢はありませんから、ここは慎重に歩を進めるのみです。

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そんなわけで、身体を安静にしながら、先日、徳川美術館で行われた源氏物語絵巻展の図録を見ていました。


源氏物語絵巻については、印刷技術の観点から、約90年前に作られた原色複製版に焦点を当てた記事を既に書きました。

■原色版の雄、田中松太郎

今回、改めて2025年に発行された最新の図録を眺めるうちに、この90年前の複製版には、その高度な印刷術がもたらす審美的・技術的価値以外にも、ある大きな意義があることに気づきました。

それは記録性です。この絵巻の歴史を900年とすれば、90年間はざっとその1割。これは決して短い時間ではありません。どんなに保存に気を使い、丁寧な補修をしても、顔料の剥落や紙の劣化の進行は避けられません。

この複製は90年前の時点の絵巻の姿を正確に記録しており、この90年間で絵巻がこうむった変化を確認することができます。

具体的に見てみます。
まずは図録の表紙になっている、第四十九帖「宿木(寄生木とも)二」の絵。
光源氏の娘である明石の中宮が今上帝に嫁して生んだ子、すなわち源氏の外孫である「匂宮」が、新妻である「六の君」と昼日中に初めて対面した場面。左が2025年、右が1936年の画像です。


よーく見て下さい。特に黒塗りの箇所で顕著ですが、解像度の違いだけでは説明できない剥落の進行が見られます。

同じ事は、図録の裏表紙に掲載された第四十五帖「橋姫」についても言えます。同じく左が2025年、右が1936年です。描かれているのは、源氏の姪に当る大君(おおいきみ)と中の君に伺候する女房達の後ろ姿。


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こうなると、「複製はたくさんあるけれど、本物は1つだ」という陳述も少し考えないといけません。複製がたくさんあるのはその通りですが、果たして本物は1つなのか。

ある特定の時点で考えれば、確かに本物は一つですが、上で確認したように、今目の前にある本物と、90年前の本物は別物です。だから「本物は1つ」とは、そう簡単に言えないわけです。

我々にしたって、昨日の自分と今日の自分は、いずれも本物の自分ですが、その中身は違います。「同一性」というのは、常に難しい哲学的問題をはらんでいますが、下り坂を急いで下っている人間にとって、このことは言葉遊びなんぞでなく、実に切実なものがあります。

原色版の雄、田中松太郎2025年12月10日 06時03分38秒

この前の休日、余裕成分を補うべく、ことさら風流を気取って展覧会に行ってきました。名古屋の徳川美術館で開催されていた「開館90周年記念特別展/国宝 源氏物語絵巻」です(会期は12月7日まででした)。

まあ風流はいいとして、「源氏物語絵巻」自体は、このブログと特に関係ないわけですが、現代の出版文化史に関連して、私はこの絵巻物にある種の興味を抱いていました。ここにそのことをメモ書きしておきます。

それは原色版の印刷技術に関する興味で、それならば図鑑史などとも関係してくる話題ですから、まんざらこのブログと無縁とも言い切れません。

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源氏物語絵巻は名だたる国宝として、これまで繰り返し複製図版が作られてきましたが、その最初のものは、おそらく昭和11年(1936)に徳川美術館が自ら出版したものと思います(違っていたらごめんなさい)。

当然、これは前年(1935)の徳川美術館の開館を記念する出版物でしょう。
と同時に、尾張徳川家に伝来したこの絵巻物(巻子形式の3巻本)を経年劣化から守るため、昭和7年(1932)、すべて継ぎ目から分離し、台紙貼りの額装形式に改装したのを記念する意味合いもあったと思います(本の序文に改装の理由や経緯が詳しく書かれていることから、そんな気がします)。


結果的に、この改装はさらなる劣化を招くことになり、平成の後半に再改装が施され、全15巻の巻子本に姿を改めました。皮肉といえば皮肉な結果ですが、その時々で最善手と思う手を打っても、結果が伴なわないことはままあります。

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この昭和11年の複製版は、その制作経緯からして、潤沢な資金と当時最高の技術を使って作られたもののはずで、昭和戦前の日本の原色版印刷の水準を知るには恰好の一冊です。その中身は国会図書館のデジタルコレクションで手軽に眺めることができますが【LINK】、印刷精度を知ろうと思えば、やはり原本を見るにしくはなく、古書店で出物を見つけて購入しました。

(全体を包む帙のサイズは27.5×40.2cm)

国会図書館本は赤い布表紙を付けて製本されていますが、手元の一冊は各図版が未製本のバラの状態で帙(ちつ、ポートフォリオ)に収納されています。おそらくこれがオリジナルの出版形態と思います。

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戦前のカラー印刷(3色分解の網目製版)は、どんなに頑張っても、どうしても寝ぼけた色合いになりがちでした。もちろん例外もあって、過去記事だと『鳥類写生図譜』も素晴らしい出来でしたが【LINK】、この源氏物語絵巻はそれに匹敵するものです。


その仕上がりは驚くほど鮮麗で、精彩に富んでいます。



拡大すると、網点の粗さがやはり目に付くものの、その鮮やかな色合いは、とても戦前の出版物とは思えません。



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これほどの印刷物を生み出したのは、田中松太郎(1863-1949)が率いた「半七写真製版印刷所」です。

(「編集者代表者」として名前の挙がっている鈴木信吉は、尾張藩旧臣の家に生まれ、銀行家として世に出た後、尾張徳川家の家令を務めた人。「家令」というのがいかにも時代がかっています)

同社は大正4年(1915)の創業で、今も「半七写真印刷工業株式会社」として存続しています。今回、同社のサイト【LINK】「沿革」欄を読んで、少なからず心を打たれたので、その一部引用させていただきつつ、あらましを述べておきます。

田中松太郎が生まれたのは、和暦でいうと文久3年で、まだ江戸時代のことです。
富山県の下級武士の家に生まれた彼は、20歳で東京に出て、写真術を学びます。そして師の店を継ぎ、明治33年(1900)にパリ万博の日本事務所員として渡欧。洋画家の浅井忠に勧められ、写真製版術を学ぶべく、そのままウィーン王立写真学校に入学し、そこで三色版印刷の技を学びました。明治42年(1909)に帰国した後、いくつかの印刷会社勤務を経て、大正4年(1915)年、ついに自らの会社「田中半七製版所」を創業しました。

田中松太郎は、日本に三色分解印刷を導入した草分けであり、それを先導した人です。「沿革」の記述によれば、「カラー印刷技術については日本一と、自他ともに認めていたため、高名な画家が自ら作品を半七に持ち込み、松太郎の仕事部屋には何枚もの絵画があったといいます。自身も芸術家と自負していた松太郎の仕事は徹底していました。当時松太郎は社員から先生と呼ばれており、半七は、企業というよりも私塾のような雰囲気がありました。」といった塩梅で、彼は自ら芸術家を以て任じていました。松太郎にとってカラー印刷は芸術的営為であり、この絵巻複製もそれ自体が「芸術作品」と呼びうるもの…ということになります。

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「なーんだ、ただの印刷じゃないか」という言い方に象徴されますが、手仕事の作品と比べて、印刷作品は一段低く評価されることが多いです。実際「ただの印刷」としか言いようのない場合も多いわけですが、その一方には冴えた職人技による芸術的な印刷作品があるのも確かです。あるいは、すぐれた印刷はそれ自体「手工芸品」であり、今もそれは続いていると言った方が正確かもしれません。

ひょっとしたら、将来的に印刷本は版画作品と同一カテゴリーでくくられ、デジタルデータと対比される存在になるのかもしれません。実際、紙にインクが載った人工物として、両者の距離はそれほど隔たっているわけではありません。

『日本産有尾類総説』を読む(4)2024年07月27日 06時35分46秒

本書のいちばんの見どころが、31葉のカラー図版で、これらはすべて本文の後にまとめて綴じられています。

(第2図版。チョウセンサンショウウオ)

「31葉」という言い方は、「31頁」だとしっくりこないからで、実際どうなっているかというと、上のように厚手のアート紙に刷られた図版が向かって右、その対向頁(向かって左)に薄手の紙に刷られた説明文が並んでおり、それが都合31組あるわけです(図版の裏面は白紙になっています)。

これらの図について、凡例ページには、「本書の原色図版は総て画伯吉岡一氏の筆になるものである。十余年にわたって終始一貫、予が各地から活きたまま齎〔もたら〕したものを写生された御厚意御努力に対して深謝の意を表する」と書かれています。吉岡一画伯については未詳。検索すると、1930年生まれの同名の洋画家がすぐにヒットしますが、もちろん別人でしょう。(たぶん地元・広島の画人だと思います。)

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その印刷の精度を見るため、上の図版を拡大してみます。


さらに拡大。


さらに拡大鏡で覗くと網点が見えてきます。


技法としては、現在も広く使われる青(シアン)・赤(マゼンダ)・黄・黒の4色分解で、そこに何か特別な技があるわけではありません。しかし、太平洋戦争の真っ只中、印刷用紙の入手すら困難だった時代に、これだけ上質の紙を揃え、インクが匂い立つような原色図版を刷り上げることが、どれほど大変だったか、そのことに思いをはせる必要があります。

そして、この図版には原色版という以外に、ある贅沢な細工が施されています。


各図版は全体を囲む圧痕が見られるのですが、この図版はおそらく平版ですから、印刷のために圧をかける必要はなく、これは図を引き立てる装飾的なフレームとして、エンボス加工を施したのだと思います。


よく見ると、図版右肩の図版番号も空押しになっていて、ものすごく凝っています。著者と関係者が、いかにこの図版に愛情と熱意を注いだか分かります。

同じく凡例には、「本書は日本出版社社長脇阪要太郎氏の義侠的厚意により茲〔ここ〕にその形を見るに至った。初めて印刷に着手されてから三年目を迎えて漸く世に出るここととなった」ともあります。

ということは、本書の刊行は昭和18年(1943)3月なので、印刷にとりかかったのは、昭和15~6年(1940~41)にかけて、すなわち太平洋戦争が始まる直前です。その後、世相は窮迫の一途をたどりましたから、まさに出版社の「義侠的厚意」がそこにはあったと想像します。

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サンショウウオ類は色彩がおしなべて地味なので、ちょっとカラフルな図として、普通種であるイモリ(アカハラ)の図も掲出しておきます。

(第30図版。イモリおよびシリケンイモリ)

(同拡大)

また変わったところでは、こんな図もあります。

(第13図版。サドサンショウウオの卵塊)

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この連載の1回目で、国会図書館による本書の紹介文を引用しました。
そこに「美しい彩色の図版が豊富に入った本書は、戦況厳しい折の出版とは思われないほどであるが」云々とあった意味が、これでお分かりになると思います。

上記の紹介文は、さらに続けて「序文には、当初欧文で出版の予定であったところ、時局をはばかり邦文での上梓となった経緯が記されている。」と書いていましたが、次回はその「経緯」を見てみます。

(この項、次回完結予定)

白と金 vs. 青と黒2024年07月05日 05時44分28秒

星座早見盤の収集ガイド本【詳細はこちら】の著者、ピーター・グリムウッド氏は、本の冒頭、「イントロダクション」の中で、“こういう画像中心の本を編む場合、印刷の色チェックがきわめて大事である”と力説しつつ、自身の苦い体験を述べています。曰く、「私は2017年にeBayでマング社〔独〕の青い星座早見盤を購入したが、実物を見たら、それはほとんど黒に近いものだった!」

(問題の早見盤。左がたぶん購入時の商品写真でしょう)

ああ、これはがっかりしたろうなあ…と、その気持ちは本当によく分かります。

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色覚に限らず、ヒトの目と脳は往々にして騙されがちで、そこに見る者の予期・予断が作用すればなおさらです。

今日のタイトルは、以前ネットで話題になった下の画像から採っていますが、この服の色は<白と金>の縞か、<青と黒>の縞か、当時(2015年)もはげしい論争があったし、今でも見る人の目を大いに惑わせることでしょう。


この論争で面白かったのは、<白と金>を主張する人は<青と黒>を絶対に認めず、逆もまた然り、互いに自説を曲げず、そこに妥協の余地がなかったことです。これは両者が無駄に我を張っているわけではなく、実際当人の目にはそうとしか見えないのですから、仕方がありません。議論によって歩み寄れない問題というのも、世の中にはたしかにあります。

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最近、半年前に購入した1枚の星図を取り出す機会があり、グリムウッド氏の嘆きを思い出しました。この星図のことは、配送の途中で歌手のマドンナのポスターと取り違えがあって、すこぶる困惑した…という形で話題にしましたが【LINK】、その現物(商品写真)が以下です。



この美しい色合いはどうでしょう。古風な星座絵のバックに広がる澄んだ碧瑠璃。現代の星図としては出色の出来と思って、ネットで見るなり即座に注文したのでした。

しかし、届いたものはちょっと印象が違い、正直がっかりしました。
そこには商品写真に見られた繊細な碧瑠璃はなく、ひどく単純な青色があるばかりだったからです。


ただ、急いで付け加えると、自分で撮った上の画像も実物の色とは違います。商品写真よりは実物に近いですが、色味をどう調整しても実物の色は出せませんでした。ですから、売り手の人を一方的に責めることもできないんですが、それでも当てが外れたというか、見合い写真と本人の落差に驚いたというか、とにかくこの星図には、2度びっくりさせられました。

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色の世界は奥が深いです。

印刷のことなら土星堂2022年04月14日 19時07分14秒



ツキアカリ商店街のとっつきで営業している星屑印刷所
そういえば私も小さな印刷会社を経営しているのを思い出しました。


その名は土星堂活版舎


そこには輝く星もあれば、


少年の耳元に電波でささやくラジオタワーや、小さなカミキリムシもいます。


三日月だって、ステゴサウルスだって、みんなインクの香りと、背中にぐっとかかる重みを心待ちにしているのです。

長期にわたる構造的な印刷不況と、資材高騰のあおりを受け、経営環境は厳しさを増すばかりですが、土星堂のよいところは、経営者と顧客が同一であることです。いつでも大量受注が可能だし、その気になれば100万円の取り引きだって、何だったら1億円だって全然へっちゃらです。(1億円の支出を1億円の収入で埋めればいいのです)。

かくもすぐれた経営陣と優良顧客にめぐまれた土星堂活版舎へのご用命をお待ちしております。

ツキアカリ商店街2022年04月12日 20時33分01秒

最近は新刊書店に行くことが少なくなりました。
いや、それを言ったら古書店に行くことも稀です。
何でもネットで済ませるのは、あまりいいことではないと思いますが、安易な方向に流されやすいのは人の常で、反省しつつもなかなか改まりません。でも、行けば行ったで、いろいろ発見があります。

昨日、たまたま本屋に寄ったら、こんな本を見つけました。

(帯を外したところ)

■九ポ堂(著)
 「ガラスペンでなぞる ツキアカリ商店街」
 つちや書店、2022

今年の1月に出た、わりと新しい本です。


帯を見ると、読者がお手本をなぞり書きして愉しむ本のようで、最初はお年寄りが認知症予防のために手を動かす「塗り絵本」の類かと思いました。でも、特に「ガラスペンで」と断り書きがしてあるし、「夜にだけ開く商店街」という副題も謎めいています。

「?」と思い、本を手に取りページを開いてみました。


すると、確かにこれはなぞり書きの本ではあるのですが、それは「脳トレ」のためではなくて、著者による不思議な世界に、読者が入り込むための手段として、ガラスペンとお気に入りのインクと「手を動かす」という作業が求められているのだと気づきました。

さらにこの本の特徴として、(私を含む)一部の人が強烈に持っていかれるのは、帯にあるとおり、7種類の用紙と57種類の書体が使われている点です。

紙の種類とはB7バルキー、コスモエアライト、HS画王…等々であり、そこに登場する書体は、リュウミンR-KL、きざはし金陵M、A1明朝、毎日新聞明朝L、筑紫B丸ゴシックM…等々です。

(「b7トラネクスト」紙に「VDLヨタG」書体を使用した「星屑リサイクル」店)

「電氣鳥のはなし」は「AライトスタッフGA-FS」紙と「解ミン月M」書体を使用)

この本は徹底的に「モノ」であることを主張し、まさにそれ自体が形ある作品です。本書は原理的に決して電子書籍化できないのです。そこがまた購買欲をそそりました。

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著者である「九ポ堂」さんについて、著者紹介にはこうあります。

「九ポ堂(きゅうぽどう) 酒井草平 酒井葵
 祖父が残した活版道具で作品作りを二〇一〇年にスタート。九ポとは活字の大きさの9ポイントに由来。少し不思議でクスリとしてしまう、物語性のある紙雑貨制作をしている。〔…〕代表作は活版印刷による架空商店街ハガキシリーズ。」

ユニット制作である点や、架空のお店、架空の商品をテーマにしているところは、老舗のクラフト・エヴィング商會さんを連想させ、また作品の世界観はコマツシンヤさんのそれに通じるようでもあります。ただ、こんなふうに本そのものが、不思議なお店で売っている、不思議な商品めいているという「メタ」の構造になっているのが、新鮮に感じられました。


それと、家に帰ってから気づきましたが、この本を買う気になったのは、昨日長野まゆみさんの「天体議会」に言及したことが明らかに影響しています。つまり作中に登場するガラスペンが、脳内で本書と共振したのです。

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架空の町をテーマにした作品は、萩原朔太郎の「猫町」をはじめ、いろいろあると思います。作家も読者も、そういう結構を好む人は多いでしょう。もちろん私も好きです。

これまで入ったことのない路地を曲がったり、初めての駅で降りたりしたときに、「こんなところにこんな町があったのか!」と驚くことは、現実に時々あるし、夢と現実の境界はふだん我々が思うほど強固でもありません(各種の意識障害や、薬物の作用を思い起こしてください)。

夢の町と「リアル」は地続きである…というのが、そうした作品に惹かれる要因のひとつであることは確かで、猫町だって、ツキアカリ商店街だって、ふとしたきっかけで行けそうな気がするという、その「危うさ」が魅力的に感じます。

気球に乗って(中編)2020年08月08日 13時26分37秒

前回、「さっそく見てみましょう」と調子のいいことを言いましたが、ドイツ語がネックになって、気球の旅はいきなり逆風を受けています。まあ、あまり深く考えず、雰囲気だけでもアルプス気分を味わうことにします。

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この本には、全部で48枚の記録写真が収められています。いずれも大判の2LないしKG判相当で、1ページにつき1枚、裏面はブランクという贅沢な造り。ですから、本書は「写真集」と呼んだ方が正確です。

そのうち第1図から34図までが、この1906年6月29日から30日にかけての冒険飛行の記録で、第35図から48図までは、著者グイヤーが別の機会に空撮した、同様の山岳写真になっています。

冒険の記録は時系列に沿って並べられています。

(上の写真を含め、以下周囲に余白がないものは、原図の一部をトリミングしたもの)

第1図「充填開始」
6月29日朝、アイガーの高峰(3974m)を背景に、いよいよ「コニャック号」にガスの充填が始まりました。場所はユングフラウ鉄道のアイガーグレッチャー駅の脇です(現在は延伸されていますが、当時はここが終着駅でした)。


第3図「出発前」
飛行直前の記念撮影です。気球のバスケットに立つのが、船長のド・ボークレア。その手前、腰に手をやった偉丈夫はファルケ。左側の男女二人が、ある意味、今回の主役であるゲプハルト・グイヤーと婚約者のマリーのカップル(マリーは恥ずかしいのか顔を伏せています)。

(使用したインクの違いによって、同じ本の中でも写真によって色合いがずいぶん違います。以下、手元のディスプレイ上で、なるべく原図に近くなるよう調整しました。)

第4図「アイガーグレッチャー駅の鳥瞰」
いよいよ気球は上昇を始めます。

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ここで改めて、今回の旅の航跡を確認しておきます。下がその地図。


といっても、これだけだと画面上では何だか分からないので、航跡を書き入れた図と、グーグルマップを並べてみます。


右側の地図で、青い三角形がユングフラウ。その右上、丸で囲ったのがスタート地点・アイガーグレッチャー。そして右下の丸がゴール地点であるジニェーゼの村。
グーグルマップの方は、両地点を今なら最速4時間で車で移動できることを示していますが、グイヤーたちは、気球に乗ってのんびり1泊2日の空の旅です。でも、結構危なっかしい場面もあって、途中風にあおられたかして、航跡がグニャグニャになっている箇所があります。そして、イタリア国境を越えた後で大きく南に迂回し、いったん地図の外に飛び出してから、再び北上してジニェーゼに到達しています。

この旅の途中で、グイヤーがバスケットの中でパチリパチリと撮ったのが、一連の雄大な山岳写真です。


第6図「ユングフラウ」
気球はスタート直後からすみやかに高度を上げ、高度4000mに達したところで、目の前の乙女の姿を捉えました。大地の峰々と、雲の峰々の壮麗な対照に心が躍ります。

ユングフラウは、アイガー、メンヒと並ぶ「オーバーラント三山」の一つで、その最高峰。高さは4158m。(…というのは知ったかぶりで、私はユングフラウがどこにあるのか、さっきまで知らずにいました。以下の説明も同様です。)


モノとしての本にも言及しておくと、この図はフォトグラビュール(グラビア印刷)で制作されています(全48枚中6枚がフォトグラビュール)。

「グラビア」と聞くと、今の日本では安っぽいイメージがありますけれど、本来の「グラビア印刷」は、それとは全く別物です。その制作は、腐食銅版画を応用した職人の手わざによるもので、そこから生まれる網点のない美しい連続諧調表現は、高級美術印刷や、芸術写真のプリントに用いられました。

ですから版画と同じく、版の周囲に印刷時の圧痕が見えます。


第7図「雲の戦い(Wolkenschlacht)」
高度はさらに4300mに達し、ユングフラウ(画面左端)を足下に見下ろす位置まで来ました。しかし、その上にさらに積み重なる入道雲の群れ。雲は絶えず形を変え、雷光を放ち、自然の恐るべき力を見せつけています。

(後編につづく)

神は美しき小宇宙を愛するか2020年02月22日 12時11分38秒

さて、贅言はさておき清談を。

動・植・鉱物三界の驚異に満ちた、色鮮やかな博物画を愛好する人は少なくないでしょう。でも、その背景と技法に関する豊かな知識と、芯の通った審美眼を併せ持つ人は、そう多くはないはずです。

そうした意味で、個人的に敬服しているのが、博物画の販売を精力的に行っているdubhe(ドゥーベ)さんです。dubheさんが扱う品は、保存状態が良いことに加えて、みなどこか確かな見所があります。

ただ、博学多才なdubheさんも、天文分野に関しては、非常に謙抑的な態度を取られていて、その変わったお名前(屋号)が、星の名前―北斗を構成する星のひとつ―に由来することを考えると、ちょっと不思議な気がします。この辺のことは、いつか機会があればゆっくり伺ってみたいです。

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そのdubheさんが、昨晩のツイッターで、珍しく天文図版を採り上げていたので、「これは!」と思いました。その図は私自身お気に入りだったので、何だか自分のウロンな趣味に、お墨付きを与えられた気がして嬉しかったです。ここで嬉しさついでに、dubheさんの迷惑を省みず、その尻馬に乗ることにします。


その図がこちら。
A4サイズよりも一回り大きい紙に刷られた多色版画で、周囲の余白を除く図版サイズは約19.5×27.5cm あります。制作されたのは1846年。


グラフィカルな図像もいいですが、何といっても特筆すべきは、その愛らしい色遣いと繊細なグラデーションです。


これを刷ったのは、ロンドンのノーサンプトン・スクエア11番地に店を構えたジョージ・バクスター(George Baxter、1804-1867)で、彼はwikipediaにも項目立てされている、カラー印刷史に名を残す人です。

上の図は、彼が特許を得た「油性色材印刷法」によっており、これは現代のカラー印刷術とは断絶した、失われた過去の技法です。(なお、19世紀前半にあっては、版面の制作から刷り上げまで、大半が職人の手仕事でしたから、「印刷」と「版画」を区別することは、あまり意味がありません。)

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では、図版の内容はどうか?

実はこれまた印刷技法に劣らず注目すべきもので、天文学史の興味深い一断章となっています。

もう一度上の画像に目をやると、そこに「System according to Holy Scriptures 聖書に基づく体系」というタイトルが読み取れます。つまり、この図はコペルニクス以前の“旧派”の宇宙観を表現したものですが、興味深いのは、それが過去のものではなく、「太陽こそ地球の周りを回っているのだ!」と、大真面目に主張していることです。

この図の原画を描いたのは、アイザック・フロスト(Isaac Frost、生没未詳)という人で、彼は19世紀のロンドンで盛んに行われた天文講演会の演者の一人だったらしいのですが、1846年に出版された『天文学の二つの体系』という奇書と、今日採り上げた美しい版画作品を除けば、ほとんど無名の人です(「二つの体系」とは、すなわちニュートンの体系と、聖書の体系で、フロストは後者に軍配を上げています)。

(アイザック・フロスト著 『天文学の二つの体系』 タイトルページ)

この図を購入したペンシルベニアの本屋さんによる解説文を、この図を理解する一助として、適当訳して転記しておきます。

 マグルトン主義者(Muggletonian)のオリジナル天文図版
 バクスター・プリント 「聖書に基づく体系」 図版7

 太陽が地球を回る円形軌道上に描かれた図。きわめて美麗かつ繊細な色合いを持つ。

 ここに掲げたバクスター式油性プリントは、太陽中心説を否定するイギリスの宗教的一派、マグルトン主義者が私的に使用するため、1846年に制作された。マグルトン主義者は、彼ら独自の宇宙観を持ち、これらの図版は私的な目的で作られ、一般には出回らなかったので、多くのバクスター・プリントの中で最も稀少な作品となっている。アイザック・フロストの『天文学の二つの体系』のために制作された、全11図版から成るシリーズの一部であり、書籍の形に製本されず、単独の図版のまま残されたもの。

 バクストン法は複雑かつ高コストの印刷技法だが、目の覚めるようなイメージを生み出し、その図版は驚くほど美しい。」


手元にあるのはもう一枚、この昼と夜を描いた<図版10>だけですが、こちらも実に美しい絵です。


月が支配し、星がきらめく夜の世界…。

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マグルトニアンは、まあ一種のカルトなのかもしれませんが、地動説が当然とされる世の中で、あえて天動説に思いを巡らすことは、他人の言を鵜呑みにせず、自分の頭で考えようとする態度ですし、豊かな想像力の発露ですから、一概に否定はできません(その構えがなければ、コペルニクスだって生まれなかったでしょう)。

でも、できれば自分の頭で考えた結論として、地動説の正しさを納得してほしかったです。そうでないと、「下手の考え休むに似たり」の例証が一つ増えるだけで終わってしまいます。

生物のかたち…もう一つの『Art Forms in Nature』(3)2019年04月13日 06時50分44秒

ところで、『自然の芸術的形態』の図版について、原著(といっても1914年の後版)とリプリントって、どれぐらい差があるのか気になったので、実際に比較してみます。


左が石版刷りの原著で、右がオフセットによるリプリント。
このリプリントは色調もうまく調整されているので、こうして見比べてもほとんど違いは分かりません。むしろピントが合っている分、リプリントの方が鮮明に見えるぐらいです。

実際、現代の印刷技術は進んでいるので、網点が非常に細かいと、ほとんど差が出ません。

(石版)

(リプリント)

写真をうまく撮れなかったので、正確な比較になっていませんが、似たような部位で比べると、これぐらい拡大してようやく差が目立ってきます(それぞれクリックしてください)。まあ、これぐらいなら十分許容範囲だと思いますが、ここが理性と酔狂の分かれ目で、これすらも我慢ならんという人は、オリジナルに行かざるを得ません。

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それと、もうひとつ気になっているのが、ヘッケルの図版の中でもひときわ幻想味の濃いモノトーンの図版についてです。

(一部拡大)

1914年版だと、これらは全て写真製版(網点)で仕上げられています。これは1904年の初版でもそうなのかどうか。リプリント版を見る限り、その可能性はあると思いますが、現物を見るまで断言できないので、これは今後の宿題です()。

漆黒に白く浮かび上がる生物の形態は、いかにも夢幻的な印象を与えるもので、思わず引き込まれますが、写真版だとどうしても黒と白のコントラストが弱くなります。もし、初版が何らかの版画的技法によって、写真版にはない鮮明なコントラストを実現しているなら、酔狂の徒として、ここはさらに思案する必要があります。


【付記】

とはいえ、この辺まで来ると、印刷と版画の区別はだんだん薄れてきます。

「印刷」も版面にインクを載せて刷るという意味では、広義の「版画」に他ならず、彫りと刷りの「手わざ」にしても、後の石版画はだいぶ機械化が進んでいるし、現代の印刷にも名人級の職人がいて、手作業で仕上がりを調整しているんだ…なんて聞くと、だんだん頭がボンヤリしてきます。

むしろ、旧来の印刷と版画をひっくるめて、それと新式プリンタによる今様の印刷を対比させた方がいいのかもしれません。


4月14日 さらに付記】

記事に記した「宿題」の件ですが、博物画といえば何と言ってもこの方、dubheさんにコメントをいただき、早々と解決しました。ありがとうございました。貴重な情報なので私せず、公開させていただきます。結論から言うと、やっぱり1904年の初版も、モノクロ図版は網版だそうです。ただし、そこには注目すべき細目がさらにあるので、酔狂を自任される方はぜひコメント欄をご覧ください。