幻想の掛図 ― 2008年06月07日 16時08分03秒
S.Uさんとかすてんさんからコメントをいただきました。
掛図を使った理科の授業。お二人ともどうも印象が薄い、特に高学年以降はまったく記憶にないと。
私自身の記憶をたどると………私はてっきり自分がそういう経験をしていたように思い込んでたんですが、改めてふり返ると、私にもはっきりした記憶がありません。全ては己の奇怪な妄想だったのか…?どうにも不可解です。
社会科の掛図というのは、確かにありました(あったような気がする)。
大きな日本地図が教室に掛かっていたのもよく覚えています。(もっとも、wallmap と呼ばれる大判の地図は、掛図とはやや出自が異なり、それが登場するずっと以前から、別ルートで独自に発達していたものだと思います。この辺は古地図マニアの人が詳しいはず。)
戦後の理科の授業と掛図。実態はどうだったのか?
これをお読みの方から広く情報を求めたいところです。
■ ■
戦後の掛図で、私が濃厚な理科室趣味を感じるものというと、例えば写真のような品。
「藻類:単細胞から多細胞へ」
Deutschen Zentralinstitut fur Lehrmittel(ドイツ中央教具研究所)制作
Volk und Wissen Volkseigner Verlag社(ベルリン)発行
76×115センチ、1960年代
ミドリムシのような単細胞の植物性鞭毛虫類から、ボルボックスのような群体が生じ、それが多細胞生物へと進化したという、まあこれはちょっと古風な学説かもしれませんが、そうした内容を説明する図のようです。
この色彩とフォルム。
言葉になりにくいのですが、こうした「風情」や「空気」をかっこいいと感じる感性が、理科室趣味の肝のような気がします。
が、こんな図を授業で使った記憶はやっぱりないですねえ…。
コメント
_ とこ ― 2008年06月08日 19時06分42秒
_ 玉青 ― 2008年06月08日 20時51分02秒
むべなるかな。とこさんの時代なら、まあそうあって然るべきでしょう。
ところで掛図というのは、要するに視聴覚教材のはしりなわけですが、これを効果的に使うには、昔の紙芝居のおじさん、あるいは活動写真の弁士並みの、「しゃべくり」の技が必要かもしれません。
社会の中でそういう「物語る技術」が衰退したことと、掛図の消滅は、たぶん表裏一体のものでしょう。
(いや、そうでもないか…一部では物語る技術が今や異常に肥大化してるかも…意外に掛図復活の目はあるんでは…ブツブツ)
ところで掛図というのは、要するに視聴覚教材のはしりなわけですが、これを効果的に使うには、昔の紙芝居のおじさん、あるいは活動写真の弁士並みの、「しゃべくり」の技が必要かもしれません。
社会の中でそういう「物語る技術」が衰退したことと、掛図の消滅は、たぶん表裏一体のものでしょう。
(いや、そうでもないか…一部では物語る技術が今や異常に肥大化してるかも…意外に掛図復活の目はあるんでは…ブツブツ)
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教育実習生が夜なべして作った、手書きの模造紙なら鮮明に覚えているんですが…。
昔に小学校の理科の先生だったご老人に語ってもらいたいところでございます。祖父が高校の数学教師で、田舎の木造校舎の学校で教えていたらしいのだけど、もういないし。残念です。