ジョバンニがみた世界(番外編)…賢治の星座早見異聞(1) ― 2012年04月17日 21時25分23秒
『銀河鉄道の夜』の話題が久しぶりに出たので、最近気づいたことを、ちょっとメモ書きしておきます。
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これまで何度か引用した、『銀河鉄道の夜』の冒頭近くのシーン。
ジョバンニが時計屋のショーウィンドウを覗きこんで、星の世界に憧れる場面に、星座早見が登場します。
「時計屋の店には明るくネオン燈がついて、一秒ごとに石でこさえたふくろうの赤い眼が、くるっくるっとうごいたり、いろいろな宝石が海のような色をした厚い硝子の盤に載って星のようにゆっくり循(めぐ)ったり、また向う側から、銅の人馬がゆっくりこっちへまわって来たりするのでした。そのまん中に円い黒い星座早見が青いアスパラガスの葉で飾ってありました。
ジョバンニはわれを忘れて、その星座の図に見入りました。
それはひる学校で見たあの図よりはずうっと小さかったのですがその日と時間に合せて盤をまわすと、そのとき出ているそらがそのまま楕円形のなかにめぐってあらわれるようになって居りやはりそのまん中には上から下へかけて銀河がぼうとけむったような帯になってその下の方ではかすかに爆発して湯気でもあげているように見えるのでした。」
そして、この星座早見の描写は、賢治自身が所有していた星座早見盤に基づくものであり、当時国内で市販されていた星座早見といえば、日本天文学会編/三省堂発行のものしかないので、賢治が持っていたのも、きっとそれであろう…ということは、これまでも識者によって、たびたび指摘されてきました(例えば、天体写真家の藤井旭さんなど)。
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私も全くその通りだと思うのですが、この三省堂の星座早見にも、実はいくつかバージョンがあり、ジョバンニが目にした星座早見も、ひょっとしてこれまでの定説とちょっと違う可能性もあるぞ…というのが今日の記事のテーマです。
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そのことを書く前に、まず、賢治が実際に星座早見盤を手にしていたことを示す資料を、改めて整理しておきます。
その1つ目は、明治末~大正初年(1911年前後)のエピソードで、賢治の実弟・宮澤清六氏が書かれた「虫と星と」という一文(草下英明・著『宮澤賢治と星』(学芸書林)所収)に、以下の記述があります。
「兄が星座に夢中になったのも其頃〔=盛岡中学時代〕のことと思いますが、夕方から屋根に登ったきりでいつまで経っても下りて来ないようなことが多くなって来ました。丸いボール紙で作られた星座図を兄はこの頃見ていたものですが、それはまっ黒い天空にいっぱいの白い星座が印刷されていて、ぐるぐる廻せばその晩の星の位置がわかるようになっているものでした。」
2つ目は、賢治の友人・佐藤隆房氏の『宮澤賢治』(冨山房、昭和17)に出てくる、大正10年(1921)7月末のエピソードです(草下氏上掲書から再引用)。
「星を眺めることの好きな花城小学校の樺木という先生は、当直のつれづれに校庭に出て天を仰いでおりました。
そこへ思いがけなく東京から帰って間もない賢治さんが帽子も被らずひょっこり訪ねてきました。〔…〕
次の日です。賢治さんは朝っぱらからわざわざその樺木先生を訪ねて、グルグル廻すとその月の天体が分る仕組みになっている星座図を差上げました。」
前者は、賢治が14~5歳頃、後者は24歳のエピソードです。
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さて、そのとき賢治が手にしていた星座早見として、以前このブログで取り上げたのは、以下の品です(画像再掲)。
関連記事は以下。
■賢治の星座早見
http://mononoke.asablo.jp/blog/2007/08/28/
■ジョバンニが見た世界「時計屋編」(11)…黒い星座早見盤(第1夜)
http://mononoke.asablo.jp/blog/2011/12/20/6252026
で、当然のことながら、これは藤井旭さんが『賢治の見た星空』(作品社)で紹介されているもの↓と同じデザインです。
ここまでは、何の目新しい情報もありません。
しかし…と書きかけたところで、メモというには長文になってしまったので、ここで記事を割ります。
(この項つづく)
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