気鬱300年 ― 2012年07月06日 19時59分07秒
ルネサンス期ドイツの人文学者、コンラドゥス・リュコステネス(1518-1561)が編んだ『驚異と予兆の年代記 Prodigiorum ac ostentorum chronicon 』(1557年刊)。
これは過去に生じた怪奇な出来事を、編年体で綴った一種の奇書として知られます。(この辺は知ったかぶり&受け売りです。)
これは過去に生じた怪奇な出来事を、編年体で綴った一種の奇書として知られます。(この辺は知ったかぶり&受け売りです。)
一昨日の太陽と月から、この本のことを思い出しました。
この本の切れ端(1枚だけバラで買いました)に出てくる太陽と月が、300年以上の時を隔ててまったく同じような顔をしていて、こういう「型」は変わらんもんだなあ…と、わりとどうでもいい点に感心します。月は悲しげだし、太陽は微妙にほほえんでいるようでもありますが、目が笑っていません。二人ともいろいろ気苦労が絶えないのでしょう。
この挿絵は西暦803年の項に登場しますが、この絵がどういう怪奇現象を表しているのかは、本文が読めないのでよく分かりません(この本にはラテン語版とドイツ語版があって、手元にあるのはドイツ語版です)。
ちなみに下の方の挿絵は、突如出現した「空の軍勢」。
こちらは西暦805年の条の挿絵かもしれませんが、同じく内容は未詳。
ドイツ語に堪能な方のご教示をいただければ幸いです。
コメント
_ S.U ― 2012年07月08日 21時38分03秒
_ S.U ― 2012年07月08日 22時07分39秒
すみません。本当は、月と太陽のほうをお尋ねでしたね。803年の月・太陽図の下の段落の2~3行目に、「太陽がある時その輝きを失った。...みんな驚いた」と書かれています。何のことやらわかりません。日食かも知れませんがはっきりしません。カール大帝(Caroli des Grossen) とかザクセンランドとか書かれていますので、地上に対応する出来事がここでもあったのでしょうか。月も書いてあるかも知れませんが、読み取れませんでした。
_ 玉青 ― 2012年07月09日 06時13分41秒
うわあ、ありがとうございます!
私もせめてトランスクライブだけでもしようかと思ったのですが、分からない箇所が多くて投げ出しました。
S.Uさんのおかげで、あらましがつかめました。
東ローマ帝国、カロリング朝、カール大帝…結構、壮大な話を叙していたわけですね。
黒い太陽は(月も?)光を失った状態を表していたとすれば、両者が気鬱な顔をしているのも納得です。
それにしても、天界の異変と地上の事件を結び付けて解釈するのは洋の東西を問わないところでしょうが、空に軍勢を見るというのは奇抜です。挿絵を見ると、これは天文現象というよりは、陰影豊かな黒雲か何かを、軍勢に見立てたんでしょうかね。
上空の風向きが複雑だと、右と左から2つの雲群が行き違うことがありますが(いわゆる問答雲)、雷鳴を伴って雲と雲が正面からぶつかったら、たしかに合戦の様に見えたかもしれないなあと、今書きながら思いました。
私もせめてトランスクライブだけでもしようかと思ったのですが、分からない箇所が多くて投げ出しました。
S.Uさんのおかげで、あらましがつかめました。
東ローマ帝国、カロリング朝、カール大帝…結構、壮大な話を叙していたわけですね。
黒い太陽は(月も?)光を失った状態を表していたとすれば、両者が気鬱な顔をしているのも納得です。
それにしても、天界の異変と地上の事件を結び付けて解釈するのは洋の東西を問わないところでしょうが、空に軍勢を見るというのは奇抜です。挿絵を見ると、これは天文現象というよりは、陰影豊かな黒雲か何かを、軍勢に見立てたんでしょうかね。
上空の風向きが複雑だと、右と左から2つの雲群が行き違うことがありますが(いわゆる問答雲)、雷鳴を伴って雲と雲が正面からぶつかったら、たしかに合戦の様に見えたかもしれないなあと、今書きながら思いました。
_ S.U ― 2012年07月09日 07時42分28秒
>トランスクライブ
日本語で歴史的仮名づかいや変形仮名にあたるものを、西洋語では何というのでしょうか。書体、二重子音や符号、アクサンなどが現代のものと違っていて、単方向のトランスクライブは困難なようです。現代のドイツ語単語のパターンと照合して法則を探すことを考えましたが、こういう西洋の古い表記法の翻訳事典のようなものはないのでしょうか。
>雷鳴を伴って雲と雲が正面からぶつかったら
なるほど。現代人は、そんな雲を見ても、ただちにたまたまそう見えただけと片付けて話にもならないのですが、昔の人はいちいち意味を考えたのでしょうね。
日本語で歴史的仮名づかいや変形仮名にあたるものを、西洋語では何というのでしょうか。書体、二重子音や符号、アクサンなどが現代のものと違っていて、単方向のトランスクライブは困難なようです。現代のドイツ語単語のパターンと照合して法則を探すことを考えましたが、こういう西洋の古い表記法の翻訳事典のようなものはないのでしょうか。
>雷鳴を伴って雲と雲が正面からぶつかったら
なるほど。現代人は、そんな雲を見ても、ただちにたまたまそう見えただけと片付けて話にもならないのですが、昔の人はいちいち意味を考えたのでしょうね。
_ 玉青 ― 2012年07月09日 22時38分36秒
ウィキペディアなどをザッと見ると、1522年のルター訳聖書以降、ドイツ語の統一化が進んだとはいえ、正書法が確立したのは17世紀以降だそうですから、それまでは人によっても、地方によっても、綴字にもずいぶん違いがあったようです。そもそも名詞の頭を大文字で書くという習慣も17世紀以降に定まったのだと聞いて、へえと思いました。
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私はドイツ語に堪能ということはさらさらないのですが、独日辞書をもっているので、ちょっと挑戦してみました。
これは1557年刊のオリジナルのままなのでしょうか。近現代のドイツ語の亀甲文字の知識では半分くらいしか単語が識別できません。書体や「仮名づかい」が変わっていて、なかには一見してドイツ語の単語に見えないものもあります。
それでも気を取り直して、読める単語だけでも拾ってみますと、中央、803年の条の最終段落の1文目に、「この年、天に、力強い...騎兵の...を見た」というように読み取れそうなことが書かれていますので、挿絵はこれではないでしょうか。
そのあとは、地上の歴史上の事件が書かれているようで、私は中世西洋史には疎いので詳細不明ですが、固有名詞、Nicephorne, keyserin Hirene, Constantinopel, Luceria, Ortona, Italia, Caroliin などを頼りにネットに助けを求めますと、 ニケフォロスが東ローマ女帝アイレーネーを幽閉した件、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%A4%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%8D%E3%83%BC
それに、イタリアの都市? LuceriaとOrtonaがカロリング朝の王(イタリア王ピピン)に征服されたことが書かれているようです。歴史を知らないので間違っているかもしれません。空の事件と地上の事件の関係は書いてあるのかも知れませんが、私にはそこまで読み取れません。