「宿曜経」の話(1)…壮大なユーラシア文化交流史2012年07月16日 12時01分42秒

なんという暑さでしょう。

さて、前口上のとおりインドの話をします。(インドも暑いでしょうね。)
インドといえば天竺、天竺といえば三蔵法師、三蔵法師といえばお経を取りに行く…というわけで、お経のことを書こうと思います。

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紀元前後、ヘレニズム文化がインドに流入した際、ギリシャやオリエント世界の天文知識が、インド固有の文化の上に摂取され、それが中国を経由して日本にまで入ってきた…これは、東西の文化交流の1ページとして、広く知られていいことだと思います。

アクエリアスがどうとか、ホロスコープがどうとか、西洋占星術の知識は(それは古代にあっては天文学と不可分でしたが)、近代以降のものかと思いきや、平安時代の日本にも既にしっかり根を張っていた…というのは、私もよくは知りませんでしたが、事実はそうらしいです。

インド、中国を経て日本に伝わった天文知識は、端的に「お経」の形をとっていました。
その名は「宿曜経(すくようきょう)」。

(延宝9年(1681)開板の「宿曜経」版本)

最終的に成立したのは764年で、経典としては後発です。
日本へは、それからあまり間をおかず、弘法大使・空海によって806年に招来されたのが最初で、日本ではもっぱら密教の一分科として理解されたようです。

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私がその名を知ったのは、中学だか高校のときに読んだ、諸星大二郎の漫画 『暗黒神話』の中で、そのせいでこのお経には非常におどろおどろしいイメージがありました。

(すみません、ネット上から適当にひっぱってきました。)

「暗黒神話」は、日本の古代神話(スサノオとか、ヤマトタケルとか)と、仏教的宇宙観が奇妙にまじりあった伝奇作品で、その中に「参(しん)は猛悪にして血を好み、羅喉(らごう)は災害を招(よ)ぶ」という一節が出てきます。
物語全体のカギを握る武内老人(武内宿禰-たけのうちのすくね-の仮の姿)は、この文句を引きながら、「この宿曜経の言葉にすべての秘密がある。〔…〕参とは古代オリオンの三つ星を指す言葉じゃ」と、奇怪な一連の出来事の謎解きをします。

(話の着地点が見えぬまま、この項つづく)

※本項では、主に下記を参照しました。
 矢野道雄(著)『密教占星術―宿曜道とインド占星術』、東京美術、昭和61
 (題名が怪しげですが、別に占いの本ではなくて、学問的著作です。)