本邦解剖授業史(4)2017年06月13日 21時09分38秒

前回に続き、宮崎三郎(著)『蛙を教材としたる人体生理解剖実験室』(1923)の中身を見てみます。

(本書口絵。「蛙と人の脳の比較」および「蛙血液循環」の説明図)

当然の話ですが、その説明は相当具体的です。

まずは、「第二章 実験動物」の項にあるように、「等しく蛙といっても種類が多い」ので、解剖の対象とするカエルの種類を決めねばなりません。

 「私たちの実験に都合のよいものは、形のなるたけ大きなものである。〔…〕この目的に叶ってゐるものは、まづ蝦蟇〔ひきがえる、がま〕が一等だ。」(p.12)

とあって、「あれ?ウシガエル(食用ガエル)は?」と思いますが、ウシガエルがアメリカから試験的に輸入されたのは1918年(大正7年)のことで、本書執筆の段階では、まだ全国に広まっていなかったのでしょう。

しかし、著者はいったん候補に挙げたヒキガエルをすぐに退けます。

 「蝦蟇といふ奴はどうも私たち人間には気味の悪い動物である。両棲類や爬虫類の跋扈した前世紀、私たちの祖先がこの動物のため随分と苦しめられたので、その頃の恐怖感が今尚私たちのうちに潜在意識として存するからだそうな。芝居の天竺徳兵衛、児雷也、さては蝦蟇仙など、大きな奴の背に乗って現れる。のそりのそりと動き出し、口から火焔を吐いたりするのを見ては、子供の頃に恐ろしがったものだ。蝦蟇は悪気を吐くとか、背の疣にじゃ毒物があるとか(尤もこれは噂だけでなく、事実がま毒なるアルカロイドがあるそうだ。)兎に角よくない評判を立てられてゐる。」(同上)

アルカロイドを除けば、およそ科学の徒らしからぬ理由づけです。
別に天竺徳兵衛や児雷也を持ち出さんでも…とは思いますが、まあこれも時代でしょう。それに「子供たちを怖がらせてはいけない」という、一種の教育的配慮が働いているのかもしれません。

こうして、著者はトノサマガエルを第一候補に挙げ、「以下特に断り書きのなきところでは、蛙といへば常に殿さま蛙のことゝ思って頂きたい。」と宣言します(p.13)。

   ★

さて、ここからいよいよ解剖の実技に入っていきます。

解剖作業の最初は、カエルの固定です。
「実験動物の生きたまゝに手術を施さうといふのだから、荒れくるふのは想像に難くない。で手術を容易にするため、之を一定の板上に固定するのである。」(p.15)


…というわけで、カエルの四肢を上のような「蛙板」に糸で縛り付けるか、あるいはコルク板に直接ピンで打ち付けてしまうという、かなり荒っぽいことも可としています。

なお、著者は、「実験に差し支へを来さない限りは、動物を麻酔せしめて、然る後に手術を施すべきである」(p.29)という意見なので、麻酔をかけてから蛙板に固定するか、あるいは先に固定してから、鼻先にエーテルを嗅がせて麻酔することを勧めています。ただし、これは作業の便というよりも、もっぱら人道的な理由によるものです。

 「私たち人間は他を殺さないでは生きて行かれない様に運命づけられてゐる、悲しき神の摂理である。私は故に、学問のためとか、人類の幸福のためとか、所謂「大の虫」を担ぎ出すことは避け難い。逃れ難きある宿命によって私たちは動物を殺すのである。決してよい事ではない。で、その際に当って、切〔ママ〕めても私たちの心の慰めは、その動物が割合に苦痛なく死んでくれることである。」(pp.28-29)

「だから麻酔が必要なのだ」…というのですが、この辺は現代の目で見ると、手前勝手な人間中心主義として退けられるべきところでしょう。でも、これが当時の意識でした。


(何だか書き出すと長くなりますね。この項、もう少しだけつづく)

コメント

_ S.U ― 2017年06月14日 07時47分04秒

>ウシガエルがアメリカから試験的に輸入
体験者として、この場をお借りして証言をさせていただきます。
  私の故郷の田舎では、ウシガエル(とは呼ばず必ず「食用ガエル」と呼んでいました)が大繁殖し、今頃の季節になるとウーともモーとも聞こえるあの大きな声が聞こえぬ夜はありませんでした。それで、小学校の近くを歩いていますと、地域のおっさんが用水池を干しあげて食用ガエルを捕まえていて、「これはアメリカ人が食べるものだから、あんたらも食べると良い」と一部をくれました。おそらく、その時の田舎の人の認識では食用ガエルは「これはアメリカから輸入して野生化したものである。日本人はあまり食べないがアメリカ人は食べる。日本では迷惑ばかり」という認識だったのだと思います。このおっさんも夜中うるさいのに悩まされていたのかもしれません。もっとも、日本でも居酒屋などでは珍しくないものと思いますが、田舎ではそのへんにいる蛙をわざわざ飲食店で金を取って供給しようという発想はなかったかもしれません。
 その日から、私たちのコミュニティでは食用ガエルのハンティング+調理が流行するようになりました。周りの大人を見ると、子どもが食用ガエル獲って食べるのは良いことである、という評価と、「そんなもんよう食べるわ」という評価に二分されましたが、「やめろ」という人はいませんでした。
 味は鶏肉とそれほど変わらず、鶏肉のササミが美味しいと思える人には同様に美味しいと思います。でも、それなら、お金さえあれば、鶏肉のほうがより大量に簡単に入手できるし、飼うのも簡単(卵も取れる)なので、わざわざ食用ガエルを選択する理由はなく、子供心ながら鶏肉や牛肉を大量に食べるアメリカ人が食用ガエルを食べているかは大いに疑わしいと思ったものでした。

_ 玉青 ― 2017年06月17日 12時06分17秒

あはは。S.U少年の冷静な推理の冴えを物語るエピソードですね。

食用ガエルをよく食べるのは、アメリカでは主に南部と中西部だそうで、昔は農民が手慰みにカエル釣りをして、自宅で料っていたのでしょう。まあ今だと、低脂肪の健康食としての需要がメインかもしれませんね。

ときに、例の荒俣さんの『世界大博物学図鑑』を見たら、ヨーロッパの内でもカエルを食べる習慣には差があって、食用にする主な国はドイツとオランダ、それにフランスだそうです。キュビエが自著に、ヨーロッパトノサマガエルを美味と記したところ、イギリス人注釈者がすかさず「フランスだけの話である。イングランドでカエルが食用に供されることは決してない」と、但し書きを付けた話が載っていて、面白いと思いました。

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