時計と天文学2021年01月21日 21時17分16秒

ヨーロッパ各地にある天文時計は、大時計の文字盤と並んで、月の満ち欠けとか、今太陽が十二宮のどこにあるかとか、各種の天文現象をシミュレートするからくり仕掛けで、見る者の目を楽しませてくれます。

(ベネチアのサンマルコ広場の天文時計。ウィキペディアより)

しかし、時刻を知らせる普通の大時計にしても、あるいは、それを見上げる観光客の手首に光る腕時計にしたって、そもそも、それ自体が天文現象をシミュレートするために生み出されたんだ…ということは、ややもすれば忘れられがちです。何の天文現象かといえば、太陽の日周運動であり、見方を変えれば地球の自転です。このことは以前も書きました。


そのことを改めて想起したのは、『時計製作術-天文学の子供』という、そのものズバリのタイトルの本を見たからです。

■Dominique Fléchon & Grégory Gardinetti(著)
 『Horology, a Child of Astronomy』
 Fondation de la Haute Horlogerie (Genève)、2013.

この本は、スイスのジュネーブに本拠を置く「高級時計財団」が発行したものです。ここは要するに時計の業界団体なのでしょうが、そこが自らのアイデンティティを振り返ったとき、自分たちは天文学という伝統ある学問の直系の子孫なんだ…と自覚したというのは、何だかスケール感のある話だなと思いました。


内容は美しいカラー図版で、天文学をめぐるいくつかのテーマに沿って、工芸品的な古今の時計を紹介するというものです。



時計というのは、昔から金満家の独壇場で、今でも百万円単位、さらには1千万円単位の腕時計を購入して悦に入る富裕層が少なくないようです。ステータスシンボルとしての時計と聞くと、少なからず感情的な反発も覚えますが、時計自体に罪はないし、一見無駄な細工に余分なコストをかけるのが文化だ…という考えに従えば、やっぱりこれも文化なのでしょう。

まあ金満家とは縁遠いにしろ、毎日使っている時計を眺めて、そこに天文学の片鱗を感じるとしたら、それはそれで豊かな経験といえるんじゃないでしょうか。

コメント

_ S.U ― 2021年01月22日 12時30分15秒

100万円の機械時計より、100均のデジタル時計のほうが精度はいいのですよね。しかも、機械時計が1週間に1分狂い、100均の時計が10秒しか狂わなかったとすると、けっこうこれは生活にクリティカルな性能だと思います。

 実用機器でありながら、その価値観はすでに実用を外れた世界になっているように思います。世の中に価値観が崩壊した件はたくさんありますが、腕時計はその最たるものではないでしょうか。

 重量計とか温度計その他の計測器では、デザイン料や骨董価値を除けば、精度が低いほうが極端に高価ということはまず無いと思うのですが、時計がそうでないのは、機械時計にやはり何か人々の「天文学史的センス」が宿っているのではないかと思います。

_ 玉青 ― 2021年01月23日 14時01分16秒

その意味で、金満時計はもはや実用品ではなく、明らかに宝飾品ですね。
したがってその価値も実用的物差しではなく、宝飾品的物差しで決まるのでしょう。

それにしても、実用の具であるはずの腕時計が、なぜ宝飾品と化したのでしょう?
しばし立ち止まって考えてみると、昔の懐中時計も明らかに宝飾品でしたし、さらに昔の(16~17世紀の話です)置時計も華麗な宝飾品として扱われ、そのような装飾が施されていました。

…となると、機械式時計というのは、そもそも歴史の最初から金満的な奢侈品であり、その宝飾的価値を振り捨てた結果として、近代的な腕時計は生まれたとも言えそうです。つまり、伝統的な価値観が崩壊した結果生まれた「鬼っ子」は、むしろ100均のデジタル時計の方で、正確一辺倒の時計というのは、産業社会の申し子に他ならないのだ…という、いくぶんへそ曲がりな議論も十分成り立つかもしれませんね。

_ パリの暇人 ― 2021年01月24日 09時27分58秒

私は機械式時計のファンですが、機械時計といえど、物によっては決して侮れないと思っています。一般にクオーツ時計は電池交換が必要で、面倒くさがり屋の私は好きではありません。普通の日本の方はあまりご存じ無いと思いますがドイツのLange und Söhneというメーカーの懐中時計を持っています。作られてから140年も経っているのに誤差は一日平均プラス・マイナス1-2秒程度です。使っている私自身何時も信じられないと驚愕しています。もしかすると、戦前のLange und Söhne社というのは史上最高の時計メーカーなのかもしれませんね!

_ 玉青 ― 2021年01月24日 09時53分24秒

その精度を歯車とゼンマイで生み出しているとは!そして機械式時計は、機械式であるがゆえに、パーツの機械的摩耗から逃れられないと思うのですが、140年間その精度を維持しているというのは、これまたすごい話ですね。途中でオーバーホールもあったかもしれませんが、それも含めて人間の手わざの凄みを感じます。
精度というのは、パッと見で分からない要素ですが、その卓越した職人技こそ「見えない宝飾」として、持つ人に深い喜びと満足感をもたらしたのかな…と想像します。

_ zam20f2 ― 2021年01月26日 09時21分20秒

時計と天文学という文言でまず思い出したのは、リーフラー天文時計でした。もちろん、個人所有などは夢の夢な品物ですが、この時計を作っていた会社、製図用品も作っていて(名前が同じだし、会社の歴史で時計を作っていたのでそうだと信じています)、こちらは、ネットオークションで個人でも買える値段で出てきます。独逸製ですが、厳つくはない、繊細なデザインの品で時々取り出しては眺めて、天文時計の事も考えたりしています。

_ 玉青 ― 2021年01月26日 22時42分08秒

お久しぶりです。コメント嬉しく拝見しました。

そういえば、「天文時計」という言葉は、昔のお伽チックな時計塔以外に、天文台で用いられる正確無比な時計の呼称にも使われるのでしたね。さっき検索したら、リーフラー天文時計は英語だと「Riefler Precision Clock」と即物的に呼ぶみたいですが、「天文時計」のほうが何となく余情があります。

空間を画す製図用具。時間を画す時計。
硬質な金属の輝きを放ち、正確無比を誇る両者のイメージは、思った以上に近そうです。

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック