卓上の住人…クラインの壺2009年09月01日 22時52分33秒


クラインの壺というのは、いったい何を表現しているのか、私にはかなり長いこと謎でした。

子供のころ聞きかじった知識にもとづいて、メビウスの輪は表裏のない平面(2次元)、そしてクラインの壺はその3次元版だと思いこんでいたのですが、でもそうだとすると、これのどこが表裏のない立体なんだろう?と、さっぱりわけが分かりませんでした。

よくよく話を聞いてみれば、上の解釈は完全な誤解。
要するに、この「壺」は、別に表裏のない(…ん?)3次元空間を表現しているわけではなくて、問題はあくまでも「壺」の表面(=2次元)の性質がどうかであり、「表裏のない面から出来ている形」という意味では、メビウスの輪と同工異曲だったわけです。
(ウィキペディアには、「クラインの壺」は、そもそも「クラインの面」の誤訳だと書いてあって、腹に落ちました。)

では、クラインの壺のどこが3次元的かと言えば、メビウスの輪がリボンという2次元図形をひねって作られているのに対して、クラインの壺は、筒(チューブ)型という3次元図形をひねって作られているところが偉い(?)のでした。

本当はチューブを4次元空間内でひねれば、完全なクラインの壺ができるのですが、残念ながら我々にはできない芸当です。そこで、やむを得ず3次元空間内でひねったために、我々が目にするクラインの壺は、壺の口が壺本体を貫通(自己交差)してしまっています。この貫通部分が、一見何か曰くありげに見えるのですが、本当は壺本体に接触することなく、壺の口を壺内部に通さなければいけないので、4次元人から見れば、この貫通部分は曰くどころか、完全な失敗個所です。

そこで、この失敗部分を無視して、貫通部分に障壁がなく、自由に行き来できると想像すれば、確かにクラインの壺は表も裏もない面だと分かります(分かりますか?)。

さて、自分の無知をさらしているうちに紙幅が尽きました。
壺談義はもう一寸続きます。

(この項さらに続く)

卓上の住人2009年08月31日 21時00分19秒


一昨日の絵のついでに、身の回りのモノにカメラを向けてみました。
写真は最近のデスク周りの様子。
真中でいばっている黒い円盤は、電気スタンドの台座です。

モノは増えるばかりで、一向に減ることがないので、以前記事に載せたモノたち―ゆっくり回るラジオメーターや、おぼろに光る頭蓋のホログラムなど―は、いずれも健在です。
で、それらの脇をPCのケーブルが無遠慮にはいずっていて、いかにも索漠とした光景。雑然としているなりに、そこに何か秩序感があればまだしも、残念ながらそれも皆無です。まあ、デスク周りは他の場所にディスプレイしがたい、半端な品が集まっているので、やむを得ない面もあるのですが。

ところで、ヘデラの葉陰でクネッとしているのは、<クラインのつぼ>。
これはまだ紹介したことがなかったので、明日また取り上げます。

(つづく)

青い闇。一瞬の輝き。2009年08月29日 16時26分35秒

(↑額縁のガラス越しに撮ったので、私自身の影が写り込んでいます)

19世紀後半のフランスの天文書の挿絵。
絵師と版画職人の分業で刷られた、美しい石版画です(印刷面のサイズは約 10.5×17.5センチ)。
これ1枚バラで売っていたので、元の書名は残念ながら分かりません。
今は額に入れて書棚の前に掛けてあります。

最初、彗星の絵かな?と思いましたが、タイトルを見れば分かるように、流星の親玉である「火球」とその軌跡を描いた絵。

星が静かにまたたく夜。
まばらな木立の上に突如現れた巨大な火球。
その明かりが水面に反射し、河畔に係留されたボートのシルエットが浮かび上がった瞬間。

そうした<一瞬>を切り取り画面に固定した、画家のすぐれた眼と技量、それに豊かなイマジネーションに感心します。何となく火球が消え去ったあとの静寂と深い闇までも予期させるところに、絵としての深みがあるようです。

銀河鉄道いまだ発車せず。2009年08月27日 22時35分41秒

(↑こういうワインがあるらしい)

Google のロゴが、今日は銀河鉄道になっていますね。
8月27日は賢治の誕生日。存命ならばロウソクが113本立ちます。

たかが Google のロゴ一つで記事を左右されるのも癪ですが、他ならぬ銀河鉄道ですから、ここは喜んで乗せられましょう。

もはや覚えている人も少ないでしょうが、1年以上前に、「ジョヴァンニが見た世界」という未完の連載モノがありました。
『銀河鉄道の夜』の冒頭に出てくる2つの印象的なシーン、すなわち、銀河について習う「午後の授業」の場面と、数々の天文グッズで彩られた時計屋のショーウィンドウに、主人公・ジョヴァンニが魅せられる場面。それらを、実物に即して考証しようという、まさに「天文古玩」向きの企画でした。

で、これが最初の1段落、先生が星座の掛図を指すシーンだけで延々と話が続き、何となくウヤムヤのまま、そこで話が途切れたのでした。

実はあの後、念願の大きな星座の掛図を見つけ、私は(もちろん)迷わずそれを買いました。しかし、待てど暮らせどモノが届かなかったんですね。(売り手とはその後ついに連絡が取れず。つまり騙されたのです。)
あそこで無事掛図が届いていれば、話はまた順調に進んだのでしょうが、ちょっと気分がくじけてしまい、企画も頓挫したままとなっていました。

そのことは実に苦い記憶ですが、以前の清新な気持ちをよみがえらせるために、そろそろこの企画を再開してみようか…と今考えています。

ガリレオ vs. マリウス2009年08月25日 22時13分50秒

列をなして空中を飛行する本?

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今日、8月25日の Google のロゴは、ガリレオ望遠鏡。
今から400年前の今日、彼の望遠鏡が誕生したから―というのがその理由ですが、実際には望遠鏡はもうちょっと前に完成していて、8月25日はヴェネチア共和国のお偉方にそれをお披露目した日…ということのようです。

彼はその後精力的に天体観測を行い、月の山岳、木星の衛星、天の川を満たす星々などの観測成果をまとめて、翌1610年、あの記念碑的な著作『星界の報告』を世に問いました。

  ★

その評判に刺激されて、「自分はガリレオよりも先に木星の衛星を見た」と言いだしたのが、ガリレオよりも9歳年下のドイツ人天文家、マリウス・シモン(メアー・ジモン、1573-1624)で、彼は1614年に『木星の世界 Mundus Jovialis』を出しますが、ガリレオはこれを剽窃呼ばわりして、両者はかなりもめたようです。

こういうと、マリウスは何だか胡散臭い人物のように思えますが、彼はアンドロメダ星雲に最初に言及した人であり(彼はそれを“角を透して輝く蝋燭の炎”という美しい比喩で述べました)、また木星の衛星についての表は、ガリレオのそれよりもむしろ優れていたと言われます。

 ★

上の画像に話を戻せば、これは大英図書館が所蔵するマリウスの『木星の世界』のマイクロフィルム。いかにも渋い品ですが、こんな読めもしない資料がなぜ手元にあるのかといえば、要はこれも日本ハーシェル協会絡みで届いた品です。

マイクロフィルムというのも、最近ではいささか古風なメディアとなりつつありますが、とりあえず虫眼鏡さえあればどこでも読めるというのは、電子メディアにはない一大特長ですね。

元のフィルムはネガなので、それを白黒反転処理したら、何だか不思議な浮遊感が生まれました。(本の幽魂のようです。)

ケーニヒシュトゥール天文台2009年08月24日 22時55分43秒


今日届いた絵葉書です。

周囲に余白があるので、一見1930年代に流行した「ホワイトボーダー」タイプの絵葉書のように見えますが、ホワイトボーダーのようなツルツルの印画紙ではなくて、マットな質感の紙に印刷されています。おそらくコロタイプ印刷や、それに類する技法で制作された品でしょう。裏面には1919年という発行年が見えます。

写っているのは、ドイツのケーニヒシュトゥール天文台の反射望遠鏡。
ここは古都ハイデルベルグの丘の上に立つ観測施設で、前身にあたるマンハイム天文台は1772年の創設ですから、ドイツでも由緒ある天文台の1つ。
現在地には、観測適地を求めて1898年に移転してきました。

当時の台長は写真観測のエキスパート、マックス・ヴォルフ(Max Wolf, 1863-1932)。
被写体となった機材は、ヴォルフも愛用した、72センチ径の Walz 製反射望遠鏡だと思います。
この望遠鏡は今でも現役ですが、鏡筒や架台はその後だいぶ手が入ったらしく、外見はすっかり今風に改変されています([2]参照)。

現在の白いのっぺりした鏡筒に比べ、いかにも仰々しい機械っぽさが魅力的。
陰影に富んだ、ドーム内部の静謐な空気にも惹かれます。

【参考】
[1] Wikipedia: Landessternwarte Heidelberg-Königstuhl
http://en.wikipedia.org/wiki/Landessternwarte_Heidelberg-K%C3%B6nigstuhl
[2] Maximilian Franz Josef Cornelius Wolf
http://www.klima-luft.de/steinicke/ngcic/persons/wolf_m.htm

世界のヴンダーショップ(4)2009年08月22日 10時11分47秒

(↑http://www.flickr.com/photos/bip/440533140/in/photostream/より)

天文ネタで書きたいことは多々あるのですが、時いまだ至らず、もう少し天文以外の話題を続けます。

  ★

先日、おやつさんにコメント欄で新たな博物系ショップを教えていただきました。
まずその1軒目が、パリのシテ島に程近いクロード・ナチュール。

■Claude Nature
 http://www.claudenature.com/index.asp?p=114

何となくこの店名に聞き覚えがあるような気がしたのですが、「ん、そういえば…」とさっき思い出しました。
以前、奥本大三郎・今森光彦両氏による『ファーブル昆虫記の旅』(新潮社、2006)を紹介したときに、この店のことも書かれているのをメモしたことがありました。
 http://mononoke.asablo.jp/blog/2007/02/28/1216422

改めて元の本を見ると、クロード・ナチュールのことに、かなり字数が費やされています。
このお店の雰囲気がよく分かるので、それを以下に転記してみます。

 ■□

 デロールの次はサン=ジェルマン大通りのクロード・ナチュールに
行く。この店は親父さんがそれこそバリバリの現役虫屋で、自分で採
集にも行く、標本も作るという調子。息子がまたよく手伝っている。
金髪のおばさん店員はいつもハナ歌を唄いながらボール紙で標本箱
を作っている。

 フランス人虫屋がまず買わないような、ごく普通のフランスの虫ま
で、丁寧に標本にして売っているのがこの店のありがたいところで、
私はここで、ファーブルの『昆虫記』に登場する虫の見事な標本をず
いぶん入手することができた。見事な、というのは、この親父がマニ
アックなだけあって、標本を作ってここに売りに来るアマチュア虫屋
連中も、凝りに凝った標本を作り上げるからである。

 たとえば、ユーフォルビアスズメという蛾の幼虫は有毒で、自分の
毒性を誇示するためであろうか、まさに毒々しい、華美な色彩を有す
るのだが、その幼虫の内臓を丁寧に抜き、体内に空気を吹き込んで
膨らませながら乾燥させた、感心するしかない美しい標本を作る人が
いる。

 あるいはまた、キンイロハナムグリという甲虫の、卵から幼虫、蛹
の標本をきれいに並べたものを作る人がいる。もっとも卵だけは模造
品らしい。

 というようなわけで、クロード・ナチユールの親父、クロードさん
とはもう何年も親しくつき合っている。それに彼のいいところは、守備
範囲が広くて昆虫以外の生き物についてもよく識っていることである。
店内にはありとあらゆる生き物の標本が飾ってある。デロールの店とは
蒐集品の時代が違うから、虎や白熊とはいかないけれど、狩猟の獲
物や、交通事故に遭ったらしい小動物、蜘昧、蠍、それこそ鳥獣から
蛇蝎に至るまで揃っている。去年、私と一緒に来た魚やカエルの好
きな男とは、一方はフランス語を知らず、他方は日本語を知らないの
だが、カエルの声について議論するのに、互いにラテン語の学名と、
ケロケロとカエルの鳴き声とで話が通じるようであった。

 今森さんが、コルシカのラスパイユマイマイの殻があるか訊くと、家
から明日持って来て置いておくとのこと。しかし二、三日して店に行って
みると、本人は採集に出て不在、約束の物は忘れたらしい。金髪お
ばさんが、「お尻ぺんぺんしとくから」という調子。

 それでも頼めば何でも調達してくれそうで、現に店内には、中世の
伝説の、一角獣の骨格標本まで飾ってある。カモシカの額に北極海の
イッカクの角を生やしたものであろう。(上掲書、pp.105-109)

 ■□

何だかとても楽しそうですね。

サイトを見ても守備範囲の広さがうかがえますが、品目は主に生物標本限定で、医療・解剖系の品や鉱物は対象外のようです。また古書やアンティークの店とも一寸畑が違います。こういった店が、それぞれの色合いを保ちつつ軒を並べるパリは、やはり相当に奥が深いですね。

「日本人なら誰でも知っているファーブルを、フランス人はほとんど知らない」ということがよく言われますが、それはファーブルという「点」だけ取り出したときの話で、博物趣味の「面」的広がりにおいては、依然フランスに一日の長ありと認めざるを得ません。

襲い来るクラゲたち2009年08月20日 22時03分17秒


さらにしつこくクラゲのカードを載せます。
これまたリービッヒ・カードの一種(表示はオランダ語)。

前回のシリーズからおよそ30年が経過した、1930年代に出た品で、本来はこれも6枚1セットだったと思いますが、今手元にあるのは上の4枚だけです。

文化の傍流にあるクロモカードとはいえ、時代の空気は争えないものですね。昔の奥ゆかしさは消え、色彩も、画題も、より濃い味わいになっているのを感じます。

それにしても、ここに描かれたクラゲたちの<面構え>といったら…!
何だか、奇怪さをことさらに強調しているみたいで、コメント欄でS.Uさんが書かれていたように、食品のおまけとして一寸どうなんでしょうか。この絵を見て食が進むとは到底思えませんが…。

メデューサ姉妹の肖像2009年08月18日 18時18分48秒


20世紀初頭に出た、リービッヒの<クラゲ・シリーズ>全6枚。
やさしい浅緑の色合いが特徴的な、古風な味わいのあるクロモカードです。
色合いは涼しげですが、絵としては涼しげを通り越して納涼向きというか、奇々怪々。

  ★

ところで昨日のクラゲ。あれはどうも管クラゲ(クダクラゲ)の一種らしいです。
ポピュラーなところでは、カツオノエボシに近い仲間。

「クラゲ」というのは、「むし」と同じく、かなり多様な動物群を含む言葉で、管クラゲも、確かにクラゲには違いないんですが、ミズクラゲやエチゼンクラゲなんかとは、かなり縁遠い生物だとか。

まず動物界の下に、「刺胞動物門」というのがあって、その下に、
  「ヒドロ虫綱(これが管クラゲの仲間)」や、
  「鉢虫綱(こちらがよりクラゲらしいクラゲの仲間)」があって、
さらに刺胞動物門には、他にもいくつかナントカ綱というグループがあり、「クラゲ」は、それら全てにまたがり、しかも「有櫛動物門」のクシクラゲ類まで含むという、非常に大きな概念のようです。

わが身に引きつけると、我々は「脊索動物門」の「哺乳綱」に属すのですが、ここには他に「鳥綱」や「両生綱」や「軟骨魚綱」etcが含まれており、管クラゲ類とミズクラゲでは、それこそ哺乳類と魚類、猫とカツ節(?)ほども違うわけです。

管クラゲの特徴は、他のクラゲと違って、群体を構成する点。
普通のクラゲのシンプルさにくらべて、管クラゲがいかにもおどろおどろしい姿をしているのは、体形の特殊化した個体が多数集まって「一匹」のクラゲができあがっているためです。

形も、生き様も、人間の物差しでは到底測れない連中ですね。
(まさにラヴクラフトの世界!)

海は広いな、大きいな…

海中のメデューサ2009年08月17日 21時17分52秒


これもリービッヒ・カード(1908年頃)。

一応クラゲの絵ですが、何だか透明感ゼロ…というより、むしろ毒々しいまでの色彩で、世のクラゲ好きの人にとっては、大いに嘆かわしい描写ではないでしょうか。

クラゲは、フランス語でメデューサ。
その名の通り、ここでは徹底的に怪物じみた、悪夢のような生物として描かれています。
透明なものを、透明なものとして描く技量がなかったせいかもしれませんが、それにしても面妖な…。

なお、傍らにPorpalie Stéphanomie とあるのは、現在では使われない古い学名なのか、検索しても―このカード自体の記述を除けば―ヒットしませんでした。