青い闇。一瞬の輝き。2009年08月29日 16時26分35秒

(↑額縁のガラス越しに撮ったので、私自身の影が写り込んでいます)

19世紀後半のフランスの天文書の挿絵。
絵師と版画職人の分業で刷られた、美しい石版画です(印刷面のサイズは約 10.5×17.5センチ)。
これ1枚バラで売っていたので、元の書名は残念ながら分かりません。
今は額に入れて書棚の前に掛けてあります。

最初、彗星の絵かな?と思いましたが、タイトルを見れば分かるように、流星の親玉である「火球」とその軌跡を描いた絵。

星が静かにまたたく夜。
まばらな木立の上に突如現れた巨大な火球。
その明かりが水面に反射し、河畔に係留されたボートのシルエットが浮かび上がった瞬間。

そうした<一瞬>を切り取り画面に固定した、画家のすぐれた眼と技量、それに豊かなイマジネーションに感心します。何となく火球が消え去ったあとの静寂と深い闇までも予期させるところに、絵としての深みがあるようです。

コメント

_ S.U ― 2009年08月29日 20時17分39秒

 この絵を拡大して気づきましたが、しし座~おとめ座~アークトゥルスが、かなり忠実に描かれていますね。天文書に入れる絵の場合、星座を正しく描くように、星図と指図が画家に対して示されるのでしょうか。

_ 玉青 ― 2009年08月30日 20時00分12秒

いつもながら観察がこまやかですねえ。
天文書が常にそうだというわけではないでしょうが、この本の場合、その辺の指示が徹底していたのでしょう。火球の経路なども、実際の観測記録に基づく描写かもしれません。
とはいえ、この叙情的な地上の風景描写には、画家の独創性が大いに発揮されているように想像します。

_ (未記入) ― 2009年08月30日 21時20分29秒

 拝見して、エステ○マ・ハイブリッドの新しいコマーシャルを思い出して、思わずトヨタさんに意見メールしてしまいました。
ビクセンの天体望遠鏡で彗星を観察しているのはいいですが、後半でその彗星と同じ画像が流星のように流れます。
そうでなくても彗星と流れ星の違いを十分理解できて無い人が多いのに、余計迷わせます。
理科振興を望む私としてはちょっと許せません。

 だいたい、エステ○マ・ハイブリッドの外部電源が欲しくて買う天文マニアも多いと聞きますが、電池がなくなるとエンジンがかかってしまいます。深夜のアイドリングはご法度でマナー違反です。
 アメリカで盛んなキャンピングカーのサブバッテリーシステムは40年も前からその問題を考えて、セルモーターが動くメインバッテリーを残して、サブバッテリーを使い切るシステムをとっております。
はるかに遅れた思想のトヨタさんに日本の文化レベルの低さを感じます。

_ ガラクマ ― 2009年08月30日 21時47分06秒

 失礼しました。 未記入はガラクマでした。

_ 玉青 ― 2009年08月31日 06時59分56秒

問題のCMを今見てきました。
(他の方のために→http://toyota.jp/estima/tvcf/index.html
いやあ、見事にビューと飛んでますね。

確かに彗星のあの姿形は、誤解してくださいと言わんばかりなので、やむを得ない面もあるのでしょうが…。そもそも彗星の「尾」という言い方からして誤解を招きやすいですね。「太陽から吹き付ける風になびく髪の毛」というイメージの方がしっくり来るかも。

_ S.U ― 2009年08月31日 23時36分37秒

例の自動車のCMの飛ぶ天体は私はてっきり大火球だと思っていました。あれが彗星とはひどいです。

 ここへ来て西洋の肩を持つ気はないのですが、西洋の星景の画がしばしば星座までリアルなのに対し、日本人画家が描いた画で、星座がリアルなのはあまり見た覚えがありませんし、このCMにいたっては誤解あるいは間違いというべきもので、どうも日本のアートは事実に対してアバウトというかいいかげんだと思います。
 
 まあアートですから、デザインや感覚が優れておればそれでよいのでしすが、私にはアバウトさが先に目について、芸術家が真摯に作り上げた作品には見えなくなってしまいます。(こちらの鑑賞のほうにも問題があることは認めます)
 
 今ふと疑問に思ったのですが、私は日本の花鳥画は芸術的に優れていると思うのですが、ああいうのも植物や鳥に詳しいナチュラリストから見るとアバウトに見えるのでしょうか。

_ 玉青 ― 2009年09月01日 21時29分48秒

「彗星がビューと飛ぶことに関する考察」は、いずれ記事にて。

花鳥画どうでしょうね。当時の画家も写実ということは強く意識していたと思いますが、現代のナチュラリストとは、観察ポイントがずれていた可能性もありますね。何をもってリアルと感じるかは、時代的制約を逃れられないのかもしれません。また末端の絵師などは、実物に学ぶよりも、粉本の模写に汲々としていたでしょうから、アバウトといえばかなりアバウトだったような気がします。

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