十年一日、一日千秋 ― 2025年01月18日 17時21分13秒
今日の記事のおまけ。
同じ人間が書いているので当たり前ですが、自分の書いていることは、ちょっとカッコよくいえば変奏曲、有体にいえば十年一日、なんだかずっと同じことを言ってる気がします。今回そう思ったのは、以下の過去記事に目が留まったからです。
■無限の時、夢幻の出会い
13年前の自分は、ある男女の切ないストーリーに触発されて、「たとえ3日が60年に伸びても、別れの苦しみは変わらないし、反対に60年分の思いを3日間に詰め込むことだってできないわけではない」と書きました。さらに虫たちの生と死に「ヒトの有限性に根ざす、心の中の「根源的寂しさ」」を感じ、「永遠は一瞬であり、一瞬は永遠である」と、もっともらしく他人の褌を借りています。
まあ、表現の細部は違えど、今日の記事で言いたかったことは、13年前の自分もしんみり感じていたことです。「成長がないなあ…」と思いますが、しかし「ヒトの有限性」は私にとってこの13年間でいっそう切実なものとなったし、話の力点も男女の機微から寂滅為楽へと移ったことを思えば、やっぱりそこに幾分「成長」もあるわけです。
我ながら頼もしいような、心配なような。
いずれにしても13年という歳月は、面貌ばかりでなく、心にもしわを刻むのに十分な時間です。
閑語…情報戦の果てに ― 2024年11月18日 19時34分24秒
今朝に続いて無駄ごとを述べます。
戦国時代を舞台にしたドラマを見ると、「らっぱ」とか「すっぱ」とか呼ばれたリアル忍者を敵の領国に送り込み、根も葉もない噂を流して、敵にダメージを与える謀略の場面が出てきます。戦国時代のことは知らず、風雲急を告げる幕末には、薩摩藩がいろんな怪文書をまいて、情報の攪乱と人心の動揺を画策したと聞きます。近代戦でも情宣活動は重要な柱ですから、旧日本軍の特務機関も大陸で相当暗躍していた形跡があります。
あるいは、特にそんな工作をしなくても、大正震災における朝鮮人虐殺の惨劇のように、人は容易に流言飛語に乗せられ、軽挙妄動に走りがちで、そういう人間の性質を熟知した者の手にかかれば、コロッと行ってしまう怖さが常にあります。
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人間とは<情報>を欲する存在だ…と、つくづく思います。
そして多くの場合、情報のvalidityは不問に付され、「そういう情報がある」という事実が何より人を動かすもののようです。そうなると、初手から騙す気満々で来る相手には、情報の受け手側は分が悪く、無防備な人がそれに騙されるのはやむを得ないともいえます。
そんなわけで、今回の選挙でも、「兵庫の人はいったい何をしてるんだ」と責めるのは、いささか酷で、公正に見れば、騙されるよりも、騙す方が格段にタチが悪いし、そういう手合いにはそれなりの接し方をせねばなるまい…なんていう無粋なことを、趣味のブログに書かねばならぬことを遺憾に思います。
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さはさりながら、「天網恢々」、徒に妄言を振りまく人間の末路をこそ見定むべけれ。
西の方より黒雲生ず ― 2024年11月18日 07時02分39秒
(海洋気象台(神戸)編 『雲級図』 (大正11年)より 「乱雲 Nimbus」 ※)
晴々とした気持ちで――いかにも晴々とした画像まで貼りつけて――、“さあ新たな一歩を”みたいなことを書きましたが、とたんに心に雲がかかる出来事がありました。ほかでもない兵庫県知事選挙のことです。
私にとっての兵庫は、憧れの神戸の街と足穂のふるさと明石に代表されるのですが、そんな素敵な町に暮らす人々が、なぜわざわざ悪事を好むよこしまな人間を知事に戴こうとするのか? 既得権益に斬り込む…と口で勇ましいことを言いながら、その実、彼を取り巻くそれこそ「権益」に群がる有象無象が、強力な選挙戦を仕掛けたとも側聞しますが、まことに心胆を寒からしめる光景です。
公益通報制度をないがしろにし、人を死に追いやり、パワハラ行為を繰り返し指弾され、最終的に議会でその任を解かれた人物が、何の反省もないまま(もちろん反省がないから立候補したのでしょう)、それでも再選されてしまうという、この常識の底の抜け方には言うべき言葉がありません。
しかし、「兵庫の人はいったいどうしてしまったんだ?阿呆やなあ」と、傍で言っていれば済む問題なのか、実は同じことが今や日本中で起きる可能性があるのではないか…と考えると、そのことが一層心を曇らせます。
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先日の衆院選では野党が躍進し、自公政権にNoを突き付けました。そのことで、「国民の理性はまだ健全なのか」と安堵したのは事実ですが、しかし改めて考えると、今回の「斎藤現象」とその根っこは同じなのかもしれません。
すなわち、それは理性とは縁遠い、単なる「現状変革願望」に過ぎず、カーゴ・カルト的心性や、「ええじゃないか」の狂騒に近いものではないか…そう思うと、心に雲がどんどん湧いてきて、黒雲鉄火を降らしつつ、数千騎の鬼神が暴れまわる様が眼前に浮かんでくるのです。まさに末法の世なる哉。
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この場に足穂氏がいたら、今回の件を何と評したか?
「またえらいケッタイな花火が上がりよったな。まあ100年経っても、魔法を使える人間がおるゆうんなら、おもろいやないか」とでも言って、自若としているかもしれませんが、しかし、それにしたって…と思います。
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(※)この雲級図は、昔記事にしたことがあります。
■雲をつかむような話(1)
黄泉比良坂を越えて ― 2024年10月31日 19時29分37秒
ハロウィーンのイメージで既出の品を並べてみます(物憂いので元記事は省略)。
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ハロウィーンというと、今や不気味なもの、ホラーチックなものであれば、なんでもありの感じですが、本来は日本のお盆と同様、死者が帰ってくる日、死者儀礼の日なのでしょう。
昔、スプラッタムービーが流行っていた頃、原題を無視して、「死霊の○○」という邦題をつけた映画がやたらありました。中でも「死霊の盆踊り」というのが印象に残っていますが、今にして思えば、ハロウィーンはまさに「死霊の盆踊り」みたいなものかもしれません。(…というか、盆踊りはそもそも「死霊の踊り」であり、盆踊りの輪の中には、知らないうちに死者の顔が混じっているよ…と言われたりするのも、そういう意味合いからでしょう。)
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「今宵、月の光で子供たちが影踏み遊びをしていると、いつのまにか死者がその中に紛れ込んでいて、死者に影を踏まれた子は…」という小話を考えました。
「…」の部分は、「命をとられる」とか、「魂を抜き取られて言葉が話せなくなる」とか、「発狂して悪夢の世界から帰ってこれなくなる」とか、いろいろ考えられます。あるいは「子供の姿がふっと消えて、その子がこの世に存在した痕跡がすべて消えてしまう」というのも怖いですが、でも、そこにかすかに残った小さな足跡を見た両親が、「不思議だな、ひどく懐かしい気がする」、「あら、あなたも?」…といった会話をする場面を想像すると、ひどく哀切な気分になります。
たぶん、我々はみな何か大切なものを忘れてしまった経験を持っているからでしょう。
【閑語】 The Shape of the Nation ― 2024年09月28日 07時50分20秒
石破首相誕生というニュースと同時に、「石破ショック」「日本終わった」というフレーズがネット上に溢れました。でも、話を聞いてみると、そう言っている人の「日本終わった」の中身は、「株価が下がった」ということらしく、きっとその人の頭の中はそれで一杯なんだろうなあ…と思いました。まあ、経済の問題も大切ですが、そればっかりというのもさもしい話です。
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今回不思議に思ったのは、高市という人が石破氏と競ったことです。
高市という人は、その極右的イメージから「日本のルペン氏」みたいな人だという印象を持っていましたが、改めて考えると、ルペン氏は「フランス第一主義」を掲げてEUからの独立を志向するとともに、「貧困層の擁護者」を自認し、いわゆる新自由主義とは対立する立場です。そういう主張が、苦しい生活を送る国民のルサンチマンの受け皿になるのは理解できます。アメリカでトランプ氏が支持される構図も似たようなものでしょう。
でも、かたや高市という人は、対米従属に異を唱えるでもなく、企業優遇策に異を唱えるでもなく、そういう人がなぜ「岩盤保守層」の支持を得て、ポピュリズムの旗手となり得るのか、いかにも不思議な気がします。
ふたたび思うに、そこに共通するのは「栄光のフランス」と「栄光の日本」のイメージであり、表面的な政策の違いはあっても、その「栄光」のイメージこそが、人々の支持を集めた肝なのかもしれません。
個人と同様に国家も、本当に自信に満ちているときは、わざわざ虚勢を張る必要もないわけですが、「栄光」を声高に叫ぶということは、それだけ人々が自国の綻びと劣後を感じ取り、自信を失っている証拠なのでしょう。でも、虚勢は虚勢に過ぎないし、虚勢を張ったからといって国家が再生するわけでもありません。
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私は高市という人が首相にならなくてよかったと思いますが、石破氏も名にし負うタカ派ですから、剣呑なことには変わりがありません。それでも、外交にしろ経済政策にしろ、<反・安倍的なるもの>を今後どこまで打ち出せるのか、そしてタフ・ネゴシエーターとしての力量を発揮できるのか、その点に注目しながら、政権の舵取りを見守りたいと思います。
【閑語】東京湾を眺めながら ― 2024年08月14日 16時05分31秒
「東京湾と一口にいうけどさ、海岸線を近くでよーく見ると、出っ張ってるところや引っ込んでいるところが一杯あってね、立派な岬もあれば、名のある支湾もあるんだよ。だから、これはまあ、君が思っているほど単純な世界じゃないのさ。」
…と訳知り顔でいう人がいたとして、それで「東京湾は湾である」という明白な事実が覆るわけではありません。
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「イスラエル政府のやっていることは、単なる虐殺行為である」という主張も、東京湾が湾であるのと同じぐらい明白なことと私には思えます。さかしらなことを言ったり、あえて煙に巻こうとする人がいたら、大局的に見てダメなものは、やっぱりダメだと、はっきり言わないといけません。
先日の長崎の一件で、アメリカをはじめとする各国大使の言い分を聞きながら、そんなことを思いました。
業火灑水(ごうかしゃすい) ― 2024年08月06日 18時05分34秒
【閑語】責任と無責任 ― 2024年07月12日 19時07分38秒
「職責を果たすことが私の責任の取り方」みたいな言い回しがありますけど、「職責を果たす」のはデフォルトで当たり前のことであって、何ら特別なことではありません。ですから、「どう責任をとるのか?」と問われて、こう答える人は、結局「責任をとるために、私は特別なことは何もしません」と言ってるに等しいです。
(東京都につづき、他所の首長のことではありますが、例の兵庫県知事の件でも、相当カチンと来ています。)
【閑語】緑と黒 ― 2024年07月07日 17時36分57秒
小池百合子さんを表現するのにぴったりの言葉って何かなあ…と歩きながら考えていて、最初は「邪悪」かと思いましたが、何かもっとぴったりの言葉があるような気がして、「虚栄」とか、「我欲」とか、「専制」とか、いろいろ考えているうちに、「陰険」という言葉が自分的にはいちばんしっくりくるなと思いました。次点は「腹黒」ですかね。
まあ、小池さんの悪口を感情的に言い募るだけでは何の意味もないんですが、でも私が都民だったら、あの人を首長にいただくのは耐え難い気がします。陰険な人は本当に困ります。そして陰険な上に邪悪で腹黒で、虚栄と我欲にまみれた専制を敷かれたら、本当に救いがないです。
私の地元である名古屋市長の河村たかしさんも大概な人で、首長としてはまったく支持できないんですが、河村さんには後ろ暗い醜聞や疑惑がついて回らないのは特筆すべき点で、その点では小池さんと同日の談ではありません。
【閑語】小人、首都に蟠踞す ― 2024年06月15日 10時03分57秒
他人が話しているのを聞いていると、「言葉」と「心」の距離ということについて、時折考えさせられます。たとえば、相手は盛んに言葉を発しているんだけれども、「ああ、この人の心は今ここにないな」と感じられる瞬間とかです。
典型的にはお役人の答弁だったり、政治家の記者会見だったりですが、最近話題の小池百合子氏にも、それを強く感じます。彼女の場合、メディアに露出している場面では常にそういう感を抱かせるので、一種の解離性障害ではないか?と、真剣に心配しています。
“脳の一部が単語列を生成し続けているが、心を司る部位がそこに一切関与していない”という意味で、ネットで瞥見した「AI ゆりこ」は、小池氏ご本人に生き写しで、本当によくできているなあと、感心することしきりでした。
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ただ、AIと違って生身の小池氏にも当然「心」はあるわけで、それが端無くも露呈する場面があります。すなわち、必要以上に薄ら笑いを浮かべて、人を馬鹿にする態度がありありと見て取れる場面です。あれはつまらないマウント取りなのか、それ以上の底意があるのかわかりませんが、たしかに不愉快ではあるけれども、そこには一人の生きた人間がいるという意味で、ちょっとホッとできたりもします。
とはいえ、そんな態度を露骨にとること自体、自分が愚昧な小人だと喧伝しているようなもので、もとより将の器に非ず、そんな人間が人の上に立とうなんておこがましいにも程があるぞ…と思わなくもありません。
好んであんな奸佞な人物を推戴するまでもなく、世間には立派な夫子(ふうし)も大勢いますし、首都に住まいする人々はよくよく考えていただきたいと、外野から願っています。
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