渦巻き論争と宇宙イメージ…賢治の生きた時代(その2)2008年05月03日 17時19分41秒

★『宮沢賢治「銀河鉄道の夜」を読む』
 西田良子(編著)、2003、創元社

(前回の続き)

>「島宇宙説」対「星雲説」の決着はもっと早期に着いており、
>賢治の晩年には事実上「島宇宙説」が定説化していたという
>指摘もあり

このあたりは、最近読んだ上の本の受け売りです。
本書に収められている、井田誠夫氏の「宮沢賢治と銀河・宇宙」という一文がそれで、井田氏は日本における「島宇宙説」対「星雲説」の盛衰を詳しく跡づけています。

「雑誌・天文書によると大正時代は、この二説の論争期である。大正後半になり島宇宙説が優勢となり、ハッブルがアンドロメダ大星雲を銀河系宇宙外にあると確認し公表した時点〔=1924年、大正13年〕で島宇宙説の勝利に終わるのである。」(233頁)

実際には、「渦巻き星雲が、それほど遠方にあると考えると説明できない観測データがある」 と、まだまだ星雲説で粘る学者(ファン・マーネンなど)もおり、一朝にしてすっきりと解決が付いたわけでもないようですが、時代の気分は分かりやすい結論を求めていたのか、大正後半になると、啓蒙書の類は島宇宙説で覆われていく様が、上の論考には描かれています。

島宇宙説によって、「宇宙」は桁違いに拡大したわけですが、それによって人々の意識にはどんな影響があったのか(あるいはなかったのか)。そのことを知りたいと思うのですが、今のところ適当な材料もないので、この件はここでペンディングにします(…どうも毎度不得要領ですね)。