二廃人、古書ノ行末ヲ論ズ2010年11月03日 16時06分13秒

上天気の文化の日。晴れやかな休日でした。
家人が何かごそごそやっているな、と思ったら、ストーブが部屋に置かれていました。いよいよウィンターシーズンの到来です。
さて、記事の方は、ひきつづき先週の土曜日に滞留しています。

  ★

日本ハーシェル協会の年会は、遠足を兼ねて、さらにJAXAを見学して(7月に出来たばかりの新展示館を見ました)散会しました。

その後が「星の夜会」です。
これは本来ハーシェル協会の懇親会という位置づけでしたが、参加者が僅少ということもあり、星つながりということで、地元のかすてんさん(霞ヶ浦天体観測隊 http://kasuten.blog81.fc2.com/)と、とこさん(我楽多倶楽部 http://www.junk-club.net/)にも声をおかけして、ひととき清談を愉しむ機会を設けたのでした。

話は星の民俗学から、地上の民俗学へ、さらに古今東西の文化事象(大雑把;)へと広がったのですが、その中で、今も心の中で反芻している話題があります。それは電子書籍とクラウドの話題です。つまり、いずれ紙の本が消えて、本はすべてデータ化され、しかも、そのデータを手元の記憶媒体にしまっておく必要すらなくて、必要なデータはネット上にふわふわ浮かべておいて、必要なときだけそこから引っ張ってくればよいという話。

たぶん、長い目で見ると、これからはそういう方向に行くのでしょう。
しかし、クラウドとはまた何とはかなげな名前でしょう。知らぬ間にすべて雲散霧消したりしないんでしょうか。

それよりも何よりも、自分がこれまで血眼になって集めた(←ちょっと大げさ)天文古書なんかは、いったいどういうことになるのか?

   ★

「どうしたい、難しい顔をして。」
「ああ、君か。いや、かくかくしかじかのわけでね。ちょっと考え事をしていた。」

「ん?よく分からんなあ…。だって、君が好きで集めた本が、どこに行くのでもない、そのまま手元にあるわけだろう。状況は何一つ変わらないし、別に困ることはないじゃないか。」
「うん、理屈はそうさ。でも、ここにある本を買うには、けっこうしんどい思いもしたんだよ。それがあっという間に二束三文になったらさ、君ならどう思う?ちょっと複雑な気分になるんじゃないか?」

「ははは、存外気の小さい奴だな。これからはしんどい思いをせずに、どんどん買えるゾと思ったらどうだい。まあ、そんな金銭の話よりもだ、肝心なのは、金に換算できない価値の方がどうなるかってことじゃないのかい。」
「なるほど、確かにそうだね。うん、例えば、グーグルブックがこのままどんどん成長を続けたら、今部屋にあふれている本は意味を ― 今現在、少なくとも僕にとっては、たっぷりあるところの意味を ― 失うのか?ということだね。」

「おや、顔色が悪いぞ。だいぶ気にしてるようだな。」
「うーん…確かに意味を失う本もあると思う。実際、買おうと思った古書がネットで読めると知って、買うのをやめたこともあるし。でもね、“読書”と“調べ事”はやっぱり違うと思うんだ。」

「君も、愛読書はやっぱり本で…という口か。」
「画集は便利だけれど、それがオリジナルに取って替われるわけじゃないよね。“モノとしての本”と“情報としての本”は違うんじゃないかなあ。」

「だけど、本っていうのは、そもそもがコピー文化だろう?」
「まあ、それをいうと版画芸術は成り立たない。…いや、ちょっと待ってくれ。論点がつまらない方向に行っている気がする。僕が言いたいのは、愛書趣味とか、美本礼賛とは違うんだ。別に刷りの良しあしとか、上質の紙の手触りとかを持ち出して、古書を弁護したいわけじゃない。」

「ほほう。」
「前に誰かも言ってたけれど、僕が古書を買うのは、できるだけ古い世界に近づきたいからなんだ。古人が目にし、手に取った形そのままに、僕も追体験したいから、わざわざボロボロの本を買ってるのさ。100年前にはPCもキンドルもなかった…その1点において、古書には絶対的な価値があると思うんだ。」

「急に赤い顔になって勇ましいね。でも、ちょっと無理がないか?君の理屈によると、モーツァルトをCDで、いやiPodか、で聴くのも邪道ということになるぞ。」
「そうさ、邪道さ!演奏会で聞きたまえ、演奏会で!」

「わかった、わかった、そう熱くなるなよ。確かに養殖は天然物にしかず。風呂より温泉、発泡酒よりビールだね。ところで今度一杯どうだい。」
「君、本当に僕の言いたいことが分かったのかい??」

コメント

_ かすてん ― 2010年11月04日 08時20分05秒

その節は、楽しい時間をありがとうございました。

この問題は、近未来のこととして気になるところです。
書籍を裁断してデジタル化する流れがある中で、ブログの内容が失われるもしものときの保険にとブログ内容を書籍化している自分。
クラウドは不安ですが、機械が無ければ情報を読み出せないと言う点では手元にあってもデジタル媒体への不安は同じようなものです。
人類の叡智を記録し再利用し続ける事の出来る媒体は、結局は紙だという結論にやがて到達するのでしょうか。

_ 玉青 ― 2010年11月04日 20時24分04秒

いえいえ、こちらこそ有り難うございました。
紙はとりあえず安定感が違いますよね。
少なくとも人類が死に絶えた後まで残るのは、間違いなく電子データよりも紙データでしょう。

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