ジョバンニが見た世界「時計屋」編(2)…ネオン灯2011年11月05日 19時29分34秒



(↑ネオン管の先祖である、ガイスラー管など各種の発光管。19世紀人の心を捉えた精妙な科学の光。天文学書の画期となった『Le Ciel』の著者、アメデ・ギユマンによる、これまたビジュアル的に最美といえる物理学書、『物理学的諸現象 Les Phénomènes de la Physique』、1868より)

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「ジョバンニは、せわしくいろいろのことを考えながら、
さまざまの灯(あかり)や木の枝で、すっかりきれいに
飾られた街を通って行きました。時計屋の店には明るく
ネオン燈がついて…」

悩みを抱えながら歩くジョバンニの前に、ぱっと明かりが広がり、ジョバンニの心が吸い込まれる瞬間です。

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ところで、以前から思っていた疑問。
銀河鉄道の時代設定は一体いつなんだろう?」
もちろん、これはファンタジーですから、我々の住む世界とは違った時間の流れ方をしてもいいのですが、仮に現実世界に比定するとしたらいつでしょうか?

これまでは、銀河を写した天体写真が登場することから、何となく20世紀初頭をイメージしてきましたが、もう少し突っ込んで考えてみます。

「銀河鉄道の夜」には、この現実世界と交錯する具体的事件が少なくとも1つ登場します。それは「銀鉄」ファンなら先刻ご承知のとおり、タイタニック号の沈没事件で、銀河鉄道に途中から乗り込んでくる少年と少女が、その犠牲者であることを示唆する描写が文中にあります。

タイタニック号の沈没は1912年4月。元号でいうと明治45年で、この年の7月に大正と改元されました。このとき賢治は、まだ旧制盛岡中学の4年生で、満16歳の誕生日を迎える前の多感な時期でした。

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ただ、作中にはっきり「タイタニック号」という固有名詞が出てこないのが、この推測の弱い点ですが、ふと上の「ネオン燈」という語が気になって調べてみました。

ウィキペディアの「ネオン」の項を見ると、ネオンの発見は1898年だとあります。新しく発見された元素だから「ネオン」。なるほど!これで「銀河鉄道の夜」の舞台が20世紀であることが、いよいよはっきりしました。

ウィキペディアには、さらに次のような記述が続きます。

「1910年12月、フランスの技術者ジョルジュ・クロードがネオンガスを封入した管に放電することで、新たな照明器具を発明した。パリの政府庁舎グラン・パレで公開後、1912年には彼は仲間たちとこの放電管をネオン管として販売し始め、理髪店で最初の広告として使用された。1915年に特許を取得し「クロードネオン社」を設立。1923年、彼らがネオン管をアメリカに紹介すると、早速ロサンゼルスのパッカード自動車販売代理店にふたつの大きなネオンサインが備えられた。」

1912年というのは、まさにネオン灯が商業利用された最初の年だったのですね。
ジョバンニたちが住むイタリア(?)の小さな町に、パリから最新のネオン灯が届いていたというのは、この時計屋の主人がとびきりハイカラな人間であることを示すエピソードでしょう。

…もちろん、賢治がこんな重箱の隅をつつくような考証をしていたとは思いませんが、実際うまい具合に整合するので、銀河鉄道の旅は1912年に行われたということにしてはどうでしょうか。(そうすると、今後の考証もいろいろしやすくなりますし。)

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ちなみに、日本でネオン管が点灯したのは、アメリカよりもさらに遅れて1926年(これまた大正から昭和に改元された年)、日比谷公園の納涼会にお目見えしたのが最初だそうです(家庭総合研究会編、『昭和・平成家庭史年表』、p.6)。

その後、昭和7、8年ともなれば、銀座のカフェーはこぞってネオンで店を飾り立て、ネオンは当時最新の風俗を示す記号となっていました。
賢治はそれを十分意識してあの箇所に書き込んだように思います。ハイカラで官能的という性格を、あの店に持たせたかったのでしょう。
と同時に、賢治はネオン灯がヨーロッパでは以前から使われていたことをよく知っており、タイタニックと同時に登場してもおかしくない…と、冷静に計算していたのかもしれません。

(このシリーズは、こんな調子でクダクダしく続きます)