重要なお知らせ2012年06月15日 20時08分31秒

豊郷小の理科室訪問記についてですが、諸事情により、万やむを得ず公開中止とします。

非公開にすると、記事にいただいたコメントまで非表示になってしまうので、コメントを頂戴した方には本当に申し訳なく思いますが、私自身呆然としておりますので、何卒ご寛恕くださいますようお願いいたします。

当方の不手際を各位にお詫び申し上げます。

コメント

_ S.U ― 2012年06月15日 21時00分17秒

なるほど、それは残念ですがやむを得ませんねぇ。
 私のコメントでしたら、また別の機会に同じ内容をコメントさせていただきますのでお気になさらないでください。ナーニ、内容を憶えているわけではなく、すっかり忘れて同じことを書くだけです。

_ 玉青 ― 2012年06月15日 21時58分25秒

S.Uさんには本当に申し訳ありませんでした。
私も「地学編」を控えて、大いに気分が乗ってきたところなんですが…。
お気を悪くなさらずに、引き続きコメントいただければ有難いです。

あ、ちなみにスズメノテッポウは、地方によってはスズメノヤリとも言うそうで、あんな地味な植物でも、鉄砲だの、槍だの、いかつい(でも可愛らしい)見立てが行われてきたことが面白いと思いました。なお、ホモノ科というのは、手元の戦前の図鑑にも出てこない用語ですが(「禾本科」一辺倒です)、おっしゃるように「穂物科」の意かと思います。

_ 麻理 ― 2012年06月15日 22時06分16秒

毎日更新を楽しみに
こっそりとネットの片隅で読んでおりました。
今回の公開中止の件、大変残念です。
でもなにより筆者である玉青さんが
一番残念に感じていらっしゃることと思います。

貴重な写真や解説は
私の記憶にしっかりととどめておきたいと思います。
これまでの記事のアップ、ありがとうございました。

_ 玉青 ― 2012年06月16日 08時28分09秒

いやあ、見学が決まったとき、麻理さんにも声をおかけしようかと本気で考えました。

まあ、ブログの記事が非公開になっても、あの理科室は依然あそこにありますし、記録は一切合財、私のHDに残っているわけですから、そう残念がるにも及ばないのでしょうが、いろいろなことを考えさせられた一件でした。かつて小学校の保存問題で町を二分する論争があったために、関係者は今でも何かと神経を使う面があるのでしょう。

ともあれ今後もゆるゆると記事は続きますので、お付き合いいただければ幸いです。

_ S.U ― 2012年06月16日 09時27分17秒

>「スズメノテッポウ」
 この植物は穂を抜くと笛になって、不器用な子でも吹くだけでかわいい音を鳴らすことができました。植物図鑑では「スズメノテッポウ」と「スズメノヤリ」は別種ですが、混用している地方もあるでしょうね。元々は混用されていた2つの名を図鑑が無理に別種に押しつけた という可能性もありそうです。「名もない雑草」といいますが、名もない雑草ほど味わいのある名がついているように思います。

_ 玉青 ― 2012年06月16日 10時34分16秒

おお、植物分野にまで遺漏のないご指摘!

なるほど…と思って、さっそく件の図鑑(村越三千男編『内外植物原色大図鑑』、昭和9年)を見たら、この図鑑にはスズメノヤリという種名そのものがありませんでした。では、今言うところのカヤツリグサ科のスズメノヤリはどうかというと、スズメノヒエになっていました。そしてスズメノヒエの異名にも、やはりスズメノヤリが挙がっています。要するに、スズメノヤリという種は、この図鑑には出てこなくて、スズメノテッポウとスズメノヒエという別種の植物双方の異名として、スズメノヤリが紹介されているというわけです。

牧野図鑑ではどうなんでしょうね。
全12巻+別巻1から成る、村越のこの図鑑は、戦前にあっては最大の植物図鑑と言われますが、いっぽう牧野富太郎は、村越とその図鑑を痛罵し、見下していたらしいので、スズメノヤリの扱いはちょっと興味をそそられます。

ともあれ、学者先生の角逐をよそに、人々は身近な草に思い思いに命名し、親しんできた歴史がしのばれます。残念ながら、スズメノテッポウを吹いた経験は、私自身にはありませんが、エノコログサの「毛虫」とか、カタバミやオオバコの草相撲とか、笹舟とか、オシロイバナのおしろいとか、思い起こすと理科趣味に染まる以前から、草花で遊ぶことは街中の子供でもふつうにやっていました。懐かしい思い出です。

もはや草笛を吹く子もおりませんし、それどころか子供そのものが絶えかねない世の中ですが、嘆くばかりで何も手が打てないのがもどかしいです。

廃校に老いの草笛きれぎれに   玉青

_ S.U ― 2012年06月16日 14時14分55秒

手元の比較的新しい「牧野図鑑」では、3種あって、

・スズメノヤリ(スズメノヒエ) [スズメノヤリ属]
Lazula campestris DC. var. capitata Miq. いぐさ科
・スズメノテッポウ [スズメノテッポウ属]
Alopecurus aequalis Sobol. var. amurensis Ohwi いね科
以上 北隆館『学生版 原色牧野日本植物図鑑』(昭和60)より

・スズメノヒエ [スズメノヒエ属]
Paspalum thumbergii Kunth いね科
 北隆館『コンパクト版2 原色牧野日本植物図鑑II』(昭和61)より

となっていました。ヤリとヒエの異名関係が逆になっているようです。スズメノヤリには「頭花を大名行列の毛槍に見立てたという」と書かれていました。毛槍なら、スズメノヒエのへろへろの穂よりもぼったり厚みのあるスズメノヤリのほうがふさわしそうです。古い牧野図鑑ではどうなっているんでしょう。

草笛、少年、そして、最近は、スズメも減少してきたと聞きました。我々の子どもの頃は、「雀は害鳥」などと言われたものですが、今日では、餌をまかないとお目にかかれないくらいになりました。

_ 玉青 ― 2012年06月16日 21時28分22秒

なるほど、毛槍ですか。かわいい雀の奴さんですね。
草の名に雀を引き合いに出すのは、雀が身近だったからこそですから、雀が減ってくると、そのネーミングの妙味が伝わりにくくなりますねえ。これまた寂しいことです。
(ところで1つ前のコメントで「カヤツリグサ科のスズメノヤリ」と書きましたが、失礼しました、正しくはS.Uさんがお書きになった通り「イグサ科」ですので訂正します。)

_ S.U ― 2012年06月17日 07時51分00秒

雀は減っても、草は依然として生えていますので、せめて紹介されたような草笛や草相撲などの野草の遊びを受け継いでいってほしいものです。

 ここで気がついたのですが、こちらでは、昨年から外で子どもだけで遊んでいる小学生がどっと減った(ほとんどいなくなった)ように思います。原発事故の影響が否定できません。まき散らされた放射性物質の濃度は場所ごとに大きく違うので一概には論評できませんが、農作物の一部が出荷停止になったことを思えば、母親にすれば小さい子どもが地面や野草にさわるなどもってのほかかもしれません。原発事故が自然に触れる子どもたちの文化の伝承にまで影響を与えていると想像すると暗澹たる気持ちになります。

_ 玉青 ― 2012年06月17日 16時09分23秒

S.U大人の嘆きに感じて かく詠める

 目に見えぬ瘴気 緑の地に満ちて
  草笛聞かぬ夏は来にけり

 百千歳(ももちとせ)草笛ゆかし半減期

_ S.U ― 2012年06月18日 07時44分55秒

幸福な子ども時代を送りながら今日の事態を招いた私らの世代の大人の言えた義理ではないと思いますが、現代の子どもたちにも故郷の自然によい思い出をつくってほしいと思います。

 この土地も子らのふるさと夏日長

(これでは文芸同人誌ですぜ(笑))

_ 玉青 ― 2012年06月18日 21時37分36秒

ご唱和ありがとうございます。
気分的にちょっと文芸路線に走ってみましたが、慣れないことはやめて、また散文の世界に戻ることにしましょう。

自分が子供の頃は、日本中が深刻な公害問題で、夏ともなれば、光化学スモッグ注意報でグランドに出られない日が続きましたし、近所の川は洗剤の泡で水面が見えないほどでした。自然に触れようとちょっと遠出しても、奇形のハゼが釣れたりで、「郷愁派」の私にしても、手放しで賛美することはとてもできない、きわめて過酷な時代だったと思います。あの当時の大人たちも、きっと我々子供たちのことを心配して、切ない思いを抱いたんでしょうね。幸い、公害問題は(幾多の犠牲者を出しながらも)いい方向に舵が切れて今に至っています。

さて、原発問題はどうなるでしょうか。
決して予断を許しませんが、1つ気になるのは、世間が政府の失策や無能を囃し立てる傾向です。世間は本来口さがないので、そういう傾きが一部にあっても良く、それでバランスがとれるのでしょうが、そう言いつつも、今の状況は単に面白がっていればいいという場合ではなく、もっと本気で怒ったり、悲しんだりしなければなりません。(口では嘆いてみせても、実は面白がっている人が多い印象を受けるのは私だけでしょうか。それとも、そういう人も「面白うてやがて悲しき」的感慨を抱いているのでしょうか。)そして、政や官の世界にも、その怒りや悲しみを共有している人は必ずいるはずなので、そうした人がしっかり仕事をできる環境を作ることが、今後の日本のために極めて大切だと私は思います。(公害問題を克服する過程では、そうした努力が大なり小なりあちこちで行われた気がします。その全てが成功したわけではないにしろ。)

_ S.U ― 2012年06月19日 06時25分51秒

かつての公害問題と今の原発問題を比較して、さまざまな側面で解決の道筋の参考とすると道が開けるかもしれませんね。本気で怒ったり悲しんだりすることによって公害問題が大きく改善されたのか分析の値打ちがあると思います。

 沖縄の基地問題と関連づけた見方はどうでしょうか。私は沖縄問題も原子力問題も、国益のために一部の地域の人の生活や安全を侵害している構図で、そして実は利益のみならず悪影響も日本全体に及ぶという点で同根だと思いますが、なぜかこの視点も少ないようです。沖縄の人の怒りがなぜ日本全国民の怒りにつながらないのか。この点で原発問題を見ると、「怒り」は本来共有しにくいために、「面白がる」ことで共有しようとしているのかもしれません。「悲しみ」は共有されるかもしれませんが、日本人の悲しみは見た目が地味ですね。

_ 玉青 ― 2012年06月20日 20時24分26秒

基地問題と原発問題の相同性はまさに然りですね。さらに敷衍すると、過疎の問題も、貧困の問題も、実は同じ構図なのかもしれません。キーワードは「棄民」でしょうか。政府の対応も芳しくないですが、それにとどまらず、我々をむしばむ想像力の欠如、心の中の壁、人と人の分断etcも実に恐ろしいことだと思います。スローガンとしての「連帯」はすでに手垢にまみれてしまいましたが、もっと素朴な連帯(人と人の感情の通い合い)が今こそ欲しいと思います。

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック