新天文対話…昭和30年代の天文教育のすがた(2)2012年06月17日 15時36分40秒

何はさておき、星空の美を見せようと、小学校でも可愛らしい「プラネタリウム」の上映会が行われました。



ただし、『手引』によれば、これらはあくまでも「天体投影器」であり、プラネタリウムと混同してはいけないと注意しています。

プラネタリウムを簡素化したものが、天体投影器のように一般には考えられているが、原理的には同一であっても、機械的にはかなりのちがいがある。だから、天体投影器でプラネタリウムと同様の説明ができると考えてはいけない。」「この程度の機械では、プラネタリウムのような演出効果を望まない方がよい。」
 (『手引』pp.98-99.)

実際そうなんでしょうが、でも子どもたちの目には、これも立派なプラネタリウムに劣らず魅力的な装置に映ったと思います。上の写真でも、みなドームに目が釘付けです。

   ★

ドームとプラネタリウム(投影器)がない場合は、「星座投影幻燈機」という簡便な装置も使われました。


↑は「江上式星座撮影機」。スライドを入れ替えることで、季節の星空や星座の伝説を教室の壁やスクリーンに投影することができました。


使用時の様子。暗い教室で息をひそめている子供たちの気配が感じられます。

   ★

市販の機械ばかりに頼らず、先生たちの力作もあちこちで大活躍です。


天井に取り付けて、季節ごとの星座を示すための「全天星座板」。
写真では仕組みがよく分かりませんが、要は大型の星座早見盤式のもので、電飾装置も組み込まれていたらしく、まさに先生の入魂作です。


参考として、別の本(井上友治『新設改造 理科施設・設備図説』、昭和37)からも類例を挙げておきます↑。こちらは長崎の島原市立第三小学校の「点滅式全天星座板」。


こちらは各季節の代表的な星座を描いた「四季別星座板」。
これも天井に取り付けて、電球で星が光る仕組みのようです(写真が天地逆だったので、正しい位置に直しました)。


階段脇に掲示されたロマンチックな星座絵。
先生の絵ごころがほとばしっています。
それに応えて、女の子もじっと見入っていますが、このまま歩くと一寸危ないですね。

「小学校では星座の形になじむことが学習の効果を高めたり、夜空への関心を高めるために有効である。代表的な星座を示し、星座の伝説などもわかりやすく解説しておき、電気の点滅で自分の調べようと思う星座と、解説が同時に発見できるようにしておくと、効果的である。」 (『手引』p.102)

星座はともかく、星座神話については、理科学習とは本来無関係のはずで、学習指導要領でも言及されていないと思うのですが、山本一清や野尻抱影らの影響によって、日本では星について語ろうと思ったら、まず星座神話から入るという「型」ができていたため、学校現場もそれに引きずられたのでしょう。

(この項つづく)

コメント

_ かすてん ― 2012年06月18日 09時26分32秒

天体投影機、懐かしいなぁ。渡辺式のものが小学校にありました。理科の先生がプラネタリウムと言うのを、心の中で「違う」と呟いていたのを思い出しました。

四季別星座版、天井絵の発想ですね。天井まで利用して授業を行っていた先生の熱意を感じます。

階段脇の星座絵の写真、廊下に電信柱ですね。電灯線の埋設技術ができるまではむき出しの線が碍子を介して天井を走っていましたからね。

_ 玉青 ― 2012年06月18日 21時39分44秒

>心の中で「違う」

うーむ、通な子供ですねえ。(^J^)

>廊下に電信柱

やや!本当だ、これは見れども見えず、まったく気づきませんでした。
校舎内に電信柱とは不思議な光景。
これは私自身も経験がありません。学校民俗学的に貴重な写真かもしれませんね。

_ S.U ― 2012年06月19日 06時37分25秒

小学校の「プラネタリウム」は天体投影機と言わないといけなかったのですね。確かに惑星は映りませんでした。五藤式のように惑星が映るならプラネタリウムでいいと思うんですが、そうでもないようですね。

 私の中学校には天体投影機がなく、天文の授業中に先生が「天頂付近の星は北のほうを中心にして回っとるんやが、その様子は天井に線でも引かんことにはわからん」などと言って生徒が理解できないままにすましていました。それを聞いた私は、「それやったら天井に線を引いたらええやないか」と言いたかったけど、天井が高かったので「おまえがやれ」と言われても困るので言いませんでした。昨日(6/18)記事のの兵庫県篠山小学校の写真を見ると天井の利用も一部であったようでうれしく思いました。

_ かすてん ― 2012年06月19日 08時24分46秒

昨日のコメントの訂正と追加です。

>天体投影機

小学校と書きましたが、渡辺式の天体投影機があったのは中学校でした。投影スクリーンはこうもり傘のお化けの様な構造でした。

>むき出しの線が碍子を介して天井を走って

これは子ども時代の古い民家の屋内配線の記憶です。さすがに校舎にはありませんでした。しかし、小学校1〜3年時は下見板張りの伝統的な木造校舎でしたからどこかにはあったのかもしれません。

_ 玉青 ― 2012年06月20日 20時25分58秒

○S.Uさま

>惑星が映るならプラネタリウム

おお、確かに。本物のプラネタリウムにしても、惑星が完全に添え物だったり、プログラムによっては全く登場しなかったりするのは、語義からするとかなり妙です。
そもそもツァイスの投影式プラネタリウムが誕生したとき、言葉にやかましい人がそれにイチャモンをつけて、「こりゃプラネタリウムというより、ステラリウムじゃないか」と言ったとか、そんなエピソードがあってもおかしくないので、この辺はちょっと調べてみたい気がします。

>天井に線

あはは。先生も実はちょっと天頂付近に自信がなかったのかもしれませんねえ。


○かすてんさま

なるほど、中学生ともなれば(そして天文少年であれば)、投影器ではちょっと物足りなかったかもしれませんね。

>古い民家の屋内配線

ああ、それなら私にも見覚えがあります。
それにしても、これはまんま電信柱ですよね。
ひょっとしてひょっとすると、実はこれも先生のお手製教具で、「電気が家庭に届くまで」というようなテーマ展示だったとか…?

_ 毛利裕之 ― 2022年02月09日 11時51分58秒

日本のプラネタリウム史を調べているのですが、江上式や五藤光学の天体投影機の写真等、出典はどのような本なのでしょうか?
お教えいただけましたら幸いです。

_ 玉青 ― 2022年02月12日 11時22分09秒

毛利裕之様

ご照会ありがとうございます。上記の記事はかなり長期の連載になったので、出典が分かりにくくなってしまい、申し訳ありません。記事中にある『手引』とは、2012年5月22日の拙ブログ記事に出てくる以下の書籍で、勝手引用した図版の出典も以下になります。

■近畿教育研究所連盟(編)
 『理科教育における施設・設備・自作教具・校外指導の手引』
 六月社、昭和39(1964)

日本のプラネタリウム史、心躍るテーマですね。
少しでも拙ブログがご参考になれば幸いです。

_ 毛利裕之 ― 2022年02月13日 13時46分10秒

玉青様 貴重な情報ありがとうございます。江上式は実物がまだありますのでそのうち何かで紹介できればと考えております。天体投影機は自分の通った小学校にも同じ五藤製のものがありました。

_ 玉青 ― 2022年02月13日 18時10分27秒

子供たちの目の輝き、先生たちの心意気、そうしたものが昔の教具を通じて現代によみがえってくれたら嬉しいですね!

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